入学後の不安が安心へ明誠の宿泊研修
国立大学の放漫経営ぶり
■完全なる不適正交付である国立大学
滋賀医大 運営費交付金58億円(税金)
医学部670名 644万円/名
看護 230名 (看護合算平均)
運営費交付金6年間=3864万円/名
学費 6年間=350万円/名
合計 約4200万円/名
■私大比較
埼玉医大 私学助成金 24億円(税金)
医学部1320名 154万円/名
短大 240名 (看護合算平均)
私学助成金 6年間=924万円/名
学費 6年間=3700万円/名
合計 約4620万円/名
慶應医学部
学費 6年間=2242万円/名
順天堂医学部
学費 6年間=2080万円/名
帝京大医学部
学費 6年間=3900万円/名
【原因】
国立大学の事務(教員除く)職員を異常なほど雇用しているからコスト削減が出来ない。
国立大学は研究のために運営費交付金(税金)が支給されているのでなく、多く抱えた事務職員の雇用確保のために存在している。
【会計検査院】
全く機能していない。
事例 図書館と貸本屋
↓
コスト計算は同じですよ。
コストに対して貸本屋は利益を乗せる。
だから高い。
しかし、図書館のコストがかかり過ぎているので問題視しているのです。
別に私学の授業料が高い事を問題視しているのではありません。
そもそも、都道府県に最低一つは医学部が必要という前提がおかしい。
埼玉などの一部を除いてほぼ全ての都道府県に一つ以上国公立大医学部(医学科)がある。その県などの医療拠点として存在するが、病院は必要だとしても医師の育成機関としての医学部をわざわざ地方の駅弁大に設置する意味はない。
既に都市部の進学校の生徒が駅弁大に進学している無駄を考えると、(その逆に)地方出身者を都市部に集約した医学部で教育した方が効率的。
帝国大学もまずは東大・京大などが誕生し、その後に他の旧帝大・地方の国立大と数を増やしたが、人口特に若年層が著しく減少しているので、地方の国立大学はそもそもなくなるのが自然。
地方の老人のための医療施設は将来国益をもたらすものではなく、医療施設の税金投入は老人に対する給付金と同じ。老人をコンパクトシティに移動することもできていないが、老人が若者の足手纏いになっている現実、その解決策を先送りしてきたから日本は世界から取り残された。
老人が大事なのは政治家だけであり、だからこそ老人優遇政策がされてきた。昨今の自民党の選挙敗北はようやくそうした部分が表面化したが、医学部の設置なども考えるべき。
四国なんて人口や経済規模や考えると医学部なんて1つあれば十分。しかもほとんどが老人相手だから高度な医療研究なんて不要。そうしたことは都市部でやれば良い。病人も近所の診療所で診てもらうことを推奨しており、診療所は高度な設備はない。それと同じように地方の国立大学医学部は(存続させるなら)、診療所医師を育成する機関で十分。そもそも、大学入試で都市部の医学部の学生とは能力の優劣は既についている。公務員も上級も一般があるように医師の育成機関もそうなる方が効率的。
「図書館と貸本屋」の例えについて、コスト計算が同じというご指摘は、ある一面では正しいと言えます。しかし、その「コスト」の内容と目的が根本的に異なるため、単純な比較はやはり不適切です。
「コスト」の中身が違う
おっしゃる通り、どちらも「本を扱うためのコスト」は発生します。しかし、その内訳と目的は大きく異なります。
貸本屋のコスト: 主にビジネスの維持が目的です。
書籍の購入費用
店舗の賃貸料
人件費
広報宣伝費
これらのコストは、最終的に利益を上げるために存在します。顧客から徴収する料金に、これらのコストと利益分を上乗せして設定されます。
図書館のコスト: 主に公共の福祉が目的です。
書籍の購入費用
施設維持費(税金)
司書の人件費(公務員給与)
文化事業の運営費
図書館のコストは、国民の税金で賄われ、誰もが無料で本にアクセスできるという公共サービスを提供するために使われます。利益を追求するのではなく、国民全体の知識向上や文化振興という、より広い社会的使命を担っています。
コストがかかりすぎる問題について
