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国際卓越大学申請
国際卓越大学に申請10件。
東大、東京科学大、京大、東北大、名大、阪大、九大、筑波大、早大、理科大
どこが認定されるのか。指定国立大から顔ぶれ変わるのか、私立大の認定はあるのか、旧帝大唯一申請のない北大はどうしたのかなど。
また、過去のSGU、指定国立大などの反省を踏まえどう運営されるべきかも含めて意見交換しましょう。
>反対する国民がいても日本の研究力向上など国民にとって必要な政策や良い政策は行うべきと言っている。一方で、認定されたにも関わらずその大学内で、協力体制が構築できないなら、認定返上し、協力体制が構築できる別の大学を認定すべき、ということ。
これ、二つの基準を都合よく使い分けているだけです。
皇室典範の件では、国民の9割が支持していても、それを覆して政府が「良い」と判断した政策を進めるべきだと、あなたは言っている。つまり、当事者の意向がどうであれ、結果として良いものを進めればいいという立場です。
ところが京大の件では逆です。学内に反対する学生・教職員がいるなら、その内部の不満・不協力を理由に認定を返上すべきだと言っている。つまり、ここでは当事者の意向こそが結論を左右する決定的な要素になっている。
同じ「当事者の意向 vs 政策の是非」という構図に対して、片方では「意向は無視して進めるべき」、もう片方では「意向に反するなら撤退すべき」という、正反対の基準を使い分けているわけです。
これは一貫した政治哲学ではなく、その場その場で結論に都合のいい基準を後から選んでいるだけです。国民の意向を無視してでも進めるべき政策があると言うなら、京大内の一部の反対も同じ理屈で無視して前に進めればいい。逆に学内の反対が結論を左右するというなら、国民の圧倒的多数の意向も同じ重みで結論を左右するべきです。
どちらの基準を採用するかは、あなたが結論を先に決めてから、その場に都合よく道具として選んでいるようにしか見えません。
>同じ「当事者の意向 vs 政策の是非」という構図に対して、片方では「意向は無視して進めるべき」、もう片方では「意向に反するなら撤退すべき」という、正反対の基準を使い分けているわけです。
国民にとって必要な政策(国際卓越研究大学)なら反対する人がいても推進するべき。(もちろん必要な制度設計の課題があれば改正すれば良い)
ただ、仮にその政策に賛同できず、認定されても成果が出せないなら辞退すべき。
と言っている。
前者は国としての政策、後者は個別大学の受け入れ可否についての話。
何も矛盾していない。
理解力の問題。
さらに言えば、反対している人が多いと言いながら、京大の関係者の多くは認定を喜んでいる。
おそらく東大もほとぼりがさめた頃を見計らって認定されるのだろう。
結果、国際卓越研究大は、東北大、東京科学大、京大、東大。
そして、阪大や名大、九大などは次順位の大学群の中で認定していく。その新たな次順位の大学群は国際卓越研究大にトライして撃沈した大学を想定していると思う。
大学群の入れ替えは法令上は認められるが、評価プロセスが複雑で多様であるため、現実的には難しい気もする。
①国際卓越研究大、
②新たな次順位の大学群、
③地域中核大、
という枠組みで政府は考えているはず。
京大総長の以下のコメントは、大学を代表した喜びと安堵、そして決意表明なのでは?
「国際卓越研究大学の認定及び体制強化計画の認可を受けた際には、京都大学は「国際卓越研究大学」として新たなスタートを切ることになります。本学が掲げた全学ビジョンの実現に向けて、総力を挙げて取り組んでまいります。」
反対している人が多いという論拠は見当たりませんし。実際、反対している人が多ければ申請さえできないと思いませんか。
京大内の大多数が反対しているのに、そのトップがその真逆のコメントを出しているとすれば、組織のガバナンスは崩壊しているということです。
組織のトップの発言ですから。
ただ、どんな方針選択をしても反対する人はいつも存在します。それは当たり前のこと。
それが大多数なのか、一部なのか、トップの発言を聞く限り後者でしょう、ということです。






























