今年入学した高1生が語る青春リアル
国立大学を潰そう!私立大学の学費支援をすることで国公立は統廃合されて浮いた税金で消費減税を
日本維新の会がやったる
自民党は国民民主党の懐柔に難儀し維新取り込みに方針転換したように映るが、維新も前原さんが前のめりになり自民党に寄せていく、そんな流れが鮮明になりつつある。また前原さんがやらかしている。そんな印象が強い。
利益追求の私学に公費投入は賛否両論あるとは思うが、維新からは国民に真摯に寄り添うのではなく、政治的な思惑で実績作りに躍起になるように見える。
政治が教育に触れるとき、理念はいつも取引材料に変わる。大阪の私学無償化が示したのは、教育の解放ではなく、行政責任の放棄だった。教育政策の名を借りた政治工作は、社会の不安を票に変える仕組みとして機能している。
公費投入の是非は枝葉にすぎない。本質は、国家が公教育という基盤を自ら弱体化させ、その空白を市場と私学に委ねてきた構造にある。教育を社会契約ではなく商品と見なした瞬間に、公共性は静かに崩れ始める。
無償化は平等の象徴ではない。制度が支えるのは意欲でも能力でもなく、政治的演出の均衡だ。維新の政策に見える実績作りの焦燥は、もはや教育ではなく政権浮揚策の一部でしかない。
教育は統治の方便ではない。誰のために何を残すのかという社会の意思が欠けたとき、どれほどの改革も形だけの進歩に過ぎない。教育の自由を守るとは、政治から距離を取る勇気を持つことに他ならない。
必要な職種に人がいない、人出不足と言われる職業に人がいないことは大学進学率が高くなり3K職場が敬遠されるのを助長していることに起因するように思う。本来教育は立派な社会人になるために受けるものであるが、現実はほとんど誰もが当たり前に高校を卒業し就職、進学している。
社会の階層別就労人口構成のバランスが悪いからミスマッチな就労が発生し人出不足等の問題が生じているように思わざるを得ない。
教育を無償化することは誰でも高等教育を受け学歴を得ることとなるが社会の階層別就労人口構成のバランスが改善されるとは思えないし国家の運営も難しくなうのではないか、外国人を3K職場に就労させ日本人は何もしないで見ているような社会になって良いのか
いや。
残念ながら、スキルは全分野で外国人の方が総じて高い。
特に語学においては日本語、英語、母国語という3カ国語使いも多い。日本人で母国語以外使える層が何%いる?
早晩3Kとやらが日本人で溢れますよ。
>教育を無償化することは誰でも高等教育を受け学歴を得ることとなるが社会の階層別就労人口構成のバランスが改善されるとは思えないし国家の運営も難しくなうのではないか、
学歴インフレが雇用を歪ませていると懸念しています。高校は無償化した方が良いとは思いますが、無償化するからには進級を厳しくして不適格者は落第、または別の形態の職業訓練が主の学校に移すべきと考えています。
進級を厳しくする、という発想は一見筋が通っているようでいて、根本の問題をすり替えています。
いま必要なのはふるいにかける教育ではなく、行き場をつくる教育です。
高校・大学の無償化が機能不全に陥るのは、進級や単位の基準が甘いからではなく、学んだ先に社会的な出口が設計されていないからです。高等教育を受けても職業的に報われない構造のままでは、選抜を強化しても格差はむしろ固定されます。
職業訓練校を落第の受け皿にするのではなく、寧ろ主流の教育体系に並列する形で社会的評価を高める方向に設計し直すべきです。ドイツのデュアルシステムのように、学びと働きが接続する仕組みを整えれば、学歴インフレという言葉そのものが過渡的な概念に変わっていくと思います。
私立高校(特に普通科)よりも、公立の実業高校(工業高校、農業高校、水産高校など)への支援を支援させてほしい。
国が普通科を優遇し、逆に実業高校を冷遇したのが今の日本経済の停滞を招いたと思っている。
工業高校などは
・電気工事士や危険物取扱者などの社会的に有益な国家資格が取れる。
・マナー教育が充実しているので、礼儀正しい人間が多い。(ただしその代わり、校則や上下関係は普通科より厳しい)
などのメリットがある。
工業高校などは過小評価されすぎ。
まったく同感です。
実業高校が軽視されてきたことこそ、日本の人材構造の歪みを象徴していると思います。
産業の基盤を支えるのは、現場で動かせる手と仕組みを理解する頭。その両方を兼ね備えた人材を育ててきたのが本来の実業教育でした。ところが90年代以降、大学進学=上位という単線的な価値観が教育行政にまで浸透し、技能系教育は制度的に周縁化されてしまった。
結果、電気・機械・農業・水産といった領域で現場の知を担う層が細り、産業の厚みが失われた。
実業高校の支援は、単なる職業教育ではなく、国家の技術インフラを再構築することに直結する。
本気で生産力を取り戻すなら、偏差値ではなく実装力を軸にした教育設計に切り替える時期に来ています。




































