在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
大学受験国語を考える
現代文の題材に選ばれるような文章はポエムに過ぎないだとか、
古文や漢文はいらないだとか、
いろいろ言われていますが、
大学に入ったら嫌でも文章を読んで書かないといけないので、
おそらくは小論文などとともに残るであろう、大学受験国語。
これについて考えていきましょう。
ちょっとお聞きしますが、webronzaの文章なんかはどう思われますか?あれこそ阪大や早慶以下の大学の国語や小論文で出すのにふさわしい、時事的な、海外の言葉で言えば"クオリティペーパー"の文章なのかな、と私などは思ったりするのですが。
ちなみに、岩波新書の黄版で面白そうだと思ったのが朝永振一郎の講演ですね。ちらっと見ただけですけど。
webronzaの文章を読んだことはないですが、今ぱっと見してみると、テーマが「私アンパン好き。あなたジャムパン好き」系の趣味の領域に偏っているような気がしますね。
朝永振一郎の文章を使うなら、彼の場の量子論は既に先端ではないので、先端のワインバーグの入門の下記辺りを国語問題文に使うのが妥当だと思います。
一般なら
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「科学の発見」
専門なら
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「ワインバーグ量子力学講義」
確かにワインバーグの文章は良さそうですね。
webronzaに関しては、下記の奥山俊宏氏の記事はかなりナイスだと思ったので、その他の記事はあまり考慮しておりませんでした。
https://webronza.asahi.com/judiciary/articles/2021070800001.html
いかにもお手軽な受験生的発想ではあるまいか。もっとも、それが最近の受験生全体に通じる読書量ならびに国語読解力の低下の原因ならば、笑って見過ごせるものでもあるまい。たしかに最近における学生全体の語彙力の低下は著しい。明治期に西洋の学問的概念の日本語化に尽力した先達らも、さぞや泉下で嘆いていることであろう。
たとえば団塊の世代の先輩方なら、高校時代からマルクスを手にすることはデフォルトともいえた。それゆえ、マルキストならずとも「『止揚』や『揚棄』(注_矛盾・対立を統一し、より高次の段階で生かすこと)」といったヘーゲル弁証法による哲学・思想用語を日常的に用いていたという。それがそのまま入試における評論文読解に役立っていたのであろう。だからこそ、彼らは当時の知的エリートたり得たのであった。
ところが最近は、不勉強な輩ほどそうした硬質の文章を読むことを怠り、あまつさえ「ポエム」などと自らの無知を暴露して恥じない始末である。百歩譲って、お手軽な受験生的発想でによっても、評論文読解のテーマに直結する語あるいは対立概念をおさえるキーワードなどで、さらに小論文においても、マルクスその他の思想、哲学用語は必須であると思われる。それは、良質な文章を読むことで、その用例とともに身に着けるべきものだ。
その意味では、現行中学入試での国語で、「主体と客体」「絶対と相対」「普遍と特殊」等の基本的用語の意味・概念を修得しておくことは、たいへんに意義深いものであると思われる。「二元論」や「形而上・形而下」の概念すら怪しい「三流理系」や「無名国立大学」の諸氏は、『早慶』の難しい入試問題以前にまずは首都圏有名中学校の問題から取り組まれることをお勧め申し上げる。換言すれば、有象無象の国立大学入試問題など、小六受験生でも解いてしまうということだ。
飛び級で学部三年から大学院に進学したかつての教え子(家庭教師での)は、小六で当時のセンター試験の現代文を解いた。当人はその際、目を輝かせ「これ、どこの『高校(の入試問題)』?」と、私に尋ねたことを思い出す。早稲田には、その程度の英才がゴロゴロ在籍する。東大に比べ、相対的に入学しやすいところも、あるいはそうした個性的な学生を結集しやすいのかもしれない。
灘校は二日目の国語などは論述オンリーですごい国立大学の入試問題としても通用しそうな問題を出題するが、灘校で完全におちぶれてしまった生徒は英語や数学ができないからでもあるが、神戸大学にも入れない状況が続いてきた。いわんや甲陽や大阪星光をやである。中高の間の国語の授業の在り方にも問題があるのは確かだろうな。




































