在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
大学受験国語を考える
現代文の題材に選ばれるような文章はポエムに過ぎないだとか、
古文や漢文はいらないだとか、
いろいろ言われていますが、
大学に入ったら嫌でも文章を読んで書かないといけないので、
おそらくは小論文などとともに残るであろう、大学受験国語。
これについて考えていきましょう。
私もほんの少しはそう思いますけど、早稲田の文化構想学部みたいな融合的な出題の仕方もありますから、そういう仕方で出題をする作問者と、どういう考えのもとでそのように出題しているのかについて議論しないと、なかなか思うようにはいかないと思いますよ。
まじめな話、現代の論評と思想といっても、選ぶ側の取捨選択がとても難しいと思うのですよね。
例えば、80年代だと浅田彰の『構造と力』が話題になりましたが、文章自体は悪文ではないにせよ、かなり難易度が高いせいで、市販教材でも『入試現代文へのアクセス』ぐらいでしか取り上げられていないはずです。昔からよく題材に使われた小林秀雄も、ちょっと読み込んだ程度では読み解けないと思います。というのも、10年くらい前のセンター試験で出された時の平均点がものすごく低かったですから、本気で出題されると高校生は全然手も足も出ないと思うのですよね。
最近では國分功一郎の文章がそこそこ使われていますが、私はノータッチです。なんか手が出ないんですよね。あと、私が経験した題材を書いた人物として挙げられるのは、中3の模試と神戸大学を受験した時の題材が佐伯啓思のものですが、朝日新聞に寄稿していることもあってか、そこそこ入試でも使われていますが、作品や対談によっては論調が憂国的すぎるので、扱うのが非常に難しい。
ですので、今以上に頻繁により多く現代文の題材を探し回るのが困難だから、出題者たちは古文や漢文を出すことでバランスを取る形を取って、お茶を濁している可能性すらあります。
ちなみに前の方のレスでも書きましたが、今年は同志社と立命で現代文の題材が被ってしまいました。両大学の出題者がまじめにアカデミックな最新の文章を探した結果でしょうね。
なぜ、大学入試に古文や漢文が必要なのか?
「古い法律」は今でも「生きてる」。
たとえば民法の出だし。
「民法第一編第二編第三編別冊ノ通定ム
此法律施行ノ期日ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム
明治二十三年法律第二十八号民法財産編財産取得編債権担保編証拠編ハ此法律発布ノ日ヨリ廃止ス」
これを
「民法を、第一編、第二編、第三編及び別冊の通り定める。
この法律を施行する期日は勅令(天皇の裁可による命令)をもって定める。
明治23年法律第28号民法の財産編、財産取得編、債権担保編、証拠編は、この法律発布の日から廃止する。」
という意味に誤りなく理解するためには、古文・漢文の知識が普通にいる。
(たとえば、古文では原則として主語に助詞がつかない。「定ム」はマ行下二段活用動詞で終止形が「定む」(口語文法ではマ行下一段で終止形は「定める」)
そもそも漢字片仮名交じりの表記は漢文の訓読体をベースにしているので、漢文にある程度なじみがないと違和感がすごい。
「このくらい分かるだろ」という人は、それは自分がいやいやながら「古文・漢文」をやらされてきたからだということを理解しておいた方がいい。
これが万人に絶対必要な知識・教育だとは言わない。
だから、義務教育では文法まで教えないし、大学入試でも、古文・漢文なしで入れる大学は普通にある。
そういう人が先の法律を見て「訳分からん」となることも、当然おかしいとは思わない。
だが、ある程度専門の学習を行う「高等教育」に進学する人間にとっては、戦前に制定された法律や文献が現代社会の重要な基盤となっているという意味で、やはりこれは普通に必要な知識のうちだろう。




































