今年入学した高1生が語る青春リアル
中央大学法学部は都心移転によりどこまで復活するか?
みなさんの予想はどうですか?
私は、
出身学部別での司法試験合格者数は1位。
予備試験合格者数では2位。
国家公務員総合職の合格者数では早慶を抜いて1位。
民間は今より良くなる。
偏差値は普通に早慶上位レベルまで上がる。
中央大学を良くするアイデアはネットで出まくっているのに、如何せんネットを使うことができない昭和の化石脳の中央大学経営陣には良いアイデアなんて浮かぶわけがないのよね。論理学上の必然だ。全て若い世代に任せればいいのに。学員時報読んで「年寄りくせぇ!」って思う若い世代は多いと思うなー。クラウドファンディングで多摩キャンパス内に東都大学野球専用のドーム球場でも作ればいいのに。絶対盛り上がるぞぅ!
入試レベルに関するデータでは、
1972年
昭和47年度第3回大学入試模擬試験
合否調査結果からみた合格可能性判定資料より
旺文社(英・国・社3教科型)
216 早大政経
211 中央大法
205 早大法
197 立教大社会
196 上智大法
192 立教大経、同志社大経
191 早大商
190 法政大法、立教大法
189 明治大法、立命館大法
187 青山学院大経、慶大法、中央大経、関西大法
186 法政大経
185 成城大経、同志社大法、関西大商
この時点の中央法は、早稲田の政経と法の間で私大社会科学系全学部2位・法学部1位ランクでしたが、旺文社の模試点数による判定は、結構上下にブレます。
10年後の1977年『週刊朝日』では、まだ私大法学部2位だったようです。
70 早稲田法
68 中央法
67 上智法
63 慶應法
大学合格だけではエリートにならないので、卒業後が問題ですが、
1960年代、高度経済成長期以前は、大企業はまだ私大生をたいして必用としておらず、当時の学歴フィルター「指定校制度」により、私大は早稲田政経(経済)、慶應経済の学生以外すべて採用対象外でした。60年代後半あたりから、ぼちぼち早慶の他の学部や中央の法学部などに手を広げていきます。
最近の記事より
https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20230220/se1/00m/020/003000d
「学歴無用」は名ばかり 横行する大学の〝格付〟 1967(昭和42)年 就職戦線〝指定校制度〟
本誌『サンデー毎日』1967(昭和42)年
同7月16日号は「これでも学歴は無用か 〝求人指定校〟という名の大学格付」と題し、実態を掘り下げた。日経連(現経団連)の調査によると、社員3000人以上の企業では、事務系採用で153社中116社が指定校制度を敷いていた。
記事では「一流企業」15社が国公私立113大学のどこを指定校にしているかを一覧表にして掲載した。東大、京大は全15社が指定。一橋大14社▽神戸大13社▽九州大12社と続き、〈私立で企業にウケのいいのは、まず早大、慶大、ついで中大、上智大、青学大となり、明大、立大、法大はそのあとになるようだ〉とある。
上の記事のように、学歴フィルターでは中央大が私大三番目でした。
ただし、エリートとなると、司法試験合格組か公務員組が中心です。旧司法試験合格者数は東大に次ぐ5000人オーバーで破格ですが、それでも中央の法学部卒のエリート層の中心は公務員です。官僚トップ事務次官は6名だけですが、それでも京大より多く、東大の次でした。早慶は当然ゼロです。次官までなれなくても課長級で大企業役員並のエリートです。官界は、私大では中央大学の独壇場で早慶二校を束にして比較しても全く勝負になりませんでした。
なお、こういう古い時代の事情は『慶応義塾の光と影』という本でも触れています。慶應の中でも格下学部だった法学部OBたちが中央に差を付けられて悔しい思いをしていたことが綴られています。※画像
『究極のブランド 慶応義塾の光と影』1992/池田信一著
http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1101052656/
今はなき「法学部コンプレックス」
受験生の間では法学部もすごい人気で、超A級の難関になっているが、一般の受け止め方はそうでもない。法学部ときいて「・・・?」とクビをかしげる人さえいるほどだ。「経済の慶應」というイメージが強すぎて、法学部の印象がうすいのだろう。
「塾内では経済学部より格下だったし、私立系の法学部としても中央大に差をつけられていた感じ。いろんな意味で中途半端でした」
とは、かつての法学部を卒業した塾員の話だが、いわば一流にちょっと足りない「イマイチ学部」だったのだろう。当然のことながら「独特の法学部コンプレックスもあった」という。
もっとも「経済学部と比較してウンヌン」といわれたのは、昭和50年代までのこと。最近は、ほとんど耳にしなくなった。そんな比較が意味をもたないほど、法学部の状況が一変したからだ。
刮目すべきことは、あの難関の司法試験に多数の合格者を出し始めたことだ。かつての慶應法学部を知っている人には、ちょっと信じられないことではないだろうか。
ひと昔前までの司法試験といえば、中央と東大がダントツの首位争いを演じ、かなり離されての3位以下には、京都、大阪、九州、東北などの国立が並んでいた。早慶とくに慶應はずっと下位だった。当時の合格者数は二桁にも満たないことが多かった。
それが最近は、一大変身をしたわけだが、同じことが早稲田の法学部にもいえるだろう。こちらも政経とは差のある「格下学部」とみなされ、くやしい思いをさせられてきたからだ。その早慶両大学が王者・中央大学をゆるがすほどになったわけだ。
>旧司法試験合格者数は東大に次ぐ5000人オーバーで破格ですが、それでも中央の法学部卒のエリート層の中心は公務員です。官僚トップ事務次官は6名だけですが、それでも京大より多く、東大の次でした。早慶は当然ゼロです。次官までなれなくても課長級で大企業役員並のエリートです。官界は、私大では中央大学の独壇場で早慶二校を束にして比較しても全く勝負になりませんでした。
事務次官の6名は1960年代の通算でしょうか?
官界とは当時の国会議員数ですか?




































