アートの才能を伸ばす女子教育
【偏差値無意味時代】早稲田大推薦比率を6割以上、東北大AO総合型100%へ
偏差値って意味あるんですか?
予備校の宣伝道具ですか?
偏差値がどうだとかいまだに議論している人はもう古いんですか?
例として東北大が一般入試100%にしたら埼玉大以下ですが。
卓越大への国からの交付金は選定された大学が自主的に確保した基金と同額を与えるマッチングギフト方式だそうですよ。選定されても自主財源確保努力が無いともらえません。東北大はその点学内学外の基金獲得活動に熱心で頑張っています。
私大に対して多額の公的補助金が投入されている。しかし、定員割れを起こしている大学にまで税金を投じ続ける必要が本当にあるのかは疑問。学生を十分に集められない大学は、教育の質や社会的需要の面で課題を抱えている可能性が高い。そうした大学の“利益補填”のような形で税金が使われるのは、国全体の資源配分として合理的とは言い難い。
一方で、旧帝大をはじめとする研究力の高い国立大学は、世界的な競争の中で資金不足が深刻化している。研究環境の整備や優秀な人材の確保には安定した財源が不可欠
定員割れの私大への補助は、大学の救済というより地域の教育機会維持の側面が大きいですね。地方では私大が事実上の高等教育の受け皿になっているケースも多く、単純に切れば進学機会そのものが縮小します。
加えて私大補助を削れば旧帝大の研究費が大幅に増えるという程の規模でもありません。問題は配分というより、日本全体の高等教育・研究投資そのものが少ない点です。
私大補助か旧帝支援かという二者択一にすると、寧ろ議論の焦点を外してしまうと思います。
定員割れの大学は、実績・人気がなく、必要とされていないことは明白である。
日本全体のことを考えれば、実績がある人気校への補助金を増やした方が良い。
そもそも全員が大学に行く必要もない。高卒で働くことの何が悪いのだろうか。
ましてや、大学に行きたいのであれば、社会人経験を積んでからでも大学に入れる制度を拡充した方がよい。
そろそろ大学への補助金を見直す時期に来ている。
発想が直線的すぎる。
大学を減らせば効率化できる、人気校に寄せれば全体が良くなる。。。その前提自体が、いまのフェーズでは既に外れている。問題は「数」ではなく、大学という制度をどの機能で再配置するかだ。
現実には、少子化の局面でも新設構想が出てくる。佐賀の武雄アジア大学のように、教育・医療・雇用を束ねて地域の存続装置として再設計しようとする動きもあれば、三重のように頓挫するケースもある。この差は需要の有無ではなく、大学を単なる教育機関として扱うのか、地域統治のインフラとして位置付けるのかという哲学の差。
「定員割れ=不要」と切り捨てた瞬間に起きるのは、効率化ではなく回路の断絶です。進学機会が縮むだけでなく、教員養成、医療人材の供給、若年層の滞留といった機能が連鎖的に痩せる。人気校への資源集中で埋まる性質のものではない。
高卒就労やリカレント教育を持ち出すのも論点のすり替えに近い。本来は並行して設計すべき層を、「大学を削る理由」に使っているだけで、地域側の機能低下には何の答えにもなっていない。
結局、「補助を削って強いところへ」は分かりやすいが浅い。必要なのは、研究は集約、教育は分散、そして医療や雇用と接続する拠点は維持・再編という機能別の設計。その視点がないまま淘汰を語るのは、政策ではなく放置です。
大学は潰れるか残るかの二択ではない。社会の中で役割を変えながら組み替える対象です。その意思も設計も持たずに「いらない」と言い切るのは、思考停止に近い。
昔の各大学は受験料だけでぼろもうけしたようですね。
しかし、その時代の後に訳の分からない大学や学部を作ったって、我々の世代がピークなんだから入学者が減っていくのは当たり前のことで、なぜ私たちの時代の時に作れなかったのか。と思います。
時間軸の取り違えですね。
「自分たちの世代のときに作れなかったのか」という発想は、需要を一点で切り取っている。大学は単年の受験者数に合わせて作るものではなく、制度として数十年単位で整備されるものです。設置・認可・用地・人材確保、どれもラグがある。ピークに合わせて増減できる性質ではない。
加えて、その後に増えたのは単なる「訳の分からない学部」ではなく、看護、福祉、情報、観光など、当時の社会需要に対応した領域。結果的に18歳人口が減ったから過剰に見えているだけで、当時は合理的な拡張だった側面もある。
そして重要なのは、今の局面で問われているのは「なぜあの時作ったか」ではなく、「これからどう再配置するか」。過去のタイミングを責めても、人口構造は戻らない。必要なのは機能ごとの組み替えです。
受験料で儲かったかどうかという話も同様で、制度設計の本質からは外れている。論点は収益ではなく、教育・医療・人材供給という社会インフラをどう維持し、どこに集約し、どこを残すか。
過去を単純化しても、現在の設計は一歩も進みません。今問うべきは、需要が縮む中で機能をどう再配線するか、その一点です。
































