入学後の不安が安心へ明誠の宿泊研修
地方旧帝の凋落に伴う国立大学再編は?
どうでしょうか
首都圏在住の受験生には、地元に数多くの選択肢(大学)があるとの環境的な有利性がある。ゆえに、学費の問題は地方におけるほど深刻ではあるまい。また、優秀であればあるほどに、数多くの奨学金受給の機会も多い。それゆえ熱望する早慶受験を諦めて、学費が相対的に安い二流国公立大を選択せざるを得ないとの残念なケースは、相対的には少なくなるものと考えられる。その意味で、選択の幅が広い首都圏は、やはり有利であるといえる。
本掲示板での価値観に即した表現である。また、首都圏トップクラスの文系受験生らからすれば、首都圏所在国公立大で東大以外に「一流」は存在しえまい。なお付言するに、あの一橋すらも東大との比較では、さまざまな意味で格差がある。実際に、東大生らからの一橋への評価は意外なほど低く、厳しい。
国も費用対効果を厳しく見るようになったからねえ。研究成果を出していない私立大学へさらなる国費を投入するのは国民に説明がつかないね。
あと、国立大学と私立大学の条件を平等にしたら、理数系を軽視する生徒が続出して、文科省が定めた高校のカリキュラムが崩壊するから、5教科7科目を入試で課す国立大学を優遇するのは理にかなっているよ。
地方の再生・創生の定義として位置付けるべきは、まず第一に「GDP(県民総生産)」でしょう。
人口の増えた減ったは関係ありません。人口なんか、団塊が一斉に退場するんですから、どうやったって減るに決まっています。そんなのはどうでもいいのです。
増やすべきはGDPであって、GDPを増やすのに人手は必要ありません。そして人手が減った中でGDPを増やせば、一人当たり所得が増える、つまり「豊かになる」んです。
もともと過疎地の地町村役場はギリギリの人員で業務を回しているのに、そこへ新たな仕事を国から押し付けられたら手が回らなくなり外注になってしまう事は安易に想像できる。これを人員ギリギリで操業している中小零細企業に例えるとよくわかる。仕事はあるが人がいない。






























