在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
慶應出身が中央政府の官吏(現在の国家公務員に相当)の多くを東大より占めていた 明治初期 民から官への流れにすべき? 官から民への流れを継続すべき?
1877年に東大が設立されました
1881年まで中央政府の官吏(現在の国家公務員に相当)の多くは慶応義塾の出身者だったが、1878年5月に大久保利通がいなくなり、1881年の政変で大隈重信が追放された後、政府部内の福澤諭吉の影響力が失われて、自由主義的な慶応出身官吏を伊藤博文ら権威主義の薩長藩閥の意向もあって、国権主義的な官吏となるべく高等文官試験を導入したことにより、結果的に同試験で有利な東大卒登用の比率が圧倒的になったという歴史があります。
実は東大の初代総長の渡辺洪基は、慶応出身。 第3代、第8代の濱尾新も。トップの二人も慶応出がいるという、明治初期のころの角逐がよくわかる。
福澤諭吉は従来の日本の門閥制度や官僚主義を良しとせず、欧州において政府から独立した中産階級が国家を牽引し発展させる考えがありました。
しかし当時列強と国際社会で肩を並べる強国をめざすうえで民から官へという流れがありました。
一方戦後一貫して西側諸国に入った日本は官から民へという流れできて、自由競争社会で弱肉強食の世界になってきていると思います
戦前のような民から官への流れにすべきだと思いますか?
それとも今まで同様官から民へで弱肉強食社会で格差を認める社会がいいですか?
そもそも東大生も京大生も官吏・官僚を養成するための機関だったのに世の中の流れから官から民へつまり官僚を目指さず民間企業で高給取りを目指すのは戦前の大学の目的とは乖離していませんか?
大企業の利益と一個人の利益が衝突した時に、確かに当該個人は割を食うかも知れません
それでも大企業が存在し活動することにより、大企業従業員とその家族、子会社や関係会社、取引先の従業員とその家族、さらには本社、支社、工場の所在地の地域経済や地方自治体、従業員が居住する自治体、更には関係者から広がる様々な消費活動、加えて株式債券などの金融取引など、社会に齎す恩恵は計り知れず、これらは全て公益となります
また、高度な能力を持つ人材は、官民問わず、高い付加価値を生み出す可能性が高く、この国の発展への寄与度が極めて高くなります
お金がなくても望む人には平等に教育をということなら、学費は高くてもよいのでは?
ただし、学生時代には支払いが発生せず、学びたいことをしっかり学んだあと社会に出てから大学に学費を分割で支払う。
これならいくら高くても学びたい人は学びに行ける。
国立大学と私立大学とで学費が2倍以上の開きがあれば、好き好んで私立大学に行く人はいません。
私学の雄である早稲田や慶応ですら、旧帝大に合格すると受かっても入学しない受験生が少なくありません。
それどころか地方旧帝大受験生では早慶は併願出来ません。
また東大生が外資やコンサル、あるいは総合商社にばかり行くのはかなり問題が大きいと思います。
彼らは結局資本主義社会の勝者、セレブとしか付き合わない上、金があることが人生では大切なんだという価値観を植え付けられ、それに基づいて行動しようとします。
莫大な国費をつぎ込んだ大学に、日本人と同じ格安の学費で外国人が学べるのがおかしい。
英米系みたいに学費は純粋に市場経済に任せた金額にし、日本人を給付型奨学金等で救うべきだ。
今のやり方だと、東大生はどれだけ自分に国費が投入されているか実感しづらいだろう。
年間500万円の学費のうち450万円を奨学金で援助します、となれば恵まれた援助を自覚できるだろうし、外国人を対象外にすれば、学費の安さ目当てで入学する外国人を排除できる。
東大出ても、経営や商売の事は学べんから、コンサル行って経営学んで、商社行って商売学んだらええ。
霞が関は風変わりな人も多いけど、基本は真面目や。真面目過ぎるから財務省は評判悪いんやと思うよ。真面目に大事な税金を無駄にせんようしてる。立派やけど真面目だけでは上手く行かんことある。日本のために経営や商売学ぶんは悪くないよ。
失われた30年で日本は先進国から転落し、後進国となりつつあります。
大卒初年度の平均年収は350万程度で、米国の650万に遠く及ばなくなりました。
優秀な学生であれば、その格差は更に拡大して文字通り桁違いとなります。
その様な状況において、東大生に国内に残って欲しいと言ったところで聞いてもらえるはずはないでしょう。




































