女子美の中高大連携授業
早慶附属に入れておけば良かったと思うことはありませんか?
中学受験や高校受験の段階で、早慶附属の80%偏差値は超えていたけれど、それ以上の難易度の進学校へ進まれたケース限定でお願いします。
中学や高校でのお子さんの成績や様子を見て気を揉んだり凹んだりして、早めに早慶附属に入れてしまえば良かったと思うことはありませんか?
結果的に早慶大進学となるなら、中学(高校)から附属の方が良かったと思うことはないでしょうか?
中国人が慶應を避ける理由
1.三田会、下からの繋がりが強いので閉鎖的に感じる
要は自分達が頑張っても居場所なし
2.福沢諭吉先生が中国を見下していた
の2点らしい。
高田馬場は最近中国語の看板も目立つようになったし、これからも早稲田に集中するでしょうね。
中国人の友人達に聞くと東大、早稲田ときて最低日大が共通認識らしいです。
早稲田が中国に人気なのはその通りと思いますが、福沢諭吉が当時の清国が朝鮮半島を属国化しようとして独立妨げ、日清戦争の頃の話なので見下したというのはあたらないと思います。
来月連合三田会がありますが、幼稚舎からの人は長い分思い入れも強いでしょうけど、体育会、サークル、海外、企業などタテヨコつながりのほうが強そうで、卒業後何十年も経つと暇なのか、つながりは強いようです。
>高田馬場は最近中国語の看板も目立つようになったし、これからも早稲田に集中するでしょうね。
早稲田は国際卓越研究大学の申請を続けているが、やはりポーズだけなのだろう。トップ論文などの基準もあるが、中国との関係が深すぎる場合には、国は承認しない。早稲田はそれを理解しているはず。
要件となっている特定国立大学による国の関与というのはそういうこと。
しかも、その辺りは、私の専門でもある。他の方にご迷惑をおかけすることになるが、本気で私とここで議論する覚悟かね。
そのうえで、一言申し述べれば、人間とはけっして物理学での粒子の如き無機質な存在ではないということだ。一定の力を加えれば同様に動くというものではあるまい。したがって、たとえそこに経済合理性があろうとも、それを是としない場合もあろう。そのような、ある意味「愚かな」「屈折した」「矛盾ある」行動選択をするのが人間の性でもある。そこに文学や演劇といった芸術の端緒がある。
それゆえ、如何に「衰退産業」だと揶揄されようとも、慣れ親しんだ現在の仕事にやりがいや意義、プライドをもって勤しむ労働者も数多く存するはずだ。そうした方々から、二束三文のカネでそれを半強制的に剥奪してしまうのが、この国で現在喧伝される「雇用の『柔軟性』」「雇用の『流動性』」といったデマゴーグの正体である。だからこそ、労働法学者の多数はそれに反対なのである。支配層からしてするお為ごかしに、騙されてはなるまい。泣くのは、労働者である。
>それゆえ、如何に「衰退産業」だと揶揄されようとも、慣れ親しんだ現在の仕事にやりがいや意義、プライドをもって勤しむ労働者も数多く存するはずだ。
たしかに私は労働法には詳しくないが、こういう議論には驚いています。
批判の多い「労働価値説」だって、市場で売ることができて利益が見込める製品の製造につぎ込まれる労働に価値を認めているのであって、市場で売れもしない製品につぎ込まれる労働は、そもそも労働とも認められないのですよ。
そういう労働にも企業は価値を認めて賃金を払わなければならないという主張はそれこそヤクザの強請りです。
やりがいやプライドと言っても市場で価値が認められてこそのことでしょう。
それは「労働」や「市場」に対する考え方が君と私とで異なるからではあるまいか。また、そうした経済学的な議論とは別に、そもそも憲法13条で自己決定権が保障される自由な社会において、なにゆえ「労働」につき特定の価値観の押付けや高飛車な上からの半強制が議論されねばならぬのだろうかと疑われる。仮にそうした自由の保障の根底にある価値を実現するにしても、そこに全体の福祉が要求する如く、各人の身体的、精神的な力を活用すべき前国家的基本義務があるとでもいうのであろうか(ドイツでは、そうした議論がある)。新古典派経済学者らとの議論で、彼等に共通するそうした憲法規範性の軽視(無視)に常に首を傾げてきた。そこにはpeopleあっても、一人ひとりの活きた人間(Mensch)への配慮が見受けられないからだ。




































