昨日からずっと、「私文という怨念の呪詛を口ずさみながら早慶と書かれた藁人形に五寸釘を打ち込む丑の刻参りをする人たち」と言い争いをしているのだか、彼ら(彼女ら)には二俣川さんに絡んでいた例の「数弱君」の匂いがする。
おそらく同一人物だと思う。
早慶に対する羨望が捻れ曲がって怨念に変じている。
彼女ら(おそらく)との言い争いは私の好きな論争ではない。
怨念を形づくっているのは、嫉妬と怒りと不安だ。
学問という論理に基づく理性的な論争の世界に話題を振ってくださるのはよく状況を理解しておられるからだと思います。