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京都大学 国際卓越研究大学に認定
京都大学が東北大、東京科学大に続き国際卓越研究大学に認定されました。
東京大学は審査継続とのことです。
個人的に思うのですが第二回公募申請している大学はたったの8校だったので8校全部、認定してあげてもよいのでは?とは感じました。
京大が認定された事で、
今までのような突拍子もないユニークな研究、
大胆な研究からは遠ざかっていく事となるでしょうね。
国はある指標に照らして研究内容課題からは脱線させませんから。京大の良さが全て失われていく事となります。ハッキリ言って認定は要らなかった。
同感です。
母が京大医学部にいた頃の話をよく聞かされますが、当時から京大は「自由の学風」という言葉がただの標語ではなく、本当に研究室ごとにテーマも進め方もバラバラで、誰も型にはめようとしなかったそうです。教授陣も、すぐに論文になりそうにない、地味で回り道に見えるテーマを何年もかけて追いかける学生を平気で放っておいた、むしろそれを面白がっていたと聞きます。
母曰く、当時の京大の強さは「何を評価するか」を外部が決めていなかったことに尽きるそうです。産業競争力や特許収益といった、あらかじめ定められた指標に照らして研究テーマの是非を判断する仕組みが入ってくれば、この「回り道を許容する文化」自体が真っ先に淘汰されます。突拍子もない研究、大胆な仮説というのは、たいてい短期的な指標では測れないところから生まれるものだからです。
認定によって得られる資金の大きさは魅力的でも、それと引き換えに手放すものの正体が、まさにこの「型にはめない自由」だとすれば、母の世代が誇りに思っていた京大らしさは、今後静かに失われていくのだろうと思います。ハッキリ言って、この認定は要らなかったという感覚、私も同じです。
まとめれば
・懐古的な価値観(昔は自由だった)
・将来予測(これから自由が失われる)
・制度批判(だから認定は不要)
と一本の線で結んでいる。
長文ではあるが、中身を要約すると「昔は良かった」「これから悪くなる」「だから制度は不要」という感想に過ぎない。
その間をつなぐ客観的データや制度分析が欠けており、論証というより印象論・随想の域を出ていない。
以前も書きましたが、まず結論から言うと、鍵は「誰が中期計画と予算を決めるか」「その決定に従わない学長がどうなるか」という2点です。
運営方針会議という機関があります。
学長に加えて3名以上の外部委員で構成されますが、この外部委員は文部科学大臣の承認がなければ任命できません。
つまり、この会議に座る人選の時点で、既に大臣の事実上の拒否権が組み込まれているのです。
この会議が、大学の中期計画と予算配分を決定します。何年かけてどの分野に資金を投じるかという、研究の方向性そのものを左右する部分です。
更にこの会議は「体制強化計画」の履行状況を監督します。この計画は産業競争力強化や特許収益といった経済指標を軸に組み立てられることが、これまでの政府資料でも繰り返し示されています。
そして最も重要な点として、この会議は学長選考にも意見を述べ、学長が解任事由に該当する場合はそれを報告する権限も持ちます。
つまり、大学の最終責任者である学長自身が、この会議の監視対象になっているという事。
これを繋げると、大臣承認済みの外部委員が中期計画と予算を握り、経済指標中心の計画の履行を監督し、それに従わない学長は解任対象になりうる、という構造がすでに条文レベルで用意されています。
ここは、OB含め当事者は即座に気付き大きな危機感を共有する部分です。
回り道の多い基礎研究にじっくり資金を配分し続けようとする学長がいれば、この仕組みを通じて方針転換を迫られかねません。
そして、これは私の母一人の思い込みではないのです。
京大に去年、掲げられた立て看板は、現役の学生・教職員がこの構造に対して掲げたものです。
東北大でも在学生から同様の懸念が表明されており、学生への説明不足自体が批判されています。
60代の1人の卒業生の感傷ではなく、今まさにその制度の下で学び、働いている現役世代が共有している危機感だということは、強調したいと思います。






























