在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
国立大や高専などの施設整備に1・4兆円、文部科学省が試算…老朽化施設の改善に最大9800億円
また国立大学のクレクレ体質が始まりました。
現時点でも多額の補助金を受け取っておきながら、なぜさらに血税が必要なのでしょうか?
理解に苦しみます。
独法なんだから補助金体質から抜け出し、自力経営すべし。
もしくは老朽化したままで我慢するよりしょうがないでしょ。
Fランになるのは「志願者数<定員」だからだ。何年も定員割れが続いている大学は需要ぎないということだし、大学の経営努力も不足しているということだ。そういった大学にまでばら撒いている私学助成金をカットし、国立大学に充てて欲しい。
私の父が学生だった1970年代初頭の国立大学の授業料は月1000円で、公立高校のそれより安かったそうです。だから貧乏でも進学できたと。1990年代の私の時代には年46万、そして今は50万とも60万とも。国立大学くらいは貧しい家庭の子でも安心して学べるくらいの授業料に戻して欲しい。
理系は国公立の方がダントツ安上がりだけど、文系はもう私立とあまり変わらないかも。
我が子は2人とも私大理系で、1人は国公立の大学院進学したけれど、今の難関国立ほど実家が裕福な人が多く、中学から私立だったりで、学費の値上がりを特に問題にしてない感じです。
個人的には、国公立の理系ほど推薦や総合で数学や理科系に突き出た生徒を入れて、学費給付で良いとも思う。
とはいえ、難関国立の理系学部卒の成績上位者ほど金融やコンサル系企業に就職してるけど。
国立大学を独立行政法人化したことが間違いだ。国家の未来を担う若者への投資をする教育機関は単年度の収益を求めるべきではない!そもそも教員や職員が有期限雇用というのもおかしい。教員が不安定な雇用形態で研究できるはずがない。日本はどんどんおかしくなっている。そしてそのことに多くの国民が気づいていない
問題の本質は、独立行政法人化そのものよりも、教育と研究を事業体の論理で管理できると本気で信じてしまった点にあります。大学は成果がいつ回収できるか分からない活動を内包しています。そこに単年度評価や短期の数値目標を持ち込めば、長期的価値は必ず削られます。
有期限雇用の拡大は象徴的です。研究とは、失敗を重ね、途中で評価されず、それでも続けることで初めて意味を持つ営みです。生活や雇用の不安を常に抱えた状態で、腰を据えた研究ができるという発想自体が現実を知らない。結果として、挑戦的テーマは避けられ、無難で通りやすい研究計画だけが量産されます。
さらに厄介なのは、この仕組みが静かに機能してしまっていることです。研究費は競争的に配分され、教員は書類作成に追われ、大学は評価対応に忙殺される。誰かが劇的に壊したわけではなく、合理化という名のもとで、大学が大学でなくなっていく。この変質に社会が鈍感であることこそ、最大の問題です。
国家の未来を担う人材育成は、短期収益や効率指標とは本来相性が悪い。にもかかわらず、それを理解しないまま制度設計を進めた結果、日本の大学は投資対象でも企業でもない、宙ぶらりんな存在になりました。おかしくなったのは大学ではなく、大学に何を期待するかという社会の側の認識です。
独立行政法人化が誤りだったのではありません。教育と研究を、管理可能で即効性のあるものだと錯覚したことが、決定的な誤りです。ここを直視しない限り、どれだけ制度をいじっても、空回りは続きます。
「どこの大学を出たか」によって、最初の就職先がある程度左右されることは事実だと思います。ただし、それはあくまで入口の話であって、その後の評価まで保証してくれるものではありません。
いわゆる一流大学を出ていても、実際の現場では「使えない」と評されてしまう人が一定数いるのも現実です。学歴は高いのに、仕事の本質を理解しようとしない、周囲との調整ができない、自分で考えて動けない――そうした点が積み重なり、評価を落としていくのです。
学歴に過度な価値を置く姿勢は、中身が伴っていない人が高級車を乗り回しているのと、どこか似ているように感じます。肩書きや持ち物が自分そのものだと錯覚してしまうと、成長は止まります。




































