入学後の不安が安心へ明誠の宿泊研修
私学批判は貧乏人の僻み
東京の上流階級の多くは、あえて子供を受験戦争に巻き込まず、のびのびと育てたいというご家庭が多いです。
地方みたいに、公立小学校に行くことはまずないし、そうすると周りもそんな感じだから、上位層は自然と早慶の附属に行きます。
そして、あわよくば幼稚舎。
指定校推薦と附属校内部進学を同列に論じてしまうのはあまりに乱暴でしょう。
指定校推薦は、高校での継続的な学業成績や学校生活を評価し、高校側が責任を持って推薦する制度です。
一方、附属校は、中学あるいは高校入学時点で大学までを見据えた教育課程を選択し、その一貫教育の成果を前提とした制度です。入口も理念も全く異なります。
そもそも、入試制度の役割は受験生を苦しめることではなく、大学が求める学生を選抜することです。
仮に定員1倍だから試験ではないと言うのであれば、企業の採用でも、大学院入試でも、医局人事でも、内部昇進でも、募集人数と応募人数が一致すれば全て否定しなければ整合性が取れませんよね?
大学生全体のレベルを底上げしたいのであれば、本当に議論すべきは入口ではなく出口でしょう。
単位認定を厳格化し、卒業要件を満たさなければ卒業できない仕組みにする方が、学士の質保証という大学本来の役割に適っています。
入試を難しくすれば大学の質が上がるという考え方は、日本に根強い入口管理の発想です。しかし欧米の有力大学では、入学後の教育と卒業要件によって質を担保する出口管理の考え方が重視されています。
大学の価値は、どれだけ入るのが難しいかではなく、卒業時にどれだけ力が身に付いているかで評価されるべきではないでしょうかね。
何言ってんの?
倍率1倍、合格率100%は試験とは呼ばないでしょう。倍率1倍は許します、しかし、合格率100%はそんなもの実施する必要性がないです。
定員割れしている田舎の公立高校の入試でさえ合格率は100%ではありません。
話がみえていらっしゃらない。
誰もそんな事は議論していません。
そこは本質ではありません。
100%だから試験ではない、という言葉の定義を議論しても、大学教育の質とは何も関係がないからです。
仮に「試験ではない」で一致したとして、それで大学生全体のレベルは上がるのでしょうか。
私がお聞きしたいのはそこです。
大学の質は、どんな経路で入学したかより、卒業時にどれだけの力を身につけているかで決まります。
だから私は、入口だけを議論するより、卒業要件や単位認定を厳格化する方が、はるかに本質的だと申し上げています。
そこには反論されないのですね。
試験とは何かを議論したければ、他の方とどうぞ。私はあなたの主張に反論するつもりもありませんし、そもそもそこを議論するつもりもありません。






























