女子美の中高大連携授業
大学受験国語を考える
現代文の題材に選ばれるような文章はポエムに過ぎないだとか、
古文や漢文はいらないだとか、
いろいろ言われていますが、
大学に入ったら嫌でも文章を読んで書かないといけないので、
おそらくは小論文などとともに残るであろう、大学受験国語。
これについて考えていきましょう。
桜蔭や麻布といった全国トップクラスの学校の入試がまもなく始まる。とくに、国語の記述問題が楽しみ。私学の場合、そこに学校の意図や見識のようなものが、明確に表れるからだ。他方で早稲田の一般入試でも、『旧二文』を最後に小論文試験は姿を消したものと思われる。しかし、それにより二文は当時、もっとも早稲田らしいと言われた。多くの国立大学のように、成績で輪切りにされ、しかも広く浅くまんべんなく得点するタイプではなく、癖のある、しかし何かに秀でた早稲田熱望組を歓迎したい。それには小論文がいい。
古文漢文は要らないな。
大学文学部限定でよくないか?
自分の出身校は漢文まで全員履修したな。
確か漢文チャートまでやらされうんざりした記憶がある。
大学受験の国語は、
現代文と小論文だけでいいと思う。
しかし、それでありながら他方で、文系全体に数学必修化を迫る矛盾はこれいかに。仮に大学生の教養として数学が必須というのなら、すべての知的活動の基本である母語(母国語とは異なる)ならびにその土台をなす古文や漢文の知見もまた同様のはず。しかも、理系研究で重要と思われる想像力の養成には物語文の読解も効果的である。主語が省かれる傾向にある古文(日本語は文法上の縛りが緩い)は、なおさらだ。先般逝去した作家の加賀乙彦氏は東大出の医師でありながら、それを理解、実践された理系人であると思われる。
漢文って中国文学ですよね。
大学の一般教養でやればいいのでは?
これからの社会で文理共通で絶対に身に付けるべきなのは、英語、数学、現代文。
他にも加えたいなら共通テスト程度の地理や世界史のような気がします、
あとの科目は学びたい人は教養として大学で学んでもいいのでは?
古典漢文より、情報とか経済とか法学などを高校でやればいいのに。
東大生には教養がある人が多いので、東大あたりは古文漢文があった方がいいのでは?
子供も非常に得意でしたよ。
大学ごとに特徴があって、東大はオールラウンダーが少なくありません。
文系でも数学・理科が出来るタイプ、理系でも国語・社会ができるタイプは大勢います。
子供が受験生の時、模試で文系型で受けても、理系型で受けてもA判定でした。
さらに、もっと科目が多ければ、多いほど楽になると言っていました。
東大の場合、定員を半分ぐらいにして、二次科目は、国語・英語・数学(文理ともに数Ⅲまで)・理科4科目、社会5科目ぐらいの方がいいかもしれません。
全部で13科目ですね。
それでも楽に受かる方は東大生には多いと思います。
受精卵が生育して個体になる個体発生の時に、あたかも単細胞生物から脊椎動物に進化する系統発生のような成長をするのをご存知でしょうか?
つまり、結果だけを知るのではなく、日本語がどのようなプロセスで今の形になったかを知るのは日本語を深く理解するために不可欠なんですね。
現に「矛盾」という言葉を理解するには、どのような故事に基づく言葉か知るのが最も早道です。
言葉は、世界認識の手がかりである。それゆえ完全なるバイリンガルを除けば、われわれは考えるときや表現するときに母語(幼児期に自然に習い覚えた日本語)たる日本語を使う。そのうえで日本語の特徴をみれば、そこに多くの中国渡来の漢語があることが分かる。それゆえ日本文化の特色とは中国(や西欧)の文化を模倣した雑居性にあるといわれてきた。また、聖徳太子の「憲法一七条」も、中国思想に依拠しつつ、言語化された。
このように、この国の政治、思想や文化の土台には、この国で「漢文・漢詩」と呼称された分野が厳然として存在する。まして、東洋にあっては学問とは学問思弁行の略であり、「道理に縁り、道理を対して、道とともにある、道の体現者になること」を意味した。しかし、もし大学という高等教育機関が一人前の職業人養成のための訓練場ではないとするならば、上述の意義有する漢文につき軽率に取り扱ってよいものか、より慎重に検討すべきものと私には思われるのである。




































