在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
私文専願者の価値って、なんだろう?
スレタイ通り
「私文専願者の価値って、なんだろう?」
価値観が多様化している今日、人は自らが大切にする価値観や主観に基づきキャリアを形成していく。その主観的側面をとらえた概念にcalling(天職)がある。これは個人があたかも自分の進むべき道であるかのようにある職業や役割に強く魅かれる感覚とでもいえようか。そして、個人が自分の専門や専攻、仕事をcalling(天職)としてとらえることの重要性やメリットがあらためて注目されるのである。
またそのメリットとしては、当該個人にとってキャリアの目標が明確である、目標に対するcommitmentが高い。仕事や学業、キャリアに対する自信があることなどが考えられる。それはまた、キャリアに対する自己効力感、学業や仕事に対する内発的動機付けといった心理学上の概念とも相関関係にあるものと思われる。それゆえ、そうした自信が人生に対する満足度、健康、活力、熱意をももたらす。
そうした概念により、人はある仕事や学問に存する楽しみや面白さに強い引力を感じ取る。そうであるからこそ、効率性や営利性とは正反対の本質を有する文系、とりわけ哲学や文学、史学等に私たちは「呼ばれる」のであろう。私がこの大学に縁を持ったのは偶発的出来事(chance event)であったといえるが、その後は「計画された偶然性(planned happenstance)」に転じたと考えられる。そして現在それは、上述calling(天職)の域に達している。
ごもっともですが、大概の文系は中学から高校に上がるあたりの二次関数や因数分解で躓いていますからね。あと、小学校の立体図形や展開図、中学での立体の切断が理解できずに大学を卒業した人はかなりの数に上るかと。空間認識が弱いと、文章を書き綴る際にも立体的思考ができずに尻切れトンボになる人はいるなあという感覚はSNSの経験で持ちました。
私の経験によると、一般に小学生時代にこそ空間認識が弱い傾向あるものの、成長につれて解消するとの印象だ。いずれにせよ、文系=数学が苦手と短絡せぬ方がよいと思われる。そんな単純機械的な発想は、有象無象の輩に委ねておけばよし。だからこそ先に、「天職」につき記したのである。




































