入学後の不安が安心へ明誠の宿泊研修
私立大学出身者はエリートと言われますが、国立大だとどこまでがエリートですか? せいぜい東大一橋東京科学までですかね? 東京藝術大学や医学部もですかね?
それとも京大阪大くらいまで入りますか?
良いお話です。
理系の私はそこにも水を差してしまうのですが、お母様の手、遠赤外線の効果もあるのですよ。科学的に。
お母さんにお腹をさすられて腹痛が和らいだとか経験ありませんか?遠赤外線には癒しや安らぎの効果があるのです。
とは言え、私も身近に統合失調で苦しんだ身内がいました。
一人は残念ながら私の目の前でトラックに突っ込んで即死しましたが、一人はいま普通に働けるまでになりました。
救ってのは病院でもドクターでもクスリでもコトバや愛情なんていうチープなものでもありません。
家族の忍耐と覚悟、そして差し伸べる手の温もりです。
残念ながら光は差さない事もある。
だけれど、温もりは生きている限り必ず誰かを温め得るのです。
わたしはうつ病を患いました。仕事なんて出来る状態ではなかった。
家族を養う立場だったので、休職して傷病手当受給(受給期間は1.5年)を選択しました。1.5年で治る保証もないままそれしか道はありませんでした。
休職前はうつ状態で約半年間這いつくばって会社へ行きましたが、とても働ける思考回路ではありませんでした。
行き帰りの毎日の通勤中に見掛ける高いビルや木の枝、川に架かる橋、駅のホームを眺めながら踏みとどまっておりました。
いよいよヤバくて休職しました。
幸い、休職期間中、自宅にひきこもり、回復しました(病を脱して6年超になります)。
良かったですね。
病院や精神科医、ましてクスリなどでは絶対にうつは治りません。
そもそも抗精神薬に精神疾患を治癒する機序などないのですから。
あなたは幸運だったのだと思います。
分かりませんが、家族に恵まれたのだと思います。
可能になったのであれば、今度はあなたが家族を支えてあげてください。経済的に、じゃありませんよ。精神的に。
社長の定義と世間一般に思う社長のイメージに乖離があると思います。
「社長=なんとなく凄い人、社会で成功している人」というイメージと出身大学を紐付けるなら、会社の規模毎に出す必要があると思います。
例えば、正社員が5人以下の社長の数だけ多くて全体数で1位の大学と、全体数は10位だけど正社員1,000人以上の会社の社長の数では圧倒的に1位の大学があれば、後者の大学の方が優れているイメージを持たれると思うので。
不思議なもので、仲良くなる人と仲良くなれない人は、一瞬でわかるのは、なんとなくわかります。
そして、仲良い友人とは自分も含めてなんとなく顔が似てます。これは遠く離れていても、全然会ってなくても、やっぱり、仲良くない人に比べて、顔が似てる気がします。
もしかしたら、最初から顔を見て似てる感じの人を選んでいるのかもしれません。
「ルッキズム」だと批判する人がいそう。
なぜならルッキズムが批判するところと、「顔」や「印象」は地続きで境い目がないから。
ルッキズムをあってはならないこととして全否定するよりも、「顔」や「印象」を発信する側と受け止める側それぞれのリテラシーを高める方がよいと思うのだが。
ルッキズムという言葉を持ち出すと、議論がいきなり道徳の側に寄りすぎて、現実の構造が見えなくなると思います。
顔や印象は、評価されるべきではないという理想と、実際には人の判断に強く影響するという現実が、同じ場所に重なって存在している。境界がないのではなく、境界を引こうとするほど世界の方が先に動いてしまう。そのズレこそが問題の核心です。
だから必要なのは、否定か肯定かという二項ではなく、扱い方の設計です。発信する側は、自分が与える印象が他者の機会を奪い得ることを自覚し、受け取る側は、表面的な手がかりに判断を預けすぎないための読み解きの力を持つ。この二つが同時に育たない限り、ルッキズム批判は空回りします。
見た目を巡る議論がこじれるのは、人の評価に混ざり込むノイズを減らすという本来の目的が、感情論に置き換わってしまうからです。必要なのは、見た目の影響をゼロにすることではなく、見た目だけで人生の分岐が決まらない社会的な土台をどう作るかという視点です。
つまり、争点は倫理ではなく構造。見た目の問題を語るなら、評価の仕組みそのものをどうチューニングするかという地点に話を戻すべきかと。
ちなみに私はルッキズム上等。美しいので。






























