女子美の中高大連携授業
中学受験情報掲示板では英語教育を巡って揉めているが、数学や現代文の教育ほど重要なものはないと思う。
スレタイのとおりです。
哲学や数学を功利主義的な実利の道具と捉えるのもダメだが、これらの学問を倫理的利他的に振る舞わせるための理論という考えも同じようにダメだ。
そんなのは形を変えた功利主義に過ぎない上、知的誠実さを欠くウソやルサンチマンが混じってるから、もっとダメだ。
功利主義的に勉強して出世するぞ!という立身出世主義は、ある意味、それで幸せならどうぞというだけ。
コペルニクス、ガリレオ、ダーウィンなど、キリスト教の教えに背く理論を提唱した人たちは知的不誠実がただイヤだったのだ。
学問的真理に興味を持たず、ひたすら立身出世主義に邁進できる、これはある種の鈍感力。北朝鮮に生まれたら、所詮、金正恩には逆らえない。とするならば、いっそ、金正恩を心から崇拝する方が幸せだろう?
だから、エデュで就職が、偏差値が、という人々も自分を騙すことを選んだんだなと。
まあ、私も世の中で金正恩は嘘つきだ!と叫んだり、就職なんかダセェとか言わない。ただ、金正恩や企業のウソや弱さが見えたら見る。信者にはならない。それが哲学書を読む理由だな。
彼の『Die Wissensform und die Gesellschaft,S.6f(『知識形態と社会』)』につき昨日、一部をご紹介した。ところが偶然にも今日、ある先生からWilhelm Metzgerの遺作たる『Gesellschaft,Recht und Staat in der Ethik des deutschen Idealismus,Heidelberg 1917 』をご紹介された。ここにも、表記Max Schelerが登場する。
とりわけ、そこにある「もろもろの理念は、それらがその時代の諸利害により支えられる場合にのみ受け入れられる」との命題は、印象的である。それはおそらく、この掲示板で声高に放言され、またコピペされる「客観的」なる美辞麗句で誤解される過剰な「『計量的分析』信仰」の風潮につき、反省を促すものになろう。
もちろんそうなんですが、日本語の教科書で使われている記号は英語などの外国語で何に相当するかといった根本的なことへの関心は、外国への関心よりもむしろ、数学や理科を掘り下げる意欲から生まれると思いますので、ますます数学や現代文や理科などの教育は重要だと考えるようになっております。




































