女子美の中高大連携授業
これが旧帝大の現実
今年の成人式での会話
理系ヲタク「ぼ、ぼ、ぼくは東北大学なんだよ」
周りの人たち「ふーん」(無関心)
ブランドスーツで固めた男「俺青学だぜ!!」(指定校推薦)
周りの人たち「すごい!!!○○君って、天才!!!中学から勉強出来たもんね」
理系ヲタク「……」(誰にも相手されずに帰宅する)
> 文脈上からも、そこに理系なる概念が包含されるはずがあるまい。
開き直っていうことじゃないでしょ。そこまでの知見を得て主張しろと言っているんだよ。理系について言及するなら特に。自分の専門の範囲に閉じこもって、そこでの議論のやり方に固執しているから、意見する気になれないんだよね。
だれもが万能ではない以上、自分の知る範疇から語るしかあるまい。そして、知らぬことは知らぬと率直に認めること。それが知的誠実というものである。もっとも君のように、それをして「浅はか」などと短絡し、それでいて自らは意見は述べられず、ただ「批判のための批判」に執着専門の御仁もいる。たまには自ら思うところを記してみても、罰は当たらんだろうに。無理なのかな。
さて、他スレで以下を記した。そこでは理系院卒の方々が興味深い意見交換を交わしていた。以下、転載(一部語句補正)。
『興味深い議論』
「一般企業に就職した経験なく、しかも文系の私にとって。そこで労働経済学の観点から日本の賃金水準を考える場合、まず相対賃金の問題がある。すなわち多少実質賃金が高くなったからといって、労働者の地位が向上したというものではない。それ以上に資本家の取り分たる剰余価値が増加すれば、労働者の経済状態は相対的に低下する。また、労働力の価値に照らしてどうか、との問題もあろう。すなわち労働者本人ならびにその家族が生活していくうえで必要な費用との関連で、現実の賃金の在り方はどうか、という点である。
そして、結論的にいえば、相対賃金をふくめたこの国の労働分配率は他国と比べ極端に低いとの事実がある。それは、この半世紀以上前(1970年)から変わらぬ一貫した現実である。ドイツのおよそ半分といってよい。世界第三位の経済大国、G7にあるこの国は、こと『労働』に関しては発展途上国並みの構造にあると言わざるを得ないのである。なにより、社会保障充実の為との口実でなされた消費税増税分のほとんどが、そうした一部大企業に対する過剰な法人税減税による税収不足分に充当されてしまっているのであるから(社会保障には、ほとんど使われていない)。
報道によれば、トヨタは史上最高益だとか。そのおこぼれを与えられ、同社の御用組合もいっそう使用者との癒着を深めたようだ。そして、労使一体となって権力にすり寄り、国の庇護のもと生き残りを画策しているように見受けられる。だが、それにより同社と取引する零細な関連・下請け企業ならびにそこで汗を流して働く方々の将来はどうなるのであろうか。もはや用済みとばかりに切り捨てられてしまうのか。あるいは、あの過酷な『ジャストタイムイン方式』なるものが、さらに強化されていくのか。
ここでの問題の解明には、そうした大きな観点からの視点もまた必要だと考える」
わかってないのかなあ。君は自分の土俵で一人相撲を取っているだけなんだよ。周りはそんな土俵になんかに上がりたくないから、外からヤジを飛ばしているんだよ。そりゃ、誰だって自分の勝てる土俵に相手を引きずり込みたいけど、それが見え見えなんだよね。
それでは当然、梅本克己の名著『唯物史観と現代』(岩波新書)もご覧になったことであろう。ところで、梅本はその後次第に思想を発展させ唯物論者に。さらに日本共産党員に。しかしその後、その官僚制を批判して脱党。以降、共産党系哲学者との間に激しい「主体性論争」を展開する。そうした梅本に対する彼らからしてした批判に、西田や田辺等の京大系観念論哲学者らからの影響を指摘するものがある。その当否はともかくも、梅本の思想的な来し方をみれば、そうしたものからの影響を否定することの方がむしろ非現実的だと思われるのである。その理由の一つに、昨日来申し上げたような事情がある。それを捨象して梅本らにつき、批判的文脈において「トロツキスト」と決めつけるのは※、あまりに一面的すぎると思われるのである。
※他方で、ある有力な研究者は、それはわれわれが言い始めたものではない。黒田寛一らが、当初その名前でグループを立ち上げていたではないか、と反論する。
「しかし、重要なことは、たとえそれがまちがいであっても敢てそれをやらねばならぬとした時点の把握であり、そのまちがいの責任を回避しないこと、その責任を負うてその成果を大衆に与えようとした前衛の血があそこに流れていたどうかということである。(・・・)区別は、責任を回避してその成果だけを誇示しようとするものと、責任をひきうけてその成果を大衆の中にひきわたそうとするものとの区別である」「民主主義と暴力と前衛」『民主主義の神話』所収。125頁(現代思潮新社、2010年)
哲学者梅本克己の言葉は、いつもわれわれを勇気づける。ゆえにこれからも、ひるむことなく発言を続ける。そして必ずや、私立学校助成を正常化し、私学への不当な差別も一掃する。
昔はそんなことは余り思っていなかったものの、最近になって思うのは、やはり世の中の根本は理工系だし、文系はそれを一部制御しつつもそれに左右されるものだから、私立学校にもっと理工系の振興策があれば世の中が面白くなるのではないかと考えているんですけれどもね。二俣川さんは建築系での私学の活躍ぶりを挙げてらしたけれども、それ以外の分野にね、あと二押しぐらい。
私学で日本最古の伝統有する理工学部であると聞いた覚えがある。そして当該建設業界にも多くの卒業生を輩出、実績を上げてきた、とも。それは「基幹」「創造」「先進」と西早稲田が3理工学部に分割しても変わるまい。むろん、彼等の研究実績はそれにとどまらず、数多く存するはずである。ただ、理系に素人の私にそれを具体的に語れる知見が乏しい。しかしながら、こうした掲示板で安易に侮られるほど低いレベルでないことだけは、文系のわれわれも承知している。




































