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◆選択的夫婦別姓の是非を考える:建設的な議論の場へ
選択的夫婦別姓に関する議論が活発化していますが、感情的なやり取りや論点のすり替えが多く、建設的な意見交換が難しい状況も見受けられました。
このスレッドでは、選択的夫婦別姓の是非を冷静に議論し、具体的なメリット・デメリット、社会的影響、そして制度設計の課題について考えていきたいと思います。
以下の点を議論の基軸としたいと思います:
1️⃣:選択肢を増やすことの意義:強制ではなく、選択の自由を保障することの利点は?
2️⃣:懸念点と解決策:家族の一体感や戸籍制度への影響など、反対派の懸念にどう対応するか?
3️⃣:実現に向けた課題:法整備や社会的な合意形成に必要なプロセスは何か?
感情論に陥らず、具体的で理性的な議論を心掛けましょう。賛成・反対の立場を問わず、意見交換を通じてより深い理解を目指す場にしたいと考えています。
理想論だけではなく、現実的な視点から議論を進めましょう。
以前きりたんぽ鍋というハンドルネームでしたが、
誰かと同一人物と誤解されたスレ主さんに、もうレスはするなと言われて、
「きりたんぽ鍋はたまたま昨日の夕食のメニューだったから。また書き込みますよ、ハンドルネームは変えるか変えないか、決めてませんが」
とお答えしたはず。
ちなみにコピペしようと遡りましたが、消されていました。どうして??
それにしてもスレ主様、よく同じIDを見つけられましたね。
それと、自作自演なんて姑息なこと、私はしていませんよ。そこまで暇ではないです。
それと、保守的な考えであれば文章も似た感じになってもおかしくないのかも。
私は全然似てないと思いますけど。
あんな風にわかりやすく保守派の考えをまとめられませんよ。(言語化できません)
ポン吉さんのご意見を拝見しましたが、いくつか疑問があります。
まず、「日本は既に滅んでいる」との主張ですが、滅亡を定義する基準が示されていません。
その上で「別姓化が延命に役立つ」と結びつける論理的根拠が不明です。
また、戸籍制度や女性・外国人労働者の問題、さらに外貨建ての蓄財を「棄国」とする主張は、それぞれ独立した議論で、別姓化の是非とどう関連するのか説明が必要です。
主張を整理し、具体例や根拠を示していただければ、議論がより建設的になると思います。
保守派の人たちが「選択的夫婦別姓」に反対するのは、選択の自由という民主主義の基盤原理に抵触するという議論を展開してきたけど、民主主義の観点からこの問題を論じるのであれば、英国の代表的な保守思想家、チェスタートンの「死者の民主主義」に言及しないと、公正を欠きますね。
生者はせいぜいその場限りの気まぐれな一票を投じるだけだが、死者はその数限りない墓石によって無言の投票を行っている、というわけです。その死者の投票が「伝統」というわけです。
このスレでは、「墓じまい」も話題になっていたようなので、保守派の人々の頭の中にあるのは、この墓石による死者の無言の投票である「伝統」を重んじなければならないという意識なのだと思います。
民主主義の名目の下での伝統の破壊と言えば、代表的なものは、フランス革命時のエベール派による「理性の祭典」が挙げられると思います。
これは、彼らが崇め奉る民主主義の障害となる保守的なキリスト教道徳を貶めるために、パリのノートルダム大聖堂で行われたイベントで、祭壇に掲げられていた十字架を外して、その位置に半裸の衣装を纏いしどけないポーズで椅子に座る人気女優を置いて、徹底的にキリスト教道徳を貶める目的でなされた祭典です。
選択的夫婦別姓は、これからの日本の経済社会に合致しており、新たな経済の活性化につながるであろうことは私も認めます。
しかし、その経済の発展は、この「理性の祭典」によるバカ騒ぎとどこに違いがあるのでしょうか。
「死者の民主主義」はその危険性を警告しています。
あなたのコメントは「死者の民主主義」という独自の視点を用いて選択的夫婦別姓の問題を伝統と民主主義の対立構造として提示し、その哲学的背景に興味深い深みを与えています。しかし、いくつかの疑問点もあります。
まず、チェスタートンの「死者の民主主義」の適用がどこまで妥当性を持つでしょうか。この思想が強調する「伝統」という投票は、社会の現実的な変化や生者の幸福を必ずしも反映しているわけではありません。過去の価値観を現代の課題にそのまま当てはめることで、柔軟性を欠き、かえって社会の停滞を招く可能性も否定できないのではないでしょうか?
