女子美の中高大連携授業
地方国立(宇都宮大学、群馬大学、静岡大学、金沢大学、新潟大学など) 併願先は大東亜帝国 チャレンジ校として日東駒専、産近甲龍
大手学習塾によると宇都宮大学、群馬大学、静岡大学、金沢大学、新潟大学、金沢大学、茨城大学、広島大学といった地方の国立大学を志望するときのチャレンジ校としての併願先は今は日東駒専、産近甲龍。
メインの併願先は大東亜帝国
現在の受験生の親世代とはかなり乖離しているようです
2000年代後半までは茨城大や群馬大しかり、和歌山大学、富山大学、愛媛大学、広島大学、静岡大学など各地方の国立大受験者は「日東駒専」「産近甲龍」の格上である「MARCH」「関関同立」を合格圏として併願し、国立大とそれらの難関私立大学群の両方に受かると前者への進学を選択するというのが当たり前だった。
今は立場が逆転。両方に合格すれば後者を選ぶ者の方が多く、そもそも後者にも受かる「W合格率」がかなり下落。
この10年あまり、大都市にない国立大の入学者で、学力レベルの低下が目立つとのこと。
地方国立難易度が落ちた原因は大局的には少子化。国立大に一般選抜入試で臨むエリア2~3番手の高校からの受験生が減っている。
私立大の指定校推薦や選抜型選抜など年内入試へシフトするようになったから。
ここまで変わるとは驚きです。
地方国立大は大東亜帝国には学力や研究力などで勝てるのでしょうか?
●大東亜帝国
大東文化大学・東海大学・亜細亜大学・帝京大学・国士舘大学
●地方国公立
広島大学・金沢大学・長崎大学・熊本大学・滋賀大学・静岡大学・山形大学・富山大学・山梨大学・和歌山大学・山口大学・佐賀大学・鳥取大学・秋田大学・琉球大学・島根大学などなど
何が悲しいといって、こうした競争を経て国内の教育機関で生き残っても、その実績でより条件の良い海外の研究・高等教育機関に転職できるような力が生き残った研究者に身につくか?という部分に大きな疑問が残るところです。
国の教育政策の「やっているふり」に付き合わされる研究者や教育機関が気の毒で仕方ありません。そして最後は巡り巡って国力の低下にしか繋がりません。研究や教育というのは、世間の人が想像するよりずっとクリエイティブなものです。点数化でその創造性の翼を切りすぼめても良い効果が出ないでしょう。
文科省と財務省は、大学には目標数値を立てさせて達成しろ、PDCAサイクルを回せとうるさいのに、自分たちの政策に関してはCheckしないんですよね。既に失敗が分かっている政策をさらに推し進めようとする。
研究予算は厳しいし、お金は国に出してもらえないから目標とか立てられ、縛りが多くなりそうです。会議や書類作りも多いでしょう。
また、研究室の学生に対する扱いも厳しくなるでしょう。実際に実験するのは学生です。
一時期,手狭になった都心のキャンパスの全部あるいは一部を郊外に移すという動きが活発だった.しかしその結果がダメだったので戻している.
郊外で広く新しくはなっても,移設先に学生街が形成されず陸の孤島だったりする.交通網もバスくらいしか整備されず,学生と教職員が通いづらい.学生はちょっと空き時間ができたときに居場所がなかったりする
元々郊外移転を推し進めてきたのは当時の政府でした。東京教育大学(現つくば大学)位で東京大学等は移転しませんでした。中央大学は全面移転しましたが、他も検討したけど頓挫したんです。外国の大学や企業が郊外にあるので見習ったんでしょうね。理系の研究系なら良いかもしれませんが。自宅から通いやすいのがポイントでしょうね
筑波大学の設立構想を練っているときは、理系教官は移転派、文系教官は反対派がほとんどだったらしいよ。反対派は実際、筑波に行っていないと聞いた。
筑波大学の創設は、その前の戦争で中断していた大学整備を再開する試みであり大きな総合大学を作るのを目的としていたので、当時から狭くて理系教官を中心に不満が大きかった東京教育大学の移転派と意見が一致したらしい。規模がさらに大きくなるのに、東京で土地が見つけられなかったのでしょう。
また当時吹き荒れた学園紛争から距離を取りたいという政府の思惑とも一致したのではないでしょうか。今の若い人には想像できないでしょうが、当時は歩道の舗装ブロックをひっぺがして、籠城していた東大の安田講堂のてっぺんから投げていたぐらいだった。これはエデュでは年配の私でさえ、当時は子供で後で聞いただけでしたが。
自宅からの通学を重視するのは、学部生ぐらいです。文系の教官は田舎に引っ込みたくはないのでしょう。




































