将来の選択肢が広がる学部合同説明会
AIリストラ時代、入試難易度の高い大学を出た文系は安泰なのか?
AIによってホワイトカラーの仕事が大きく変わろうとしています。
一方で、「入試難易度の高い大学を出ているから大丈夫」「文系だから技術的なことは分からなくてもいい」といった、大学入試時点の序列を重視する考え方もあります。
しかし、AI時代に企業が必要とするのは、入試時点の偏差値や大学名だけではないでしょう。
読解力、論理力、情報整理力、データを扱う力。そして、自分の専門外であっても、技術や産業構造を理解し、全体像を捉えて判断する力。
例えば半導体について、調達論だけで考え、国内の製造能力、技術、人材、装置・材料、サプライチェーンなどがどうつながっているのかを理解できなければ、産業構造を捉えているとは言いにくいでしょう。
さらに、自分が理解できない内容を「三流理系」と揶揄したり、首都圏の大学を基準に地方国立大学を見下したりする姿勢まで見られるとしたら、なおさら考えさせられます。
AIは首都圏か地方か、国立か私立か、文系か理系か、大学の入試難易度が高いか低いかを見て仕事を奪うわけではありません。
問われるのは、その人が実際に何を理解し、何を判断し、どんな価値を生み出せるのか。
もちろん、文系人材が全く不要になるという話ではありません。
むしろAI時代には、文系人材にもこれまで以上に高い読解力、論理力、情報整理力、データリテラシー、そして技術や産業構造を理解する力が求められるのではないでしょうか。
「文系だって必要だ」というなら、なおさら考えてみたいところです。
AI時代に使える文系人材とは、どのような人なのか。
そして、入試難易度や大学名に依存し、読解・論理・情報整理・産業構造の理解が弱い人材は、AIリストラの対象になりやすいのではないか。
大学入試での序列と、AI時代に企業から必要とされる人材価値は、本当に同じなのでしょうか。
大学名で職務適性、遂行能力が担保されたことはない。そんなことを人材評価の基準にした組織、官庁や企業、は存立し得ない。とっくの昔に破綻している。ありもしない評価基準は廃止できない。
あると言い張るのなら、実在を証明する必要がある。ある特定の大学だけを高評価しろ、という規定が存在する組織の実例を挙げること。
国立大学生と比較して、早慶以下の私文生に数学・データ系の基礎が不足しやすいことを、早慶側の教授・総長自身が問題視している。
だからこそAI時代には、入試難易度や大学名を誇るだけではなく、その不足を大学で補えているかが重要になる。
「慶應の方が企業に入りやすい」という入口の話で安心している時代ではありませんよ。
AIリストラの対象になるのは、入社できなかった人ではなく、入社後に付加価値を生み出せない人です。
AIが代替するのは大学名ではなく仕事です。
数学・データ・情報を扱えず、論理的に考えてAIを使いこなす力まで弱ければ、「慶應の方が入りやすかった」ことなど、何の防波堤にもならないでしょう。
しかし、この人それぞれという考え方は人々の功利、効用というものについて、それ以上考えないようにする思考停止でありますし、現実、現代社会においてはインフォームド・コンセントやらパターナリズムという考え方で、自己責任や自由意志を否定する流れもあります。
「人それぞれ」を批判するのであれば、まず人間の効用にはどのような普遍的な法則性があるのかを示すべきでしょう。
それを示さないまま「思考停止」と断じ、今度はインフォームド・コンセントやパターナリズムまで登場させる。ずいぶん話が広がりましたね。
「思考停止」を批判しているはずが、肝心の論点には答えず、別の概念を次々と持ち出している。
まさにご自身で「思考停止」の実演をされているように見えます。






























