在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
中央法学部の偏差値は早稲田商学部に並ぶか?
都心へ移転した中央大学法学部の偏差値は、早稲田商学部に並ぶと思いますか?
もしくは、越すと思いますか?
連投になりますが、恐らくは、法学や法律と義務を結びつけて論じると、国家や社会のために命を投げ出せという所まで究極的には行きかねないので、中央大学の先生は義務に言及することは控えたのかもしれません。これが大阪府警によく採用される関西大学の学生向けの法学の講義であればそういう話も出るかもしれませんが。
古くオストワルド・スペングラーが指摘した如く、現代は本質的にローマの復活であり、延長だといえるのかも知れない。そうであれば、現代法もローマ法の復活であり、延長ということになる。なぜなら、ローマ法は所有権本意の法律だからである。すなわち「契約自由の原則」がこの所有権本位の法律と同一のコロラリーであることは、あえて指摘するまでもない。
社会の富は、私有財産権を確立することによってのみ増加せしめる。しからば、この私有財産権を実質的に独占、享受する階級こそ、資本主義法が保護すべき主たる対象ということになる。それゆえにまた、日本国憲法も財産権を保障し、資本主義社会を防衛せんとするのである。それにも関わらず、支配層たる財界、その政治的利益代弁者たる自民党が「憲法改悪」を画策するのはなぜか。
それは、日本国憲法の内在的理念たる「個人の尊厳」、さらに信義則や権利の濫用の禁止といった私法の一般原則さえ、彼らが忌避するからであろう。あくまで世襲による既得権益保持に固執し、そのうえでスタートから不平等な本質を隠蔽。他方で、欺瞞的な「自由競争」「自己責任」とのジャングルの自由のごとき弱肉強食社会であり続けたいからであろう。
たしかにローマは、滅びた。たが、ローマ法は時とともに栄えてきた。そこに資本主義がある限り。法学を志す諸君は、その土台にある「経済」の存在に留意して頂きたい。「政治は経済の機能であり、法は政治の表現である(末川 博)」




































