在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
これが旧帝大の現実
今年の成人式での会話
理系ヲタク「ぼ、ぼ、ぼくは東北大学なんだよ」
周りの人たち「ふーん」(無関心)
ブランドスーツで固めた男「俺青学だぜ!!」(指定校推薦)
周りの人たち「すごい!!!○○君って、天才!!!中学から勉強出来たもんね」
理系ヲタク「……」(誰にも相手されずに帰宅する)
関西、西日本の人間の方が数学ができるかのようなスレッドを以前立ててしまいましたが、阪大も最近は数学が簡単になっておりまして、ついには今年の文系数学で、積分で出てくる1/6の公式を導出せよなどという問題を出すようになりました(ちなみに東北大ではこの類の公式を断りなく使うことは禁じられているようですが)。やはり根本的なことの理解というものが疎かになっていないかと阪大の先生方も憂えているのかもしれませんね。
国民における戦後の高等教育への熱い思いの中、この国の大学入試はペーパー方式での一般入学試験を主にしてきた。それはたしかに受験生のある一面しか考査できぬとの弱点こそ有するものの、学力を図るとの入試の本質的要請は満たせた。また、努力さえすれば合格できるとの光明も多くの受験生に与えた。その意味で、そうした一般入学試験は社会に評価・容認されてきたといえる。しかし最近、さまざまな口実で以て、それを制約しようとの動きが散見される。その意図は何なのだろうか。(以下、転載)
「だが問題は、あなたのようにたった一つだけの『データ』の存在で以て、強引に結論-しかも、自らの価値観に沿う形で-に導こうとする非学問的・非科学的なありようの危険性である。まさに、現時点で『未決定』の領域に勝手な妄想の巣を作ろうとするかの如き暴挙である。科学的良心の清澄とは無縁である。なぜ、それにお気づきになれないのであろうか。
それは、受験生に関わる社会的・経済的格差との現実が鏡の如く反映されやすいAO方式入試の有する負の側面の追認にもなりかねない。そして、それがいったい何をもたらすのであろうか。結果的に、中高時代に留学経験等の機会に恵まれた大都会中高一貫私学等出身者らの寡占であり、キャンパスの同質化の進行である。右も左も、似た者同士。出自も価値観も、出身地も(出身校も)。
早稲田大学はそれに危機感を抱き、それゆえ『めざせ!都の西北奨学金』等で首都圏以外の高校出身者が家計の事情で進学断念することにないような制度を設けた。ただ問題は、そうでありながら他方で、AO方式をより拡充するかの如き矛盾したその方向性にある。それは実質的に公平・平等であるべき入学試験に対し、社会的・経済的不平等の介在を招くという最悪の事態に他ならない。
それをこの国の代表的私学たる早稲田が率先して行うことの重大性は如何に。これまで先輩方が築き上げてきた入試への信頼は大きく毀損されよう。またそれは、一私学の問題を超え、広義の世襲の固定化促進にすらつながりかねない危険性すら有する。そうであれば、この社会のダイナミズムやイノベイションなど画餅に帰しよう。いや、もうすでに実質的に手遅れなのかもしれない」
>その意図は何なのだろうか。
やっぱり京大みたいに左翼学生が紛れ込みやすい、昔の早稲田のスーフリみたいに悪いことをするために比較的難易度の低い第二文学部に再入学する奴がいた、というような事例を憚っているのでしょうね。
> 努力さえすれば合格できるとの光明も多くの受験生に与えた。
もはや一般入試も公平ではないでしょ。難関大学は受験対策を取れる私立の中高一貫校が多数占め、受験テクニックを教える塾へ行くのが当然になっている。明らかにお金を持っている世帯が有利になっているんだよ。しかも、首都圏の私立大学は十分な数の寮をもっておらず、自宅から通うことが前提になっている。首都圏と地方の大学進学率を比べればわかる。首都圏から出たことのない君にはわからないかもしれないが、もっと地方にも目を向けて日本全体を見ることをお勧めするよ。
そんなことは当然のこと。なぜなら、ここで私が指摘する「公平」「平等」とは、宗教的な絶対無差別ではない。したがって、それは君が軽率にも誤解するような数学的・機械的な絶対的平等ではなく、相対的平等をさす※。その観点から見て、「一般入学試験」は「AO方式による入試」に比べ、相対的に公平性が高いと思われる。たとえ中高生時代での海外留学の機会に恵まれなくとも、一般入試でなら勝負できる可能性があろう。社会もまた、それを支持したのであった。だからこそ、この国では「一般入学試験」方式が長い間、入試での主流と位置付けられてきたのであろう。私は、それをして受験生への「光明」と表現したのである。たとえ路は険しくとも、挑戦する価値がそこにはある、たしかに。
※「事実上等しいものは法的に等しく、事実上等しくないものは(異なっているもの)は、その性質に従って、法的に等しくなく(差別して)取り扱うべき」というもの。それゆえ私は、早稲田の『めざせ!都の西北奨学金』を高く評価する。それは、首都圏在住を除く優秀な受験生のみを対象にしたものだが、彼らが経済的事情で進学を断念することなきようにとの-首都圏在住受験生との実質的差異を有することに配慮した-肯定されるべき合理的差別に該当するものであるからだ。
たとえば、通信教育部を併設する大学では、新左翼系活動家らが新たな学内拠点建設のために特定の大学に組織的に入学(編入学)するとの事例は、過去には見受けられたようだ。
他方で、都内所在の某私立大学・大学院では、入学願書につき受験生の学歴・職歴欄に加え「犯歴」の記入まで求めるところがある※。しかも、不実記載は合格取消対象になり得る、との注意書きまで添えて。むろんそれが、江戸時代での「絵踏み」の如く、憲法19条で保障された「思想・良心の自由」、とりわけ「沈黙の自由」や米国憲法修正5条の「自己負罪拒否の特権」、さらに日本も批准した「国際人権規約」14条3項(g)にも抵触する疑い有することはいうまでもない。ただ問題は、それでもなお受験生に事前予防(いったい、何を何から「守る」?)的に申告求める、当該大学院側の意図である。こうしたものを、かりそめにも「大学の自治」を口実にするのであれば、それを漫然と許容する当該大学院・研究者らの見識を大いに疑う。
※たとえば、刑の執行猶予期間満了の場合には、どうすればよいのであろうか。この場合、刑の言渡はその効力を失う(刑法27条)からである。その結果、その刑に処せられなかったことになり、刑の言渡に伴うすべての効果が消滅する。




































