充実した教育環境の日大付属高校
早慶など、附属高校からの内部持上り大学生は就活で有利のようですね? (中高受験時の高偏差値によって)
大学への受験方式も多様化し、多種多様な人材が求められる時代になった。
出身高校名は重要視されているのでしょうか?
実際に大学附属高校、進学校とある中で、どういう基準を引いて高校名まで選考対象としているのだろうか?
駿台模試 高校偏差値
男子
72 筑波大駒場
71 灘
70
69 開成
68
67 渋谷幕張 慶應志木 東大寺学園
66 筑波大附
65 早大本庄学院 早大学院 早稲田実業 慶應義塾 久留米大附設
64 東京学芸大附 大阪星光学院 ラ・サール
63 市川 西大和学園 ※日比谷
62 お茶の水 愛光 広島大福山 ※都立西 北野
61 洛南(空) 広島大附
60 ※大宮(理数)県立千葉 横浜翠嵐 堀川(探求) 茨木 天王寺 熊本
59 立教新座 大阪教育大池田 東海 国際基督教大学 青雲 ※県立浦和 国立 湘南 膳所
58岡山白陵 明大明治 桐朋 ※ 土浦第一 鶴丸
57 栄東 城北 大阪教育大天王寺 智辯学園和歌山 白陵 ※札幌南 宇都宮 水戸第一 戸山 岡崎
56 青山学院 清風南海 同志社 真和 ※札幌北 仙台第二 浦和女子 船橋 立川 岐阜 旭丘 四日市 済々黌 大分上野丘
55 巣鴨 江戸川取手 滝 立命館守山 立命館 ※高崎 前橋 大宮 厚木 柏陽 富山中部 長野 一宮 静岡 浜松北 嵯峨野 長田 高松
54 弘学館 早稲田佐賀 ※仙台第一 福島 川越 千葉東 都立国際 八王子東 川和 横浜サイエンス 横浜緑ヶ丘 甲府南 松本深志 西京 豊中 筑紫丘 福岡 甲南
53 学習院 中大杉並 中大附属 中大横浜 ※ 盛岡第一 秋田 山形東 市立浦和 都立青山
52 明大中野 大阪桐蔭 ※青森 八戸 安積 佐倉 薬園台 光陵 相模原 時習館 刈谷
・"※"以降が公立
・首都圏私立は、開成・渋谷幕張・市川 以外は3科
・私立の特進コース系は除外
地頭学力で言えば高校偏差値55以上だと高いといえるのでしょうか?
上記偏差値をご覧いただければわかるように付属高校は偏差値が高いのでそういうところが就職に有利に働いているのでしょうか?
中学受験時の偏差値も付属は高偏差値ですし。
> しかもそれが、エリア的に狭い首都圏が相対的に多数を占めかつ発信力が高いとの社会学的な意味合いにおいても。すなわち、(その当否はともかく)一強たる首都圏での価値観が一般性を有し、他方を圧倒しているという見方にもつながる。
幼稚な考え方だねえ。世の中すべてが自分中心で回っているとでも考えているのかな?社会通念というのは、最初はある特定の地域で発生した価値観や考え方が、全国に広まり各地に定着して初めて認識されるものだよ。首都圏にしか通用しない価値観や考え方は所詮ローカルなものでしかない。国民の大半が同じ価値観や考え方を有するものを社会通念と呼ぶのに、首都圏が他を圧倒するから一般性を持つとか意味が分からんよ。
君は生まれてからずっと首都圏に張り付いていて地方のことが全くわかっていないから、一度地方に住んで勉強してきなさい。
その八百万の神をタコと解釈すれば、多神教的に多数のタコツボが支配する世界であって分野横断的な新領域の開拓は難しい世界と言うことになりますね。
かつてはそれでも理系のノーベル賞受賞が日本には多かったのにね。
ノーベル賞がすべてとは言いませんが
分野横断的な新領域の開拓は私大におまかせ!
と言いたいのでしょうか?
> 学問の自由は、絶対的に保障されている。なぜなら、学問研究という精神的活動は本来外界からの干渉が許されてはならないことだからである。
君のポケットマネーでやる学問研究なら誰も文句は言わないし干渉をしないよ。公共の福祉に反しなければね。それが憲法23条で規定されている学問の自由だろ。
でも他人のお金でやる学問研究には制約が加わるのは、君がまっとうな社会人なら理解してもらいたいね。さすがにそれもわからないとなると、...。
>社会通念というのは、最初はある特定の地域で発生した価値観や考え方が、全国に広まり各地に定着して初めて認識されるものだよ。首都圏にしか通用しない価値観や考え方は所詮ローカルなものでしかない。国民の大半が同じ価値観や考え方を有するものを社会通念と呼ぶのに、首都圏が他を圧倒するから一般性を持つとか意味が分からんよ。
妥当な考え方
首都圏の価値観が日本の価値観こそタコツボ的思考
別論点ですが(笑)
実に削除が多いですね、検索すると昨日のコメントが消えている
宍道湖の最寄り駅で二〇川さんがシャッター街だと連呼していたけれど、実際に行ったら全然違った、ストリートビューで見たら割と普通の住宅地で駅の側の焼き肉屋や病院までが駐車場の台数が多くて車社会で成立してますね、というだけのやり取りを削除する必要って何なんだろう?
旅行には満足に行った事が無いのかもしれない、フェイクの虚偽だらけなのかな? 簡単に調べられてバレるような嘘ってことですか?何のために?
> 日本における学問研究は、明治期に国家がそれらを国立大学において導入した時に、分岐した専門分野だけを移植して、根元の部分の統一的な原理の追求の部分を閑却化してしまった。
あい変わらず、猫パンチ君はいい加減なことを言うねえ。確かに戦前の帝国大学には専門分野だけを移植したが、それは旧制高校で幅広く一般教養を身に付けることを前提としていたからだよ。旧制高校で様々な学問に触れることで統一的な原理の追究ができていた。そして戦後は、旧制高校を新制大学が教養部として取り入むことで、その流れを引き継いでいる。
一方、早慶をはじめとする私立の理工学部は、入試に国語や社会を課さないこともあって、国立大学よりも一般教養を身に付ける機会を設けない。1年次から専門分野に入ることが多い。だから、私立理系のほうがタコツボ化しやすい。
なぜ東大が今でも教養部を残し、東工大が池上彰を連れてきてまで人文社会系を学ばせるのか、もっと考えてごらんよ。
> その八百万の神をタコと解釈すれば、多神教的に多数のタコツボが支配する世界であって分野横断的な新領域の開拓は難しい世界と言うことになりますね。
違うね。八百万の神はタコの足であって、タコの頭が自然崇拝の基本概念として君臨している。つまりササラ型になっている。日本が環境系技術に関して世界で先行しているのはこの概念を共有していることが大きい。
>早慶をはじめとする私立の理工学部は、入試に国語や社会を課さないこともあって、国立大学よりも一般教養を身に付ける機会を設けない。1年次から専門分野に入ることが多い。だから、私立理系のほうがタコツボ化しやすい。
丸山の論点は、文化論的な観点から分析できる学問受容の態度から形成される研究機関の組織の形態であって、それは主に歴史的な背景から伺い知ることができる、ということにあります。
入試科目の違いはほとんど関係がない。
それぞれの専門分野の立てわけが歴史的にどのように形成されてきたかの問題なのです。
昔ながらの専門分野のタコツボが未だに改められていない旧帝大の研究室や、そこに運営費交付金が均等にばらまかれる慣習が助長する悪弊の問題なのです。
それに猫パンチってなに?
































