将来の選択肢が広がる学部合同説明会
私大文系の3教科入試とリベラルアーツ教育
>そもそも、この論争の土台にある、文・理という二分法自体が、世界的にはすでに時代遅れになりつつある。
さて、日本の入試制度をどう考えるか、です。
日本では私立文系の多くが3教科受験です。
高校段階から学習範囲を狭める制度のままで、本格的なリベラルアーツ教育は成立するのでしょうか。
リベラルアーツ教育を本気で目指すのであれば、まず議論すべきは大学入学後ではなく、高校教育や大学入試制度ではありませんか。
「欧米ではリベラルアーツが主流」という部分だけ都合よく引用から踏み込んで、日本の制度との整合性には触れてみましょう。
>さて、日本の入試制度をどう考えるか、です。
日本では私立文系の多くが3教科受験です。
高校段階から学習範囲を狭める制度のままで、本格的なリベラルアーツ教育は成立するのでしょうか。
共通テストを大学受験資格試験にすれば良いと思います。
エスカレーターや指定校推薦でも最低5割取れなければ大学進学資格はないということにすればよいだけです。
各大学はそれぞれの入試様式に合わせて最低基準を作り、例えばエスカレーターや指定校推薦は5割、推薦AOは6割、一般は7割、共テ利用は8割というように公表すべきと思います。
面白いです。休日の朝から主婦の書き込みにここまで何本も長文を書かれるとは。
多分書かれたご本人は、今ごろご家族とお出掛けでもされていて、自分の書き込みにここまで熱量を注がれていることすらご存じないでしょうね。世間は休日ですよ?
私は休日出勤ですが、大した仕事ではなく午後から立ち会いがある程度なので少しだけ。
名前が出た企業の人間として、個人の見解を述べます。
まず、読ませていただいた限り、その主婦の方も「DSは不要」なんて言っていませんよね。
そこに何本も反論を書いていますが、議論の相手は存在しない主張です。
現場で感じるのは、「DSを教えるか」ではなく、「DSを前提として、その先をどう設計するか」ということです。
AIエージェント、AI Engineering、LLM運用、ガバナンス、業務実装、評価基盤、こうした話題が日常になってくると、「DS教育を推進します」という話は否定される対象ではなく、前提条件になります。
だから私なら「DSは基礎でしょう」という反論を何度繰り返されても、「そうですね」としか言いようがないでしょうね。
むしろ現場では、その基礎を前提に議論が進んでいる、という話ですから。
もう一点。
MDASHについて長文で書かれていますが、教育制度と企業実務を少し混同されている印象です。
教育制度として整備されることと、企業の評価軸としてどこまで定着しているかは別問題です。
少なくとも私の周囲で、採用やプロジェクトアサインの場面で「MDASHを持っていますか」が会話になった経験はありません。
見るのは、実際に何ができるかです。
資格や修了証は、その一つの参考情報にすぎません。
企業の現場では、制度名より、成果物や実装経験、課題設定能力、AIを業務へ組み込む力の方が圧倒的に重く評価されます。
教育行政の資料と、企業の実務をそのまま一直線につないでしまうと、どうしても現場感覚とはズレが生じます。
ご主人さんはそのズレを「時間軸が違う」と表現されただけなのでしょう。
そこを「DSは基礎だから」と何度説明されても、特に異論はないだろうと思います。
デロイト トーマツ コンサルティング勤務のご主人、その基礎のさらに先で仕事をしている、というだけの話だと思われます。
MDA認定制度は、企業が学生に求める「資格」ではなく、大学がどのような教育プログラムを提供しているかを認定する制度です。
「採用でMDAを聞かれない」という話は制度の趣旨とは関係ありません。
また、企業でAI EngineeringやAI活用が重視されることと、大学でDS・AIの基礎教育を充実させることは対立する話ではなく、むしろ前者を支えるための土台です。
したがって、「企業は一歩先だから大学のDS教育は古い」という結論にはなりません。
>また、企業でAI EngineeringやAI活用が重視されることと、大学でDS・AIの基礎教育を充実させることは対立する話ではなく、むしろ前者を支えるための土台です。
慶應の安宅教授も、「大卒者の8割程度は、少なくともリテラシーレベルのデータサイエンスの素養を身につけていることが望ましい」と述べられています。
さらに、「こんな何も知らない状態で学生を入学させたら、教育などできない」と、入学時点での基礎学力不足に強い危機感を示し、将来的には大学の入試や入学要件そのものの見直しが必要になる可能性にも言及されています。
スレ文の「日本では私立文系の多くが3教科受験」は、改革が必要ですね。
>◉慶應義塾大学
・安宅教授
数学が苦手な文系学生にとってはハードルが高い。
『データサイエンスを学ぶ前提となる数ⅡBまで身に付いていない大学生が私立トップ校でも多い』
日本の教育は、レベルは高いが数学嫌いを増やしていることが明らかになっている。大卒者は8割方リテラシーレベルでデータサイエンスの素養を持っていたほうが望ましい。
大学側はきっと「こんな何にもしらない状態で学生を入学させたら、教育などできない」と、いずれは大学の入試、入学要件自体が変更を迫られるだろう。
横から失礼します。
IT業界で20年以上、現在は事業会社でDX推進に携わっています。この一連のやり取りを読んでいて、どうも違和感があります。
率直に申し上げると、TOEICを一度も受験したことがない人たちが、「TOEIC800点なんて今どき評価されない」と延々議論しているような光景に見えてしまったのです。ちなみに私のスコアがその800点です(笑)
DSもAI Engineeringも、AI Nativeも、それぞれ役割が違います。しかし、皆さんは実際にどのレベルまで到達された上で議論されているのでしょうか?
