在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
中央法学部の偏差値は早稲田商学部に並ぶか?
都心へ移転した中央大学法学部の偏差値は、早稲田商学部に並ぶと思いますか?
もしくは、越すと思いますか?
因みに20代30代の人口は全人口の20%程しかいない。
大学進学率を半分とすると全人口の10%。
さらに中央法と早慶看板学部の上下なんか文理もあり半分以下の数%。さらに圧倒的の差があると考えているのはその一部。よって結論はわずかと推察される。
やっぱり宮本太郎などのような社会保障の専門家が、公務員をたくさん輩出する中央大学にいたりしたのは世の中に対するインパクトが大きかったと思われる。最近では、貧困に陥った人に対して生活保護を受けさせないようにする、いわゆる”水際作戦”などという文言が聞かれなくなったのも、社会保障を重視する傾向が強まったからだろう。
当時の中大はやはり、二部や通信部の存在が大きかったのではないか。現実に、そこからも優れた法曹が誕生していた。とくに理工学部含めた二部には、経済的事情で昼間部に進めなかった公務員諸氏が多く在籍し、押し並べて優秀であったと聞く。高卒現職警察官から検事に、税務署職員から弁護士にといった例も知っている。換言すれば、都庁や特別区の地方公務員らが中大(二部)に通学していたのである。
それすなわち、当時の旧司法試験が合格率3%、多くが学卒後司法浪人5年程度で合格との激戦であったことが、金持ちのボンボンら参入への事実上の「非関税障壁」になっていたものと思われる。したがって、当時の中大は正真正銘の「貧乏人(注_揶揄する趣旨ではない)」の大学であったといえようか。お茶の水時代をご存じの諸賢に異論はあるまい。あのサバの味噌煮定食を知るご同輩に。
国家公務員を合格者数だけで見れば、総合職(旧Ⅰ種)はここ10年は早稲田は中央の2倍~3倍、一般職(旧Ⅱ種)はほぼ同数か中央が幾分多いみたい。地方公務員も首都圏は早中どっこいどっこいみたいだが、都庁は早稲田、23区採用は中央かな。
戦後からの司法試験合格者数は、昔の貯金で中央>早稲田だが、それほど大きな差ではない。法曹三者別や弁護士形態はデータが無くてよく分からない。
公認会計士の合格者数は公認会計士三田会データでは、1975年から去年まで慶應・早稲田のワンツーフィニッシュが延々続いている。
司法書士、行政書士は公表データがないので不明だね。
ざっと調べた限りでは、圧倒と言うよりどっこいどっこいじゃないかな。
関西では公務員や士業は同志社より立命館と言われてきたが、昨今は同志社の公務員や士業が結構多い。立命館も昔のイメージを払拭して、著名民間企業の就職も結構好調だね。
この時期になると早稲田界隈は閑散とする。唯一の例外は「一陽来復」でしられるあの神社だけだ。明日明後日と今年も、あの札を求めてごった返すのであろう。はたして、ご利益はいかに。私も欲しい。
大学のほうも、学生の姿はほとんどなく、今日は「大隈」の前で韓国人留学生の男女が記念写真を撮っていた。北東アジアでの「早稲田」の高名ぶりは今だ健在のようである。もっともその大隈自身は、当時の日帝の国権的対外膨張政策の下手人でもあった。ろくな御仁ではない。
しかしながら、人気の少ない大学構内とは、いいものだ。系属の受験生らはこの時期、年明けの推薦合格発表を待つばかりか。6年後(3年後)の早稲田大学進学を夢見て、遠く九州は「唐津」で過ごしてきた都内近県出身生徒らの思いが報われることを切に願う。




































