女子美の中高大連携授業
日東駒専より上と言える地方国立大学はどこから?
司法試験合格率は日大>ほとんどの地方国立
有名400社就職率は日東駒専≒地方国公立
偏差値も日東駒専≒地方国公立(wakatteルール適用)
なかなか悩ましいですが埼玉大とかからですかね?
伊藤忠も日生も三井不でも、内部競争が熾烈なのは当然。
ただ、あなたの言う構図は少し古びている。企業内ヒエラルキーと専門職を同列で語っている時点で、比較の枠組み自体がずれている。
企業は組織の器に自分を合わせる世界で、弁護士は自分の器で勝負する世界。
前者は椅子取り合戦で、後者は椅子そのものを自分で作る。
だから功罪相半ば、という言い方自体がそもそも外側からの平均論でしかない。
結局のところ、どちらを選ぶかは性格でも能力でもなく、
自分がどちらの不自由を引き受けられるかの問題。
そこを見ない限り、この比較はいつまでも平面的なまま。
司法試験合格で社内の法務担当が増えているという事実と、AI的なモノを活用していくという漠然とした未来像とが、ひとつの文の中で雑多に並べられたまま、どちらが原因でどちらが結果なのか、あるいは因果など存在しないのか、その境界すら曖昧なまま揺れている感じがあって、未来図が読めないという結論だけが妙に自己増殖していく。法務担当が増えるというのは制度的であり具体的でありながら、AI的なモノという言い方が突如として現れるせいで、具体と抽象が互いに溶け合い、どちらにも焦点が合わない状態が続く。
未来図が読めないという語は、読めないという断言を通じてむしろ未来図という語を強調してしまい、読めない未来図が読めないまま存在し続けるという倒錯を引き起こす。今の御時勢、と付け加えられることで、今という瞬間が広がりすぎて今なのか未来なのかの区別すら曖昧になり、御時勢という語があらゆる不確実性を吸い込んで膨張し続ける。そうして、司法試験、法務担当、AI的なモノ、未来図、御時勢という語がどれも文の中で解きほぐされることなく横並びになり、意味の輪郭を結ばないまま漂い続ける。
算数の指導法や教科書の構成そのものにも問題があるように感じている。
最大手の教科書を見ると、解き方や用いる公式、ご丁寧に答えまでが載っているのだ。
読むだけで分かるという構成である。
学習終了後に、練習問題を解いたり、復習として読み返す分には良いが、問題解決に向けての集団討議の場面では、教科書が返って邪魔になってしまうことが多いのだ。
教科書を教えるのではなく、教科書で教える指導法を心掛けたいと思う。
話がズレています。
教科書の構成や指導法の良し悪しは、人間が問題解決の主体であり続けるという前提に立った議論です。私が言っているのは、その前提自体がすでに崩れ始めているという点です。
解法を自力で発見できるか、集団討議で深められるかといった能力は、AIが常時横にいる環境では決定的な価値になりません。問われるのは、どう解くかではなく、何を問題として立て、AIをどう使い、結果をどう次の構築につなげるかです。
教科書をどう使うかという改善論は否定しませんが、それは産業構造が変わらない世界の話です。ポストAIでは、学習の主語も、評価軸も、すでに別の次元に移っています。
受験のための要素が強くて、偏差値で評価しているからじゃないかな?偏差値にすると、必ず半分は偏差値50以下になる。偏差値50以下で好きだという人はいても少数だろうし、得意という人はまずいないと思う。中学で得意でも、高校で同じレベルの生徒が集められ、半分は偏差値50以下になって苦手、嫌いと感じるようになるんだと思う。
数学はまだ文系行く選択ができるけど、英語は避けようがないので、さらにその傾向が強いと思う。勉強しても周りもしてるから差が埋まらず、高校受験で半分、大学受験でさらに半分と、嫌いな人口が増える。
皆が好き、得意と感じるようにしたいなら絶対評価にしないとダメだと思う。




