最初の主婦の方は良いとしても例えば、
・MDASH応用基礎修了
・統計検定2級、準1級、1級
・G検定
・E資格
・AWS Machine Learning Specialty
・Azure AI Engineer
・Google Professional Machine Learning Engineer
このあたりはお持ちなのでしょうか?
あるいは実務でLLMを組み込んだシステムを設計・運用された経験がおありなのでしょうか。
失礼ながら、その部分が見えないまま、DSはこうあるべき、企業はこう評価すると断言されても、かなり抽象論に聞こえてしまいます。
ちなみに私は統計検定準1級、G検定、Azure AI Engineerを保有し、生成AI案件にも現在進行形で携わっていますが、それでもAIの変化は速く、半年経てば前提が変わる世界だと痛感しています。
だからこそ、DSが基礎であることは誰も否定などしないでしょうし、してもいないでしょう。
現実、かなり前から現場では既に、その基礎を前提として何を実装できるのか?という競争になっています。
その意味では、先ほどの「企業ではDSという言葉を以前ほど前面に出さなくなった」という書き込みに、私は違和感を感じません。
まずは、ご自身がどのレベルの学習・資格・実務経験を前提に語っておられるのかを示された方が、議論としては建設的ではないでしょうか。
このままでは空論の応酬にしか見えません。ぜひ、ご自身の保有資格や実務経験を明示した上でお話しいただけませんか。
スコアを聞いたり、資格番号や取得年月日を問い詰めたいわけではありません。議論の前提を確認したいだけです。
英語教育を話し合うのに、必ずしも全員が英語を流暢に話せる必要はないですよね。
しかし、DSやAIのような専門領域では、語る側のリテラシーや実務経験、あるいは一定の客観的な到達度が分からないまま断定的な話を始めると、現実から乖離しがちです。
業界の方であれば、この感覚はご理解いただけるかと思います。
逆に、全くの未経験者の方が、ここまで専門的な制度や企業実務について断定的に発言することは、あまり考えにくいので。
リベラルアーツには幅広い基礎学力が必要です。
だからこそ、日本でリベラルアーツ教育を充実させるなら、高校段階から学習範囲を狭める3教科受験との整合性も議論しなければなりません。
リベラルアーツを掲げながら、入試では数学や理科を課さないという制度は、本来の理念と矛盾する面があります。
18歳から教育できると思っていることに驚きしかない。日本人はまるで理解してない。数学者のガウスが才能見せたのは7歳、モーツァルトは3歳。才能に基づいた教育は臨界期あり8,9才には始めないと遅い。論文たくさん出てる。16-18歳になり学部探しをしてる親や生徒は手遅れ。才能に基づいて高年収を得る人生は諦めましょう。運に左右される人生を覚悟してください。まともな親は2,3才からはじめて10-11歳にはもう最終決断してますよ。
まず臨界期という概念自体、確立されているのは主に言語の音韻習得に関する研究です。
ワシントン大学のパトリシア・クール博士の研究では、乳幼児がR音とL音を聞き分けられるのは生後8ヶ月頃までで、そこから母語に最適化された聴覚処理に切り替わっていくことが示されています。
ただし、クール博士ご自身がこの時期を臨界期(Critical Period)ではなく感受性期(Sensitive Period)と呼んでいる点が重要な示唆です。
つまり、ハードな締め切りではなく、緩やかな移行期だという理解です。実際、大人になってから語学を習得し、不自由なく使いこなしている人は世界中にいますから。私もその一人です。
つまり、科学的に裏付けのある臨界期研究は言語の音韻習得という極めて限定的な領域の話であって、数学の才能や進路選択のような、幅広い知的能力・キャリア形成にまで、同じ理屈をそのまま当てはめられる根拠はありません。
>論文たくさん出てる。
具体的にどの論文か、一つも示されていません。論文たくさん出てるという言い方で権威付けをしているだけで、これは以前もエデュで私が指摘した有名な話と同じ、出典なき言い切りのパターンですね。
>ガウスが才能見せたのは7歳、モーツァルトは3歳。
これも生存者バイアスの典型かと。
歴史に名を残した一握りの天才の逸話を持ち出して、それを一般法則であるかのように語るのは、統計的に意味を持ちません。
体感の話をするなら、私自身、東大や医学部の同級生を見渡しても、いわゆる早期教育やお受験体験がある人はほとんどいませんでした。
彼らにとっての最良の早期教育は、特別なメソッドではなく、放っておかれて自分で興味を追いかけられる環境だったように思います。
>まともな親は2,3才からはじめて10-11歳にはもう最終決断してますよ。
そのまともな親の基準で言うなら、あなたのお子さんは今、どんな一廉の人物になられたんでしょうか。
是非、具体的にお伺いしたいです。






























