在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
「文系は刺し身のツマ」に
今後は、産業ニーズと合ってるかどうかが重要。
学士と高専卒が同じ括りに。
例えば、DMG森精機
卒業・学位_____初任給__想定初任年収
大学院卒(博士課程)475,000円_6,825,000円
大学院卒(修士課程)310,000円_4,650,000円
大学・高専専攻科卒_300,000円_4,000,000円
ぜひ、機会あれば読後のご感想などもお聞かせ願いたい。そういえば今日、立ち寄った図書館で、吉田健一が生前に記した読書に関わるエッセイの新書版を手にした。最近すっかり文学関連の書物に目を通すことがなくなったので、妙に新鮮であった。ある総合誌で昔、新入社員に読ませたい本との特集で、ある作家が「文芸誌」を勧めていたことがあった。他の多くが「ドラッカー」だの「ガルブレイス」などといった経済思想家の書物を掲げていた中、それは異色であった。だが、今になると何となくわかる気がする。私見では、ヘッセの『車輪の下』がリトマス紙になると考えている。もしこの瑞々しい青春小説に違和を覚えたならば、それは精神的な老いの端緒である。
廣松渉の『相対性理論の哲学』には私も興味があります。
このテーマを聞いて即座に連想するのは、アンリ・ベルグソンとアインシュタインの同時性に関わる論争です。
私は、高校2年の時にベルグソンの『形而上学入門』を読んで、数学は時間を空間上の無数の点の連なりに置き換えてしか認識出来ず、「純粋持続」をそれとは全く異質な空間上の現象として把捉していく方法論しか持ち得ない、という分析を読んで大変な衝撃を覚えた経験があります。
その当時、ちょうど微分を学んでいたので、確かに微分方程式では、加速度を無数の空間上の位置における変化していく速度の連続と捉えていると考えて、この方法では「純粋持続」を本質的に理解することはできない、と思ったものでした。
廣松はこの問題をどのように理解しているのか、非常に興味があります。
廣松渉は
相対性理論の"哲理"を既成理論の枠組に押込んで判ったつもりになるわけにはいかないのである。
と書いたあと、
哲学徒としては、彼の提起を受け止めて、自らのパラダイムを更新することで積極的に応えることをこそ課せられている。
と述べて、例として
ベルクソンは一寸別になる
と言ったのみです。
数学的、物理的時間というのは、生命の本質である「純粋持続」が空間上に転写された影像に過ぎず、そこで時空が連続すると言っても、それは所詮、空間上の連続に過ぎない。
これがベルグソンのアインシュタイン批判の要点です。




































