アートの才能を伸ばす女子教育
地方国立大学の偏差値が、ここ数年で急激に低下したのは何故だと思いますか?
地方国立大学の偏差値が、ここ数年で急激に低下したのは何故だと思いますか? 僕が受験生だった頃はそれなりに(marchと比較できるくらいに)レベルが高かったと思いますが、あまりにも急激すぎて、地方の人口減少だけでは説明できないと思います。
今受験生や大学生の方は何を思って地方大学の優先度を下げたのかが知りたいです。
言っていることはどれも表面的。数字や現象を並べているだけで、構造を見ていませんよね。
受験産業も地方創生も、終わるのではなく形を変えるだけです。変わらないのは制度と発想の方でしょう。
人口や税制を語るなら、悲観ではなく設計を語るべき。未来を論じるなら、嘆くよりもどう変えるかを示すこと。その視点がない限り、どんな議論もただの雑音になりますよ。
AIの開発はすごく効率的ですね。場合によりますが実感として5倍から10倍くらいのスピードで作業できます。
ただこれって、手縫いがミシンになったり、釘を金槌で打っていたのが木ネジを電気ドリルで着けるようになった感覚に近いですね。
どちらもその道のプロにとっては道具が変わっただけでプロはプロです。
一方未経験者にとってのこれからについては未知数です。最初からAIがある世界で入ってきた新人がどう育つのかは結構楽しみです。
効率が上がるという実感そのものは正しいと思います。ただ、そこで語られているのは道具としてのAIであって、構造としてのAIではありません。ミシンや電動ドリルの比喩が当てはまるのは、作業工程が単純化される局面だけです。けれどAIが本質的に変えるのは、作業の速度ではなく、作業という概念そのものが分解されていく点です。
プロがプロのままでいられる理由は、道具が進化しても判断の体系が変わらないからです。しかしAIの場合、判断の階層が外部化される。思考の下処理や構造化が機械側に移ることで、専門性の輪郭そのものが再描画される。これは道具の置き換えというより、生態系の書き換えに近い動きです。
新人がどう育つかという問いも、もはや従来の育ち方を前提にする意味が薄れています。最初からAIを前提に入ってくる世代が身につけるのは技術ではなく、AIを媒介に思考を設計する能力です。技能を積み上げて熟練へ至るモデルとは別の進化線が生まれる。
つまり、道具の変化として捉える限り未来は読み誤ります。AIが再編するのは作業の速度ではなく、専門性の構造そのものです。そこに気づけるかどうかで、これからの育ち方はまったく別の風景になると思います。































