アートの才能を伸ばす女子教育
私立大学は慶應一強状態
一方で他の私大は上智、明治、早稲田などが団子状態になりつつあります。
学生数が多い私立大学は少子化で学生集めに苦慮してきています
慶應>上智≒明治≒早稲田くらいでしょう。
その認識はさすがに雑。
まず前提として、政策形成が特定の掲示板を「参考にしている」という構図自体が成立していない。実際の政策プロセスは、統計データ、審議会、専門家ヒアリング、既存研究、国際比較など複数の層で構成されている。単一の匿名言論空間が意思決定に直結するほど単純な構造ではありません。
次に「官僚は英語論文が読めない」という断定。これは事実認識として崩れています。中央省庁の政策立案に関わる層は、海外大学院出身者や留学経験者も多く、国際機関との折衝も日常的に行っている。英語文献のレビューは通常業務の一部です。もちろん個人差はあるが、組織としてアクセスもリテラシーも担保されている。
さらに、エコーチャンバーという概念の使い方も浅い。エコーチャンバーは「同質的な意見が強化される構造」を指す分析概念であって、それを指摘した瞬間に議論が無効になる魔法の言葉ではない。もし問題提起をするなら、どの層で、どのようにバイアスが生じ、それがどの意思決定にどう影響したのかまで示す必要がある。そこが抜け落ちたままでは、単なるレッテル貼りです。
結局のところ、あなたの主張は、根拠のない因果の飛躍、属性への一般化、概念の表層的使用の組み合わせに過ぎない。
批判をするなら、構造とプロセスに踏み込むべきです。そこを外したままでは、批判しているつもりで、実際には何も分析していないのと同じですね。
主張の根拠がない。
文科省の資料に参照された英語論文が記載されていない。この分野は日本より海外がはるかに進んでおり海外の研究を参照しないのはあり得ないがそのあり得ないを本当にしてるのが現在の官僚。3年で人事異動するので専門性が身につかない。
官僚が英語論文 英語文献ではない のレビューのスキルあるなら関連の博士の学位持っているはずだがその割合が記載されていない。
まさか査読論文と文献の違いさえわからないんじゃないでしょうね。初歩的なことも理解していない。
まあ官僚の人事制度を変えて専門家を育てるようにすれば二十年後には改善するでしょう。高度な専門家になり得る質の高い人材が就活で志望すればですが。
書いていること、全部「それっぽい不信感」を並べただけで、検証になっていないですね。
まず「根拠がない」と言いながら、自分は一つも具体的な根拠を出していない。この時点で議論として成立していません。文科省のどの資料のどの部分に問題があるのか、どの分野で海外研究が優越していて、どの政策判断にどのような欠落が生じたのか。本来はそこまで特定して初めて「根拠の欠如」という批判が意味を持つ。あなたの書き方は、単に“そう見える気がする”という印象の吐露に過ぎない。
次に「英語論文が記載されていない」という一点で能力否定に飛ぶ短絡。
政策文書は常にフルの学術レビューを掲載する形式ではない。審議会資料、参考文献、委託調査、ヒアリング、内部レビューといった複層的なプロセスの中で、一次論文は裏側で参照されることも多い。公開資料に引用が少ないことと、参照していないことは全く別の話。ここを混同している時点で、政策形成プロセスの理解が止まっている。
さらに「博士号がないとレビューできない」という主張。
これは学術実務の現実とズレている。レビュー能力は学位の有無ではなく、訓練と経験で担保される。実際の政策現場では、専門家コミュニティとの接続、委員会、外部有識者のレビューが組み込まれている。つまり、個人の専門性を組織で補完する設計になっている。あなたは個人の肩書きに還元して全体を語っているが、それはシステムの議論ではない。
そして極めつけが「3年で専門性が身につかない」という話。
ローテーションは確かに存在するが、それは逆にセクショナリズムの固定化を防ぎ、政策間の接続を担保する機能でもある。加えて、実務は完全な素人がゼロから始める構造ではなく、前任者の蓄積、組織知、審議会、外部委託で連続性が維持される。ここを無視して「専門性がない」と断じるのは、個人のスキルと制度設計をごちゃ混ぜにした議論の崩壊。
最後に、「査読論文と文献の違いが分かっていないのでは」という煽り。
こういうレトリックに逃げた時点で、自分の側に中身がないことを示しています。本当に問題提起をするなら、具体的な文献の扱い、レビューの欠陥、意思決定への影響まで降りてくるはず。そこが一切ない。
結局あなたの主張は、
具体性のない不信
プロセス理解の欠如
個人能力への安易な一般化
概念の誤用
この4点の組み合わせでしかない。
批判の体裁は整えているが、分析としては空洞です。
政策を叩きたいなら、せめてどの文書のどの判断が、どのエビデンスの欠落によって歪んだのか。
そこまで降りてきてください。
それができない限り、あなたの話は「官僚はダメらしい」という雑な物語以上の価値を持ちません。
あとね。
ここって、色々な人、場合によっては子供や、老眼の入った老人も読むんですよ。
段落分けも、空白もない、一塊の異様な文字列。
これだけ見た瞬間に、キミが社会に属した事がないのが丸わかり。ビジネスで文章を書いた事があれば絶対こうなりませんから。
その時点で、社会からはじかれた立場で、自分の様になるなという「しくじり先生」として書いていらっしゃるのならば、非常に美しいたてつけなのですが。































