女子美の中高大連携授業
中央法学部の偏差値は早稲田商学部に並ぶか?
都心へ移転した中央大学法学部の偏差値は、早稲田商学部に並ぶと思いますか?
もしくは、越すと思いますか?
その種の試みは昔からなされているが、やはり社会経験少ない学生の場合、どうしても机上の学問(教壇法学)になりがちだ。そもそも知識が記号や書物で伝達できるようになると、たしかに当該学習によって伝来的に獲得できる知は増大する。そのうえで、教育はもっぱら書物とその解説による学習で進められる。そこで「学校」という効率的なシステムの開発によって、体験なしの知識の獲得が可能になり、知識の外化による知識の大衆化も起こる。
こうした知識の外化や記号化は、あたかもマル経における「貨幣」のごとく知識という内的な価値を外的な事物に置き換えて交換・伝達の手段とすることで、知識を物化させた。これが学校教育を可能にし、そうした教育を受けたわれわれは、物化された形での知識を常識的に「持っている」と思い込んできた。法学の学習が、もっぱら教科書を読むことならびにそれを教授する教員によって進められてきたのも、そのためであった。また、それを補うものとして「ゼミ」が有効だが、そこでの議論の前提になるはずの知識が乏しければ、その効果も期待しにくい。
参考 70年代のデータ
《法・経・商系統》合格率50%以上
(英・国・社3教科型)
216 早大政経
211 中央大法
205 早大法
197 立教大社会
196 上智大法
192 立教大経
191 早大商
190 高崎経大経、法政大法、立教大法
189 明治大法、立命館大法
187 青山学院大経、慶大法、中央大経、関西大法
186 法政大経
185 成城大経、同志社大法、関西大商
183 上智大経、明治学院大経
182 中央大商
昭和47年度第3回大学入試模擬試験問題回答と解説
付:合否調査結果からみた合格可能性判定資料
旺文社
ところが、最近はゼミでの議論が低調になってきたと耳にする。さすがに大学院では異なるものの、学部生のゼミでは活発な意見交換が少なくなってきた。その理由として、第一に学生の読書の絶対量の不足、第二に(本掲示板でも横行する)「効率化・選別化」による学問への悪影響が考えられる。とくに最近は後者が顕著であり、我々のころにあった「実学優位」などといった次元をはるかに超越した文系(社会科学、人文科学)全体の否定-その反動としての過剰な「理系信仰」-との惨状である。
ちなみに、我々のころは構内のあちこちで学生同士の小競り合いがあり、同じキャンパス内にある拠点となる校舎に逃げ込む学生もあった。「しんぶん赤旗」新年号で志位委員長と対談していた某大新聞政治部の元記者も、学生時代のそうしたお一人である。ゼミも同様で、議論伯仲で授業時間を超過することも珍しくはなかった(研究室や居酒屋に河岸を代えても続けた)。それらが、この大学の有するパワーや存在感の表れでもあった。換言すれば、そうした学風に価値を見出した多くの受験生らの志望を集めてきたのがこの大学の伝統であり、歴史でもあろう。あなたや私のように。
商学部なんて三流学部はどこの大学でも法学部や経済学部に落ちた人が行き着く先だな。半端感満点だわ。
そもそも東大には商学部なんて三流学部設置してさえいない事からもわかる。
まあ商業高校の延長みたいな学部だから。
【1990駿台予備学校偏差値】
67.8早稲田政経
66.8上智法(国際)
66.7早稲田法
66.4慶應法(法律)
65.4慶應法(政治)
64.3中央法(法律)
64.3上智法(法律)
62.3明治政経(政治)
62.2明治法
早稲田と中大いずれにも縁のある私には、ここでのバトルに消耗感を抱く。どちらも立派で、好きな大学であるからだ。
むしろ、有力私学は『私立大学連盟』の旗のもとに一致団結、不当な私学軽視の風潮を断固粉砕すべきだと思われる。
そうした我らの先輩方は、権力に対する「在野精神」、あるいは在野法曹輩出における「中東戦争」として、ともに『東京大学』に象徴される官尊民卑的権威主義に抗ってきたはずである。




































