女子美の中高大連携授業
不安定で良いなら経済学部、低め安定なら社会学、高め安定なら法学部
景況に左右されやすい金融・保険・証券や商社関係に行きやすい経済学部、ソーシャルワーカーや福祉関係に行きやすい社会学専攻、文系事務職の公務員になりやすい法学部、こういうイメージがあるのですがどうでしょう?
また、けっして正当派マル経学者らの肩を持つつもりはないが、今日のブルジョア陣営にある反動理論家らの果たす「役割」に、混迷する資本主義のもとでの深まる階級対立、階級闘争の本質を逸らし、隠蔽するとの働きがある。しかし現在、そうした彼らの「努力」にもかかわらず、大衆はその矛盾の本質に気が付きつつある。しかも、それは優れた労働経済学者であった隅谷三喜男らによる「(現代資本主義のなかで)所得格差が縮小し、消費生活も平準化し、中間層化現象が生じる」との見立ての破産をも意味すると思われるのである。
まあ生産・運用側の、さらに狭い数%の農業や20%程度の工業の研究が主体のマルクス主義では、調達側を含めた全体の1-10%程度しか把握していないのだから、大きな主語の「(マクロ)経済」や「資本主義」を使って語るのは、身分不相応かつ有害。
農民・農業セクター・労働契約とは?的なミクロな主語の研究をしていますと正直に言いましょう。
宇野派ら一部を除けば、マルクスは『資本論』でもって、資本主義の経済的構造に内在する矛盾こそが、資本主義をして社会主義に必然的に移行させる原動力であることを明らかにした、と解する。そして、その根底には唯物史観の存在がある。その大前提を没却した「批判」は、端から見当違いとの謗りを免れまい。
社会学というのはある種、左翼的な見地から哲学から分離した学問だと言えるかもしれないが、同じ「社会」を対象としては居ても、マルクス経済学と社会学の相性は良くない感じがする。後者に拘泥すると変革の機運を逃すだろうし、前者に引っ張られ過ぎると社会の古層を侮って痛い目に遭いそうな気がする。
階級論的には、マルクス主義と社会学とは水と油の関係にある。すなわち、ブルジョア社会学での「社会階層論」とは、高度成長を背景にした大衆社会論や新中間層を取り上げることが多い。しかし、そこには階級的搾取関係の視点がない。もっとも、それが彼らの狙いなのかも知れない。ちなみに、近代的社会における諸階級は、法律上の平等を前提にする。したがって、諸階級間の区別は法律上の特権にはなく、実質上の諸条件にある。
「身分は農奴制社会の属性であり、階級は資本主義社会のそれである(レーニン)」
教祖のただの個人的感想・希望・予測の「唯物史観」という虚構上に立てられた、砂上の楼閣の「資本論」(笑)
いくらあほな教祖が気付かなかったとは言え、時代が変化してきた後進の使徒たちは、忖度していないで、経済全体の中での考慮外だったピースをつなぎ合わせて、実証的に学問を発展させていっていいんやで。まあ宗教だからやらないだろうけど(笑)




