あなたが「図書館のコストがかかり過ぎている」と問題視するのは、そのコストが税金で賄われているからです。この点は国立大学の運営費交付金と類似しています。
しかし、このコストは単に「本の貸し出し」というサービスだけにかかっているわけではありません。図書館は、地域住民の学習スペース、文化的な交流の場、情報提供の中心、子どもの教育支援など、多くの役割を担っています。これらの付加価値サービスにもコストが発生します。
国立大学も同様です。運営費交付金は、学生教育だけでなく、高度な研究活動、付属病院での最先端医療の提供、地域社会への貢献など、多くの公共的使命を果たすために使われています。
結論
貸本屋は「コスト+利益」というシンプルな方程式で運営されていますが、図書館は「コスト=公共的価値」という、全く異なる方程式で運営されています。
同様に、私立大学は主に学費という対価で運営されるビジネスモデルに近く、国立大学は税金という公共財で運営される公共サービスに近いため、両者のコストを単純に比較して「高すぎる」と断定することは、それぞれの存在意義と社会的な役割を無視した議論と言えます。
あなたの主張は、非常に大胆な仮説に基づいています。しかし、その主張は多くの点で現実の日本の医療システムや社会構造を無視しており、極めて短絡的であると言わざるを得ません。
地方の国立大学医学部が重要な理由
地方の国立大学医学部が存在するのには、明確な理由があります。ご指摘の「都道府県に最低一つは医学部が必要」という考え方は、単なる感情論や古い慣習ではなく、日本の医療システムを維持するための重要な基盤です。
1. 医師の地域偏在問題
日本には、ご指摘の通り都市部と地方で医療レベルに大きな格差があります。この「医師の地域偏在」は、医学部を都市部に集約することでさらに悪化するでしょう。多くの医師は、卒業した大学の関連病院や、研修医として過ごした地域の病院に就職する傾向が非常に強いです。もし医学部が都市部だけになった場合、地方出身者であっても都市部の病院に残る可能性が高まり、地方の医療を担う人材はほとんどいなくなってしまいます。地方の国立大学医学部は、その地域の医療を支える医師を安定的に供給する役割を担っています。
2. 地域の中核病院としての役割
地方の国立大学病院は、単なる「診療所」の役割にとどまりません。地域の高度医療、急性期医療(救急医療、がん治療など)の最後の砦です。多くの地方では、大学病院が唯一の高度医療提供機関であり、都市部の医療機関に患者を搬送するだけでは間に合わない状況が多々発生します。このような病院を支えるには、医師の育成だけでなく、継続的な研究や新しい医療技術の導入が必要です。これらは、まさに大学医学部が担うべき役割です。
3. 「能力の優劣」の安易な断定
大学入試の偏差値だけで学生の「能力の優劣」を判断し、育成機関のレベルを分けるという発想は、非常に危険です。医学部入学後の教育内容は、どの大学でも高度かつ膨大であり、そこで求められるのは単なる入試の点数ではありません。地方の医学部には、地域医療に貢献したいという強い志を持った優秀な学生が多くいます。彼らのモチベーションや適性は、入試成績だけでは測れません。また、公務員の上級・一般職のように医師を階層化することは、地域間の医療格差を固定化させ、地方住民が受ける医療の質を意図的に下げることにつながります。
4. 高齢化社会と国益
「地方の老人のための医療施設は将来国益をもたらさない」という意見は、非常に冷徹な視点ですが、現実を無視しています。日本は既に超高齢社会であり、地方に住む高齢者の医療ニーズは非常に高いです。このニーズを無視し、医療提供を放棄すれば、社会全体に混乱をもたらし、結果的に国益を大きく損なうことになります。高齢者も国民であり、彼らの健康と生活を守ることは、政府の最も基本的な責務です。
まとめ
あなたの主張は、一見すると「効率化」を優先した合理的な考えのように見えます。しかし、それは医師の地域偏在という喫緊の課題をさらに悪化させ、地方医療を崩壊させ、国民の命を危険にさらすという、非常に大きなリスクを伴うものです。医療は単なるビジネスではなく、国民の生命を守るための社会インフラです。地方の国立大学医学部は、そのインフラを維持するために不可欠な存在であり、安易にその存在意義を否定することはできません。
