入学後の不安が安心へ明誠の宿泊研修
「永遠のライバル」関東上流江戸vs地方国公立
地方国公立は大東亜帝国よりも下という結論が出たようです。
では、関東上流江戸桜には学力や研究力などで勝てるのでしょうか?
関東上流江戸桜
関東学園大学・上武大学・流通経済大学・江戸川大学・桜美林大学
●地方国公立
広島大学・岡山大学・長崎大学・熊本大学・滋賀大学・静岡大学・山形大学・富山大学・山梨大学・和歌山大学・山口大学・佐賀大学・鳥取大学・秋田大学・琉球大学・島根大学などなど
人口減少と言うけど、減っている最大の要因は「年寄りが一斉に寿命を迎えている」からです。
減ってるのは年寄りです。何か問題がありますか。
今寿命を迎えているのは、一番数が多い団塊世代です。そんなのが一斉に死んだら、全体としては減るに決まってます。
そもそも団塊世代のベビーブームが異常だったんです。兄弟が4人5人あたりまえの世代ですよ。
奈良時代(725年)451万人
平安初期(800年)551万人
平安末期(1150年)684万人
鎌倉幕府成立(1192年)757万人
室町幕府成立(1338年)818万人
江戸幕府成立(1603年)1.227万人
享保の改革(1716-45)3.128万人
明治維新(1868年)3.330万人
終戦(1945年)7.200万人
平成12年(2000年)12.693万人
江戸期前半での人口増加と後半での停滞、これは知られている所
あとは昭和一桁年の恐慌から開戦に至る経緯にも当時の日本の急激な人口増が関係、戦前の日本は移民送り出し国(ハワイ北南米と満州)だったのも人口増加が原因、戦前の台湾と韓国での日本語教育というのも言語帝国主義的な観点から面白い部分
100年後に人口減が語られる時代が来ると予測しただろうか?と思うのです
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江戸後期から明治前期までの年齢別人口および出生率・死亡率の推計
(島根大学学術情報リポジトリ)
「歴史的に見た日本の人口と家族」立法と調査 2006.10 No.260 P90~
人口停滞期だった江戸後期に対し、明治から昭和中期にかけて日本は再び急速な人口増加期に入った。明治以降の日本の人口変動を大別すると、(1)明治中期から 1920年代にかけての高出生率・高死亡率の「多産多死」の時代、(2)1920 年代から戦中を挟み 1960 年代までの「多産多死」から「少産少死」への「第一次人口転換」の時代、
(3)1970 年代から現在まで続いている、人口置換水準を下回る少子化の進行による「第二次人口転換」の時代(少子化の時代)に大別することができよう。
この背景として、(ア)戦後の経済発展の中で、「子どもの生産財から消費財への転換」という先進国共通の現象が生じたこと~~
~~1970 年代半ば以降、日本は第二の人口転換の時代-少子化の時代-を迎えた。昭和49(1974)年以降、日本の合計特殊出生率(TFR)は人口置換水準を下回り続け、~~
~~次に団塊世代の家族形成について述べることとしたい。
団塊世代の特徴は、(ア)兄弟数が4人以上と多い、(イ)地方から都市部へ移住した者が多いことである。戦後日本の急速な経済成長に伴う都市部への人口集中の最大の担い手が団塊世代であった。都市部に移住した団塊世代が、比較的近い年齢層同士で結婚し核家族をつくったというのがいわゆる「ニューファミリー」であった。 ~~
~~しかしここで注意しなければならないのは江戸時代からの伝統的な直系家族が消滅した訳ではないことである。地方には親と同居する「跡取り」夫婦がいたし、それだからこそ他の兄弟は都市部で核家族を形成することができた。非常に単純化した表現をすれば、団塊世代の4人のうち2人が地方に残留して直系家族を継承し、残る2人が都市部に移住して核家族を形成したのである。
翻って戦後を見ると「二人っ子社会」とは即ち「皆婚に近い状態を維持しないと人口が減少に転じる社会」である。経済的理由から実家にとどまり続ける未婚者の存在や、都市における未婚率の高さはかつての日本でも同様の傾向があったのであり、都市、農村、階層の違いによらず「皆婚、子ども2人前後」という状況が実現した 1950~1970 年代がむしろ特殊な時期であったと言える。
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まあ興味のある方は各自で読んで頂くとして、
・若年人口の減少が必定な前提で、理系と地方を大事にする
・首都圏の私学私文の営業手法として少子化と地方と国公立大学を関連付けたい目的は見破られたので、いくら続けても無駄だ。






























