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これが旧帝大の現実

【6541559】
スレッド作成者: 静岡県民 (ID:ejo0bjhV9vQ)
2021年 11月 05日 02:00

今年の成人式での会話

理系ヲタク「ぼ、ぼ、ぼくは東北大学なんだよ」

周りの人たち「ふーん」(無関心)

ブランドスーツで固めた男「俺青学だぜ!!」(指定校推薦)

周りの人たち「すごい!!!○○君って、天才!!!中学から勉強出来たもんね」

理系ヲタク「……」(誰にも相手されずに帰宅する)

【6774016】 投稿者: 再掲   (ID:xl6bBrWurws)
投稿日時:2022年 05月 11日 22:24

具体的な根拠を添えた、君からのご批判を乞う。

東洋にあっては、学問とは「学問思弁行」の略であり、それは「道理に縁り、道理を対して、道とともにある、道の体現者になること、さらには、聖王の治を復興すること」を意味したという。その背景には、善美を尽くして、絶対に泰平な理想社会があったとのユートピア論を前提に、この泰平天国はやがて循環をめぐって必然的に到来するとした、中国古来の人々の期待感があった。そして彼らはこの天意に従う慎みと努力を尽くしさえすれば、やがて泰平の幸福を享受できるとの理解であった。これが古代の学問観であり、それは泰平を意欲する天意をいかに人間生活に実現するかにつき研究—というよりも修養か—することだとされた。

そうした思想・思潮が日本にも伝承され、「学問の目的は、人格の陶冶にある」とのテーゼに結実したのではないかと思われるのである。それは学問論における認識構造の分析として、たしかに科学理論における社会や歴史といった伝統からの非拘束性とは異質なものだ。しかしながら、われわれの認識は、歴史的・社会的・文化的な範疇において成立し、その共同体的圏内において共通するという意味での健全性ごとき共通理解を構築する。そこから醸成される「機微」のような成分は、この国の社会にある人間によりなされる所為である限り、文系のみならず理系の研究にも多分に包摂されているのではないかと思われるのである。したがって、本件もまた、そうした「本質認識」乃至「全体認識」を踏まえた視座から、もっと議論が深められるべきであると思われる。

【6774042】 投稿者: 岡目八目   (ID:ieeCH3BgNCk)
投稿日時:2022年 05月 11日 22:46

黄文雄は「中国二千年の呪縛」という著作な中で、そういう中国文化の保守性を批判していますけどね。
つまりこれはユートピアは未来にあるというヘーゲル的な進歩史観とは真逆で、ユートピアは過去の聖王の治世においてすでに実現されており、我々が出来ることはせいぜいそれに最大限に近づけるように過去の聖人の理想を模倣することなのだという世界観です。
儒教の世界観からは進歩は否定されるのです。
儒者は過去への固執に導かれて、伝統の固守を目指し進歩を否定する。
毛沢東や魯迅が叩き壊したかったのはこういう過去への呪縛です。

【6774106】 投稿者: 全く逆   (ID:gXV4vmkRK5k)
投稿日時:2022年 05月 12日 00:08

君は自然科学系の知見を持ってないから反論できないだけだろ。無意味な印象論などとごまかしたって無駄だよ。全体認識と言うのなら自然科学系も含めて考えるのは当然だろ。

【6774116】 投稿者: しっかり読みなさい   (ID:xl6bBrWurws)
投稿日時:2022年 05月 12日 00:28

私がそこで指摘する「全体認識」が何なのかについて。文脈上からも、そこに理系なる概念が包含されるはずがあるまい。君には本当に誤読が多い。呆れたね。

【6774120】 投稿者: 関西人   (ID:xeM6t/A9.Zo)
投稿日時:2022年 05月 12日 00:36

何にせよ、理系からの科学史、数学史へのアプローチが必要なのは確かだと思います。これまでどう歩んできたのか、そしてどんな道が開けているのかを我々が知るために。文系からのそれだと理系の中にはそっぽを向く人もいるようなので。

【6774140】 投稿者: せっかくだが   (ID:xl6bBrWurws)
投稿日時:2022年 05月 12日 01:17

その「黄文雄」とは、何者だろうか。その昔、書店の店頭で見受けた、今でいう百田某のような本を書いていた人物であろうか。いずれにせよ、私は自らの考える東洋における学問論のほんのさわりをご紹介したに過ぎず、その是非につきとくに述べてはいない。したがって、その人物が何を語ろうと、とりたて感想はない。ただ、そうした考え方が日本にも大きな影響を及ぼし、私たちの知的骨格になっていると考えられるということである。

他方で、それがわれわれの社会を情緒的なものにもした。その結果、たとえば「市民法の論理」も、フランスの如く国民自身によって勝ち取り育むとの土壌から育成された論理的厳格性はなく、権威ある雲の上の存在たる「天意」に依存し従う慎みとの努力さえ尽くせば、やがて「泰平天国」が到来するとの法物神崇拝的権威主義を暴露する。また、それは法学上だけでなく、文・理を問わずこの国のあらゆる学問にも見受けられる傾向ではないか、と思われるのである。

しかしながら、欧州におけるキリスト教倫理の如く文化的歯止めを有しないこの国においては、あるいはそうした思潮が理系研究の暴走を抑制する内在的制約の働きを為すのではないか、と期待される。したがって、その人文科学的表現たる古文や漢文の知見が理系を担う諸賢にも必須の素養であると私は訴える。

【6774181】 投稿者: 関西人   (ID:rki.oFknHds)
投稿日時:2022年 05月 12日 06:48

高校~大学辺りで近代文語文とかを教える場合であれば、まだ今の言葉のちょっと昔のバージョンを教えているんだよ、西田幾多郎とか大内力とか梅本克己や廣松渉の昔の文章を読んだりするのに知っておいても損ではないよ、という風に実践的な感じで教えられると思うのですが、平安期の貴族の文章を中学生辺りに教える場合は、動詞のみならず助動詞の活用までも教えないと理解できないでしょうし、教わる側も変に今の言葉とそんなに大差ないよねという感じで教えられると却って大変だと思います。個人的には近代文語文を放課後に教師に教わっていた体験が上記の作家たちの著作を読むのに役立っています。

【6774204】 投稿者: 関西人   (ID:rki.oFknHds)
投稿日時:2022年 05月 12日 07:37

個人的な話を続けると、沙石集とか徒然草みたいな説話集は好きでしたね。あとお寺関係のお話とか。そういうものが好きだったおかげか、梅本克己の卒論である「親鸞における自然法爾論理」は何とか読み通せました。

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