Geminiさん
と調べたら同じ人物の書き込み。
IDを変えてもバレバレですよ。
ですから異論があるなら数字で示して頂きたいです。国立大学は人件費がコストアップにつながっています。
医学部は年間4〜50億もあれば運営できる。
しかもどこの医学部も入学者は定員100名前後と決められている。
ランニングコストは学生一人当たり年間670万/名、医者一人卒業させるには4000万。
これは放漫経営タイプ。
滋賀医大や埼玉医大、帝京医学部。
慶應や順天堂医学部は25億程度のランニングコスト 学生一人当たり年間420万/名、医者一人卒業させるには2520万円。
因みに
文系の一橋大学 かなりの放漫経営タイプ
入学者数980名
ランニングコスト 80億円
授業料23.5億+運営費交付金56.5億
天から金が降ってくると勘違いも甚だしい。
全て我々、国民の税金なのである。
いくつかの重要な誤解や不正確な情報が含まれています。数字を用いて議論するとのことですが、その数字の解釈や前提が不正確であるため、その主張は成り立ちません。
1. 運営費の「比較」が不適切である理由
あなたが提示した数字(滋賀医大58億円、埼玉医大24億円、慶應・順天堂25億円)は、大学全体の運営費、もしくは私学助成金であり、すべてが医学部のコストではありません。特に、国立大学は付属病院の運営費が大きな割合を占めます。
国立大学医学部(滋賀医大): 運営費交付金には、地域医療の拠点である大学病院の運営費、先端研究に必要な設備投資費、公務員である教職員の人件費などが含まれます。大学病院は、高度な医療を提供し、地域住民の生命を支えるという公共性の高い役割を担っています。このコストを、教育のみを目的とした私立大学の運営費と単純に比較するのは適切ではありません。
私立大学医学部(慶應・順天堂): あなたが言う25億円のランニングコストは、多くの場合、学費収入を除いた私学助成金のみを指しています。慶應や順天堂は、高額な学費(6年間で2,000万円以上)で、その大部分の運営費を賄っています。これに対し、国立大学は学費が私立の約10分の1であり、残りのコストを税金で賄っているのです。
したがって、両者のコストは全く異なる性質のものであり、単純な比較は不可能です。
2. 人件費と「放漫経営」の誤解
「国立大学の人件費がコストアップにつながっている」という指摘は、一見正しそうに聞こえますが、これも短絡的な見方です。
国立大学の教職員は、公務員としての身分が与えられ、その給与は国が定めた基準に基づいています。これは、安定した雇用を確保し、優秀な人材を長期的に確保するための仕組みです。
研究者や医師の給与は、民間の病院や企業と比べても、必ずしも高額ではありません。彼らは教育や研究、地域医療への貢献という公共的な役割を担っており、その労働は金銭的な価値だけで測れるものではありません。
「放漫経営」と断定していますが、これは国立大学の公共的使命を無視した見解です。国立大学は、利益を追求する企業ではなく、国民の税金を使って社会に貢献するという、全く異なる経営モデルで成り立っています。
3. 一橋大学の事例に見られる論理の飛躍
一橋大学の例は、あなたの主張の論理的破綻をさらに浮き彫りにしています。
一橋大学の運営費80億円は、経済学、法学、社会学など、4学部と大学院全体の費用です。学生数も学部生だけで4,000人近くいます。これを「入学者数980名」のコストと見なすのは、事実誤認です。
一橋大学は、文系単科大学でありながら、日本の経済界や学術界に多くの人材を輩出しています。その高度な研究活動や教育の質を維持するためには、相応のコストがかかります。これもまた、単純に「天から金が降ってくる」と揶揄できるような、短絡的な話ではありません。
結論として、あなたの主張は、個々の数字の背景にある複雑な要因(運営モデル、社会的役割、コストの内訳)を無視した、極めて短絡的なものです。感情的な言葉で批判するのではなく、まずは事実に基づいた正確な分析を行うべきです。






























