女子美の中高大連携授業
「早稲田の政経です」「中央の法です」 学部まで?? つまり他の学部と違うということ? 他の学部どうなるの?? 理系だと確かに学科や専門を聞くことあるけど
聞かれてもいないのに、出身大学だけでなく「学部」まで答える人たちがいますね。
慶應だと医学部がマウントのトップで次が今は法学部だと本や雑誌で見たことがあります。
「早稲田の政経です」だけど「政治です」「経済です」までは言わないのでしょうか?
「中央の法です」だけど学科までは言わないのでしょうか?
「東大〇〇学部です」というのは、医学部ではありませんという謙遜だとも。。。
私は東京の某国立大出身なのであまり学部間のカーストみたいのは考えたことがなかったです。
でも学部を名乗るのはマウントとりたいわけでなく、むしろ学部はどこか聞かれることも多いようですね。
全国各地の大学でほかにも学部まで名乗りがちな大学はあるんでしょうか?
やっぱり国立大でも医学部だと「医学部です」と付け加えるのでしょうか?
>こう聞かれて微妙な反応になるケースもありますが、大抵こんな返答じゃないでしょうか?
東大「一応東大です」
京大「京大です」
埼玉大「一応国立です」
慶應「慶應です」
早稲田政治・経済「早稲田政経です」
早稲田スポ科「早稲田大学です」
中央法「中央大学法学部です」
法政「一応マーチです」
Fラン「高卒です」
皆様はどう返答しておられますか?
戦前の早稲田大学に入学する人の大部分は早稲田大学高等学院を卒業した人だった。早稲田大学高等学院に入学するのは非常に難しかったため、そこを卒業した人ならだれでも早稲田大学に入学できてもいいのでは、という意見も多かった、ということに過ぎない。
これは、戦前の旧制高校は入学も卒業も非常に厳しかったので、旧制高校を卒業した人の多くは殆ど無試験で帝国大学のどこかに入学できたのと同じような話である。
厳密には、戦前は旧制高校じゃなく5年制の旧制中学だったそうです。祖父からいろいろ聞きました。祖父も旧制中学から地元の帝大卒です。
祖父より少し上の早稲田卒の親戚がいましたが、地方から早稲田は人数が少なかったとは知りませんでした。祖父と同じ中学を出て早稲田大です。祖父は教員、その親戚(続柄はなんだろう?)は官僚でした。
慶應は、祖父の時代から頭が良いだけじゃ入れない(やんごとない家柄やお金持ち)という風に認識されている学校だったようです。
OBの長男は無試験にするというのは実現していれば有難いのでは。
早稲田は難関校になりたくてなったのではないと思う。
今は難関校になってしまったが、入試の改革は必要だと思う。他の大学ができないような改革を率先して実施してほしい。
地方出身の子にとっては、学費に加えて下宿代もかかるので、どうしても進学をあきらめざるを得ないでしょう。旧帝とか地元国立を目指すのが現実的ですよね。それに、現役志向が強くなってるのも、生活が厳しくなってるのと、タイパを重視する流れがあるからだと思います。
早慶に行けるのは、たいてい首都圏で実家から通える人たちが多いんじゃないでしょうか。
戦前は今のように6-3-3-4ではなく、6-5-3-2でした。旧制中学は原則5年ありましたので、今の中高一貫校のような感じです。
中学卒業が今の高校卒業のようなもので、進学先が分岐します。高級軍人を目指す人は海兵や陸士の試験を受験し、帝大を目指す人は旧制高校を受験し、商大や私大など特定の大学を目指す人は旧制大学予科を受験しました。当時、大学入試は存在せず、海兵、陸士、旧制高校、大学予科などの入試が今の大学入試のようなもので、熾烈を極めていました。
ちなみに早稲田大学高等学院は、早稲田大学の大学予科なので、当たり前ですが、卒業すれば全員早稲田大学に無試験で進学しました。
商大や北大の大学予科も卒業すれば、商大や北大に全員無試験で進学しました。
なお、旧制高校を卒業すれば基本はどこかの帝大には進学できるのですが(京大法学部なども無試験で入れます)、やはり東大法学部や各帝大医学部が人気があるので、そういうところでは入試があり、どうしても東大法学部などがよい旧制高校生などは浪人することもありました(旧制高校の白線の帽子にちなんで白線浪人と呼ばれました)。




































