在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
慶応義塾の存在は日本社会に有害である
役人の社会では、東京帝国大学法学部出身者が明治以降、強大な閥を形成し、その弊害から日本国家の惨憺たる現状を築いてしまった。そして、霞が関解体は、今般の衆議院総選挙で民主党大勝利による政権交代に期待(?)するとしよう。そこで、次に政治家と民間企業の分野に焦点をあて、世襲議員(特に自民党に多い)や老舗企業後継者(2代目以降)の存在が我が国にとって、いかに害を及ぼしているかを考えてみる。勿論、早稲田や他の私立大学も同じなのだが、その典型として、慶応義塾を取り上げるのであって、誤解なきよう。この学校が幼稚舎という付属の学校を設置したことによって、悪夢はスタートした。訳も分からない7歳の子供が入学すると(それも親の資産や学歴をも対象とした選考基準を乗り越えて)大半はそのまま、一般実力入試よりは程度の低い内部試験を経て、大学OBとなる。(正式な大学入試合格者は相応の実力の持ち主であると認める)彼らが親類知人の閨閥を利用して、実力以上の地位を得るのは日本という国にとって悲劇である。
周りに数人無能な慶應卒がいたから何なんですかね?難関国立卒の人はみんな仕事ができる人たちなんですかね?大学入試問題の処理能力と実務は違うと思いますが。
このスレ、「木を見て森を見ず」の一言で片付いちゃいますよ。しかし学問のススメの冒頭文を知ったかぶりで振りかざす方々は本当に滑稽ですね。
「世襲が問題」が正しいとしても、そういう子供は東大出ていようが、日大出ていようが、高卒だろうが、世襲する。慶應には二世三世が多いから結果として世襲が多くなるけど、慶應が幼稚舎を作っって御曹司を入れたから日本で世襲が増えたわけじゃないでしょ。つまり、結果であって、原因ではないわけだから、慶應を責めても仕方がないと思いますけど。
あと、私立学校が学力だけを基準に選抜しなければならない、って思いこみがあるようですけど、必ずしもそうは思いませんよ。学力試験、AO試験、スポーツ推薦、付属からの進学、外国人留学生、と多様なバックグラウンドが集まっているのは、人間形成上も、卒業生ネットワークという意味でも、良いと思います。
以前幼稚舎が「実力オンリー」の試験をやって関係者を落としまくったことがありましたけど、結局元にもどっちゃいましたね。私はどっちが絶対正しいとは思いませんが、所詮幼稚園段階での能力を判定するのは難しいから、いいお家の方ばかりになってもいいんじゃないかと思いますけどね。おかげで寄付金もばっちり集まるわけですし。
あと、付属がバカ、ということが書いてありますけど、東大ならいざ知らず、大学で慶應入る程度の学力ってのもそんなにすごいものなのだろうか?大学入ってから一緒になって遊んでいれば、卒業のころには変わらなくなりますしね。慶應は試験日、入試科目、学費などを絶妙に設定して、東大落ちの優秀層を取り込むことに成功しているんだと思いますけど、例えば経済学部第1志望で1年浪人して、英語・数学・小論文だけ頑張って入ってしまう人もいるわけですよね。そんなに附属に比べて優秀なんだろうか。。。。この辺はわからないので失礼があったら謝りますね。
個人的な印象としては、普通部、中等部、塾高・志木高からの入学者は、相当優秀な人も多いと思います。学歴や資格が偉いというつもりはないですけど、大学からの入学者でも簡単には受からない公認会計士・弁護士試験合格者や、米国のTop MBA卒業生もたくさん知ってます。幼稚舎も、別に社会人としては普通にやっている人も多いですし、たまにものすごい才能のある人がいますね。Wikiで見ても、実力で社会的に成功している人がたくさん出ていますから、個人的な印象は間違っていないんじゃないかと思います。
