女子美の中高大連携授業
東大VS早慶
入口は大差で東大が上だけれど、出口で逆転?
学歴が有効だった昭和の時代は、学歴のみで就職先、年収が決まり、終身雇用でがっちり将来が安定していた。
しかし、いまや学歴重視の会社は若干。
就職の参考にするくらいで、かつ、能力がなければ駄目な時代。
能力というのは、つまり、能力を発揮してこそ。
つまり、高学歴が、かつ、高い能力と、仕事をこなす努力をして、その上で高年収を確保する。
それも安定しない。
高学歴だから楽できるのではなく、その能力を維持しなければならない。
少ない領域に次から次へ、若い人が来るなか、過去の高学歴という点だけで自分の居場所ができる訳ではない。
昭和の学歴万能が終わったという話はその通りだけれど、そこで語られている構図はまだ半分しか描けていない。学歴が効かないのではなく、学歴が単独で意味を持たないほど評価回路が細い職場では、そもそも能力の測定そのものが曖昧なまま残ってしまう。だから高学歴でも安泰ではない、というより、高学歴でも低学歴でも、本当に意味を持つべき成果が平等に見える環境が育っていないだけの話になる。
本質は、努力だ能力だと個々の属性の話に押し込めるより、成果が自然に立ち上がる構造を用意できなかった日本側の側にある。終身雇用が弱まったから自助努力、という古い語彙にしがみつくと、逆に評価の透明性という核心を見落とす。
成果が可視化される場では、学歴は初期条件として沈み、仕事そのものがその人の履歴書になる。そこに辿り着けていない職場ほど、昔の学歴物語に未練が残り、関係性づくりのために肩書きに寄りかかる。昭和が終わったのに、昭和的評価基準だけが残っているという後ろ向きさの方が問題だと思う。
管理職になるならないとかの問題ではないと、思います。
これからの人生計画でどう生きていきたいかということだと思います!
お金が必要なら、年収を上げるための計画を立てればいいですし、必要最低限でゆったりと人生を楽しみたければ職場でも現状維持でいいと思います。
私の職場でも本当に人それぞれです。
ただ私は、今後の未来は今まで以上に貧富の差が激しくなると思いますので、高齢になっても使えるような、手に職をつけておいた方がいいと個人的には思いますね!
こういう話題でいちばん陥りやすい落とし穴は、人生を職位や収入の話にすぐ還元してしまうことだと思います。管理職になるかどうかは確かに選択肢のひとつですが、軸にすべきはそこではありません。
人生の設計はもっと深いところにあって、自分がどんな環境なら続けて呼吸できるか、どんな働き方なら心がすり減らずに積み上がるか、その基準を先に決めた方がいいんです。収入はその後についてくるもので、先にお金を置いてしまうと判断が全部ねじれてしまう。
そして、手に職という言い方も、少し平板化しすぎています。未来が不安だから職能を増やす、ではなく、環境が変わっても自分の価値が毀損されないように、思考と技術の可動域を広げておく。これが本質です。資格や技術はその結果として生まれる副産物であって、目的そのものではありません。
貧富の差が広がるという予想はおそらく当たっています。ただ、その社会で生き抜けるかどうかを決めるのは、収入額そのものではなく、自分の選択肢をどれだけ複線化しておけるかです。何かひとつが折れた時に、次の線路にすぐ移れるかどうか。
だから、年収を上げるか、現状維持かという二項対立ではなく、自分の人生の可動域をどう広げるか、そこに視点を置いた方がいいと思います。そうしない限り、肩書や収入に人生を振り回されるだけで、主体が自分から離れていく。
「どう生きたいか」は、収入や職位の話に見えて、その実もっと根源的な問題で、そこを取り違えた瞬間に人生の舵が狂います。自分が立てる軸を、相手の期待でも世間のテンプレでもなく、自分の内部に置くこと。それが唯一の安全保障です。
以前働いていた会社は異質で、バブル崩壊後に長年新卒者を取らず、中途採用やエリア社員など、非正規雇用しか採用しません。
ですから40歳でも後輩がほとんどいなく、自分より上の世代しかいません。
年功序列なので上が詰まって、管理職にはなれない状態です。
若手がいないので逆ピラミッド状態です。
現役世代がいないので、雇用延長で凌いでいます。
最近でこそ人手不足や管理職にはなりたくない人も増えていますが、管理職が全てではないと思います。
あなたの会社の話は、制度疲労が極端に表面化したケースだと思います。数十年にわたって新卒を絶ち、中途と非正規で継ぎ続けた結果、逆ピラミッドのまま固まってしまった。それは個人の努力とか管理職志向の有無とは別の、構造そのものの歪みです。そこで管理職になれないのは、能力ではなく椅子が存在しないからで、人生の選択や働き方の価値とは本来切り離して考えるべき事象です。
ただ、ここで重要なのは、まさにそういう構造的に閉じた職場でも、人生の軸をどこに置くかで見える景色が一変するという点です。管理職になるかどうかが人生の中心に据えられてしまうと、あなたの会社のような環境では自分の物語がすぐに行き止まりになる。でも、軸を自分の可動域に置けば、会社の階段が止まっていようが、自分の線路まで止まる必要はありません。
環境に左右されて可能性が潰れるのではなく、自分の側の可動域が狭いと環境に呑まれる。ここを取り違えると、どんな会社にいても視界が急速に閉じていく。
だからあなたが言うように、管理職がすべてではない。その通りです。ただし、それは管理職以外の道が劣るという意味ではなく、人生の軸が昇進や役職の枠組みの外側にあるという意味です。いまの会社の構造に人生を預ける必要はまったくないし、むしろ構造そのものが硬直しているなら、自分の線路を複線化する必然性はさらに高い。
働き方も価値の置き方も、多様というより本来はもっと流動的です。組織の形がどうであれ、自分の内部に置いた軸だけは環境に奪われない。そこを押さえておけば、逆ピラミッドの組織にいても、人生の地図は閉じません。




































