アートの才能を伸ばす女子教育
国際卓越大学申請
国際卓越大学に申請10件。
東大、東京科学大、京大、東北大、名大、阪大、九大、筑波大、早大、理科大
どこが認定されるのか。指定国立大から顔ぶれ変わるのか、私立大の認定はあるのか、旧帝大唯一申請のない北大はどうしたのかなど。
また、過去のSGU、指定国立大などの反省を踏まえどう運営されるべきかも含めて意見交換しましょう。
違います。
私は基本的に反対です。
反対の理由は単純で、世界で戦える拠点を作るという名目で、大学システム全体を賭けに出ている設計になっているからです。
波及効果を懸念している、という生易しい話ではありません。副作用が構造的に避けられない制度だと見ている。
トップ論文数で遅れているという危機感自体は理解します。ただ、1校でもいいから作りたいという発想は、研究を生態系ではなくプロジェクトとして扱っている。
研究力は単独峰では成立しない。人材の循環、失敗の受け皿、評価されない時間を許す層があって初めて立ち上がる。
科研費や地域中核大を引き合いに出すなら尚更で、そこを痩せさせたまま頂点だけを太らせれば、結果として人材もテーマも一方向に吸い寄せられる。
それは集中ではなく枯渇です。
切実感があるから賭けに出る、というロジック自体が研究政策として危うい。
私は最初から、その賭け方に反対しています。
>国卓の認定対象から外れる旧帝未満の国立研究大学、具体的には地方国立の中核校と博士課程を維持している理工系大学です。
英独などを見ても、これら大学すべてを世界で競争する大学にするのは無理だと思います。
科研費や地域中核大などの諸施策で裾野を広げていくということだと思います。
無理だ、という点は誰も否定していません。問題はそこではない。
私が言っているのは、旧帝未満の中核的研究大学をすべて世界トップ校にしろ、という話ではない。国卓という強烈な集中投資が走る以上、その外側に置かれる大学群が研究人材と博士教育を維持できる回路を、最初から制度に組み込めという話です。
英独を引くなら、尚更です。あの国々は、トップ校への集中と同時に、博士人材の循環や研究基盤の維持が制度として担保されています。勝手に裾野が残ったわけではない。科研費や地域中核大は、その代替にはなっていないから今の議論が出てきている。
裾野を広げる、という言い方も危うい。広げるかどうかではなく、すでに存在している博士課程と研究基盤をどう壊さずにつなぐか、です。ここを放置したままトップを作っても、数年後に研究人材の空洞が出るのは目に見えています。
要するに、国卓で何校挑戦させるかの話ではない。
国卓を走らせたとき、日本の研究システム全体がどう歪むかを事前に制御する意思があるかどうか。その点への答えが、まだ出ていないというだけです。
まあ、議論がかみ合わないですね。
たとえて言えば、オリンピック強化選手を増やせば一人当たりにかけられる資金は減るというトレードオフが起きる。
オリンピック強化選手を増やしたら金メダルの数が増えるのか減るのか、ということ。
私は金メダルを取れる可能性のある選手に限って選定すべきという立場。
そしてオリンピック強化選手に選ばれ無かった選手は他の目標や他の競技を目指すべきということ。
国際卓越研究大選定は大学の序列や評価とは別。
世界と競うグローバル大学、実践的なローカル大学はそれぞれに評価軸がある。
まだこんな的外れなことを続けているんですか。基礎研究の底上げなら雑用を増やすのを止めて、個々が研究する時間と研究費を増やすのが一番効果があるでしょう。そもそも日本の科学技術が衰退したのは独法化により文科省のしばりがきつくなったことが最大の理由です。
んニャ。
それは目的と手段が逆です。
国卓は雑用を減らすための制度ではなく、競争資金を巨大化させた結果として、むしろ管理・評価・報告が増える設計になっている。
実際、海外の同種制度でも、研究専念どころかPIの事務負担は増えています。巨大資金ほどガバナンスとKPIが厳しくなるのは当然です。
基礎研究の底上げに効くのは、卓越ラベルではなく、裁量経費と人の安定配置。
そこを触らずに国卓だけで雑用が減ると考えるのは、制度の実装を見ていない楽観論でしょう。