私は幼稚舎の存在こそが、慶應における「平等」に寄与していると思いますよ。すなわち慶應では、医学部を除けば幼稚舎が一番高い。NYとかもそうかもしれませんが。その一方で大学の、特に文系はかなり安い。今年度から上がったようですが、それでも私大文系では「普通」レベルで、「慶應=金持ち」のイメージからは程遠い金額。先述の医学部も、私立の中では破格の値段。その上手厚い奨学金制度や奨学融資制度がある。原理は累進課税制度と同じで、「取れるところから取る」。もちろん慶應において寄付は全くの任意ですが、多額の寄付をしてくれる人が多くいるに越したことはない。私大にとって設備投資や研究費の確保は難しいですからね。
そして、その幼稚舎出身者の中からも色んな意味で優秀な人材が育つ。(毎年大学のトップは幼稚舎卒と言われている)ダメな生徒は勝手に留年・退学すればいい。卒業できたとしても、実力のない人間は社会で淘汰されればいいし、卒業後の一挙一動に母校が責任を求められても困りますね。2世政治家として君臨するのが問題だとしても、その原因を作ったのが慶應というわけではないので、批判は筋違い。そろそろ2世議員対策が始まるようですが、2世でも実力や人望がないと議員になれないようにすればいい。
一般企業における2世批判は全く意味がない。企業は自由競争であり、どういうプロセスで経営者が選ばれようが、部外者に口出しの権利はない。経営者が無能で潰れれば自己責任。食品偽装のように他人に迷惑を掛けるのはダメですがね。一方でサントリーのように世襲経営でも超優良の企業だってある。
《多くのご意見を大変、興味深く拝読しました。皆様の貴重な時間と労力に感謝します。中には茶化した内容も散見されましたが、ビジネス現場からの警鐘を素直に考えてもらった保護者の方の感想などは、この提起の趣旨にかなっていると思います。こういう声は実は象牙の塔という閉鎖社会に生きる教師や私立大学関係者に届けて、猛省を促さなければならないのです。閉鎖的にならないように、アメリカではハーバード大学がクリントン政権高官のサマーズ氏を学長に招くほど学校と政治・実業界などとの交流が盛んです。ところで『海外駐在員は暇なのか?』という書き込みかありましたが、夏季休暇中なのでご容赦頂きたい、今週だけのForum参加です。ここまでの内容を消化した上で、自分の結論めいた意見になるかもしれませんが、下記の通り述べさせてもらいます》
確かに多様な人材を養成するために幼少の頃から様々な基準で入学させる私立の姿勢は理解されるのだが、これを大学に付属させた私立学校法人の狡猾さ(教育を商売の具にした)に元凶があった。私は大学入学か就職の時点で真の実力を問う必要があると考えるのだが、官庁、メディアや法曹界へ進もうとすれば選抜試験や資格試験があり、アパレルやスポーツ・芸術の世界は実力が問われるだけで問題はない。ところが、政治家の世界には本人資質を問うに曖昧な選挙しかないし、大多数の人材が進む民間企業の場合、一流会社などは数千人の応募があって、彼らを一斉テストや面接で選抜するなど、時間とコストを考えれば無理である。欧米の会社は例えば必要人員の3倍ほどをリクルートし、彼らを3~6か月試用期間(probation)と称して現場で働かせて、不適格者を次々に馘首していくシステムを採っている。この手法なら企業は優秀な人材だけの集団となってグローバルビジネス戦争の勝ち組になれる可能性は高くなる。(ミスも冒すであろうが、それは確率の問題)しかし、このシステムが日本で受容される環境にはないところが口惜しい。つまり、日本の会社が新卒年次採用方式である限り、偽装エリート人材が一旦、一流会社に入ると長期に渡って存在し、本人は不幸であろうし(日本のサラリーマン自殺者数の多さを考慮すると、こちらの人間的不幸のほうがより重大なのかもしれない)会社には経済的損失が生じる。この方式と私立のエスカレーター方式はもう改革しようにも出来ない状況にある。欧米の一流大学に付属の小・中・高校を併設するなどという発想があるだろうか?広範な情報を持ち合わせていないので断言できないが、恐らくないであろう。日本は潜在的に優秀な能力を備えている民族であるのは世界の周知であるとしても、それを私立高校・大学の7年間、徹底的に鍛え抜かないのはもったいないと感じてしまう。別の考え方として、大学卒業のハードルを欧米大学並みに高くするという発想も論じられたことがあったが、これとて前述の新卒年次採用方式が存在しているので強烈な反対が起きることは自明の理である。そうなれば、やはり私立学校法人側の変革が求められることになるけれども、生存競争に明け暮れている現状では無理な願いであろうし、どなたかの書き込みにもあったが、企業側が選抜手法を洗練していくしか手はないのかも知れない。しかし、何度も言うが、これは国家にとって大きなコストを抱えた弊害である。
