今年入学した高1生が語る青春リアル
【現実と】ノー勉でも6割以上取れる共テが本日開催されます【虚構】
9割 東大医学部レベル=早慶
8割 地方旧帝レベル= MARCH
7割 上位駅弁レベル=日東駒専
6割 下位駅弁レベル=大東亜帝国
④ 女子枠論との無理な接続
マイノリティは敷居が高いから女子枠が必要
これは心情論だから否定
ここもズレています。
女子枠は
「心情」ではなく、行動データ・進学行動の差の補正
補欠合格者への配慮は、完全な感情論
保護者は、
自分に都合の悪い制度論 →「心情論」と切り捨て
自分に都合のいい場面 →「心情」を突然持ち出す
という 原則の切り替えをしています。
つまりあなたは、「自己責任」「原則」「挑戦」という主張が崩れた結果、今はただ自分の美意識で他人の行動を裁いているだけですね。
で、その「勝者の立ち振る舞い」とやらは、どの制度・どの原則・どのルールに書いてありますか?
【まとめ】
この議論を整理すると、争点は極めて単純です。
「おかしな話だ」さん、「保護者」さんは、一貫して
・18歳は大人
・結果は自己責任
・不確実性でも挑戦できない者はリーダー不適格
・C判定で受験を避ける行動は評価されない
・大学は怯む志願者を考慮する必要はない
と主張してきました。
ところが同時に、女子枠合格者が私大を受験・辞退する行為については
・他人への配慮が足りない
・補欠合格者の心情を考えろ
・勝者には品格ある振る舞いが求められる
と、まったく別の基準を持ち出しています。
しかし冷静に見れば、
・C判定で受験を避ける行動
・国立を避けて私大専願にする行動
いずれも「安全策を取り、リスクを回避する選択」 という点で同一です。
もし前者を
「リーダー不適格」「覚悟不足」「挑戦回避」
と断じるなら、後者だけを例外扱いする論理的根拠は存在しません。
さらに、「自己責任・同情不要」という原則を掲げながら、都合のよい場面でだけ、「心情」「品格」「配慮」といった感情基準を持ち出すのは、原則の放棄にほかなりません。
結局この議論は、女子枠の是非でも、私大の価値でもなく、
・原則を一貫して適用できるのか
・それとも感情で評価基準を切り替えているだけなのか
という一点に集約されます。
判断すべき点は、
「同じ基準を最後まで守っているか」それだけでしょう。
原則が揺れる時点で、議論はもう終わっています。
>何も崩れていないけど、根拠は?
「おかしな話だ」氏の主張は、表面的には
「自己責任」「原則」「挑戦」という、いかにも一貫性のある価値観に見えます。
しかし、議論を追っていくと、それらは原則として運用されていないことが明らかになります。
まず、おかしな話ださんは、
・18歳は大人
・結果は自己責任
・不確実性でも挑戦できない者はリーダー不適格
・C判定で受験を避ける行動は評価されない
と断じてきました。
ここでは「行動のみを評価し、動機や心情は考慮しない」という立場です。
ところが、女子枠合格者が私大を受験・辞退する話題になると、突然、
・補欠合格者の心情
・他人への配慮
・勝者の品格
といった感情・美意識ベースの基準が持ち出されます。
ここで決定的なのは、
・C判定で受験を避ける行動
・国立を避けて私大専願にする行動
が、どちらも「リスクを避ける安全策」であるにもかかわらず、
前者は「不適格」、後者は「品格の問題」として別枠扱いされている点です。
これは価値観の違いではありません。
評価基準そのものを場面ごとに切り替えているのです。
さらに、「自己責任」「挑戦」を掲げながら、
結果が出た後には「勝者はこう振る舞うべきだ」という、事後的な道徳要求を付け加えるのは、原則論ではなく単なる美意識の押し付けです。
要するに、
「原則は常に適用されるものではなく、自分が不快に感じた行動にだけ感情的制裁を与えるための道具」
として使われています。
その時点で、「自己責任」「原則」「挑戦」は
議論の軸ではなく、都合よく振り回される看板に成り下がっています。
これは想像力の有無の問題でも、品格論でもありません。
問題は価値観ではなく、原則が状況によって使い分けられていた点にあります。
おかしな話ださんの投稿では、「原則」は一貫した基準ではなく、都合に応じて切り替えられていました。
おかしな話ださんは「何も崩れていないが、根拠は?」とのことですが、そもそも崩れていることに自覚がない点こそが、最大の問題でしょう。




