改行がなくて読みにくいことは一目瞭然ですが、
そもそも、ご自身の怒りの出どころが見定まっていないのか、一貫校からは優秀な人材が出ないというのは間違いだよ、という反論を消化しようという意思は全くないようですね。
つまりは問題提起ではない、怒りの昇華のためにスレなのでしょう。
話を続けても平行線なだけでしょうが、
>>欧米の会社は例えば必要人員の3倍ほどをリクルートし、彼らを3~6か月試用期間(probation)と称して現場で働かせて、不適格者を次々に馘首していくシステムを採っている。この手法なら企業は優秀な人材だけの集団となってグローバルビジネス戦争の勝ち組になれる可能性は高くなる。<<
その欧米、とくに米国の会社が大きくつまづいた時代です。
確かにつまづいても、市場が持ち直すに連れ大きな収益を挙げ、今まで通りに突っ走ろうとしている”生き残り”組もあります。
ただ、その行動は大いに非難されるべきもの。
ごくわずかの企業のみがむさぼり尽くすことが ”生き残る”目的ではありません。
ムダを省き、使えない人材は放り出し、優秀な人間だけでスリムに効率よく経営する。
このような考え方は、企業のあるべき姿勢として疑われることなく存在してきました。
これは否定できませんし、、企業、あるいは集団を構成する個人個人は自己の向上を目指し努力を続けるべきでしょう。
しかし、今だからこそ、内輪にデキの悪いものもかかえ、なんだか納得いかない部分とも折り合いをつけて、とりあえず落ちこぼさずに歩み続けて行く企業の在り方というのも考えてみるべきではないでしょうか。
やはりどのような選択をするのかは,保護者や子どもが決めれ
ばよいのだろうと思います。どのような学校に通ったとしても,
優秀な人も駄目な人もいるわけですから。
スレ主さんの投稿で気になるところは,教育の目的がグローバル
化された企業の論理により適うような人材の育成にある,と思わ
れるところです。何に価値を見出し,どのような仕事を選択する
かは,人それぞれであり,どのような学校を選択するかも人そ
れぞれなのではないのでしょうか。
また,国の教育予算が貧困で,私立大学が濫立するような教育政
策を国がずっと採ってきた以上,私立大学が生き残りのために
(前にも言ったように,慶応には当てはまらないかも知れませんが),
附属校などを拡充することもあながち責められないように
思われます。
私の子どもたちは私立の中高一貫校に通って,大学受験をした
(今後,大学受験をする子どももいますが)のですが,それが
本当によかったかどうかは,今となってはよく分かりません。
(もっとも,小学校から私立に通わせられるだけの資力もない
ですが)
こんなようなことを考えています。
まとまりのない話ですみません。
夫婦とも地方出身で、親兄弟含めて国公立の学校しか行ったことがないもので、
私学に対してはあまり知識も興味もありませんでしたが、
今春から息子が思いがけず慶應義塾にお世話になるはめになり
(受験は子ども任せでしたので…)、
多少なりともこの学校に縁がある者として改めて世の中を見てみると、
思いのほか世間さまに必要以上に関心を持たれている学校だったのですね。
大学の様子は間接的にしかうかがい知ることはできませんが、
学生さんたちはいわゆる内部も外部もさほど意識することはなく、
何かの折には互いに一目置くという関係のようです。
人数も多く、多様なルートから入学してくる学生がいれば、それこそ玉石混淆でしょうが、
学問に限らずすぐれたものを持つ人に出会える機会も多いでしょう。
困った人、どうしようもない人はどこの世界にもいるわけで。
それにしても、こんなにねたまれやすい学校とは知りませんでした(笑)




