「伝統」とは固定されたものではなく、過去から現在、そして未来へと続く時間の中で、少しずつ形を変えながら受け継がれるものではないでしょうか。「死者の民主主義」という考え方を現代に適用するならば、その伝統を単に守るだけではなく、現代に即してどのように進化させていくかも考えるべきかもしれません。
さらに、「理性の祭典」の事例を用いて選択的夫婦別姓を「バカ騒ぎ」に喩える点は、議論を不必要に過激化しているように感じられます。この喩えは、選択的夫婦別姓が日本の経済社会の活性化に貢献する可能性を認めつつも、それを伝統破壊として非難する矛盾を孕んでいるのではないでしょうか。歴史的事例との比較を行う場合、現代の具体的な背景と乖離しない形で行うべきです。
この問題を「伝統の破壊」として捉えるだけではなく、伝統そのものをどのように発展させ、現代の価値観と調和させるかを議論に取り入れることが重要だと考えます。保守的価値観を支持する立場からでも、この視点を加えれば、さらに説得力のある主張が可能になるのではないでしょうか。
まず、夫婦別姓が、伝統の破壊と言う点が、間違いですよ。
夫婦同姓が定められたのは、明治31年の民法からです。しかも、一般的に姓を公称できるようになったのは明治時代に入ってからです。
1870年発布の太政官布告により、約95%の庶民も姓を許可されました。そして、翌年の太政官指令では、夫婦別姓(別氏)にすることが定められ、それが約20年間続きました。
日本の伝統は、儒教文化や父系制の影響で、父親からもらった姓を大切にするという文化でしたよ。女性でも結婚したくらいで姓を変えるというのは父親への敬意を欠くと考えられていました。また、女性を受け入れる家も、大事な姓を名乗らせることに抵抗感があったようですよ。
以下、氏制度の変遷です。
徳川時代: 一般に,農民・町民には苗字=氏の使用は許されなかった。
明治3年9月19日太政官布告: 平民に氏の使用が許される。
明治8年2月13日太政官布告: 氏の使用が義務化される。(兵籍取調べの必要上,軍から要求されたものといわています)
明治9年3月17日太政官指令: 妻の氏は「所生ノ氏」(=実家の氏)を用いることとされる(夫婦別氏制)。
明治31年民法(旧法)成立: 夫婦は,家を同じくすることにより,同じ氏を称することとされる(夫婦同氏制)。
昭和22年改正民法成立: 夫婦は,婚姻の際に定めるところに従い,夫又は妻の氏を称することとされる(夫婦同氏制)。旧民法以来の夫婦同氏制の原則を維持しつつも、男女平等の理念に沿って,夫婦は,その合意により,夫又は妻のいずれかの氏を称することができるとする。
「選択的夫婦別姓制度」は、同姓・別姓のいずれかを強制するのではありません。それぞれ結婚前の姓を名乗るかどうかを決定できる自由を認めるものです。
別姓で、ご先祖様のご意志に関して不安があるなら、選ばなければ大丈夫ですよ。
安堵さんの指摘は極めて的を射たもので、夫婦同姓が明治以降の制度であることを強調し、「伝統の破壊」という主張が歴史的事実と矛盾している点を明らかにしています。同姓は、近代国家形成の一環として採用された比較的新しい制度であり、選択的夫婦別姓が伝統を否定するものでないことは明確です。
さらに、死者が必ず伝統に投票するという前提にも疑問を感じます。歴史上、現状に異を唱えた死者も多く存在し、彼らの意思が現代における伝統と一致する保証はありません。チェスタートンの理論を援用するなら、むしろ伝統を疑い、社会の進化を支えた死者の声も考慮すべきではないでしょうか?
方向性は同じということでいいのではないでしょうか。細かい話は色々あって、夫婦同姓が合理的ということに収れんはするのですが、テクニカルな問題というより、人間観の問題が本当は重要ですからね。
インサイド・アウトかアウトサイドインか。自責思考か他責思考か。X界には別姓派の人がうじゃうじゃいて、相手構わず噛み付いて回ってるのですが、別姓派やフェミニストの人には共通した特徴があって、ほぼ例外なく、夫婦仲・嫁姑仲が悪い、悪かった人たちです。彼ら彼女らにとっては結婚とは競争の場であり、主導権や優劣であり、姓を奪われることは支配下に置かれることであり。
マザーテレサは言います。なぜ男女が全く同じだと主張し、男女の素晴らしい違いを否定しようとする人がいるのか分かりませんと。神から女性に与えられた素晴らしい母性。人を愛し、尽くすことより仕事や社会的地位のことを大切と考えたり。母親が仕事や社会的地位のために妊娠中絶を行い、最も近しい人を殺すことを是とするならば、戦争の廃絶や命の尊重など、全くの絵空事になってしまいます。
人の幸せ。抽象的な問題ですが、これを外部環境の問題と考えるか、自分の心の持ちようの問題と考えるか。
それは人の不幸の原因は中にも外にも色々あるでしょう。給料が安い、上司が悪い、会社の方針がない。新橋の飲み屋にいけば、悪い問題にはいくらでも出会えるでしょう。夫婦別姓が認められていないことも1つですか。外部環境は麻雀やポーカーの配牌ですね。貧乏な親の下に生まれた、女に生まれた、日本みたいなクソ国家に生まれた。様々な恨みがあるのでしょう。
その恨みを言って、直して、幸せになれますか?
日本は世界の中で調査の種類によっては世界一。悪く見積もっても世界の上位一割に入る幸せな国と見る人も多いですが、夫婦別姓が認められていないことなどを重く見るあなたたちには世界最低クラスを北朝鮮と争うレベルのようですね?
で、あなたたちは外部環境がよくないとして、新橋でくだ巻く代わりに会社のトップをすげ替え、同僚の頭蓋骨を切開して、脳みそを入れ替え、石破総理の代わりに山本太郎を総理にして、夫婦別姓にして、外部環境をよくすれば幸せになれますか?
保守派の我々はそうは考えない。
悪い外部環境など挙げれば無限に出てくるでしょうが、不幸の根源は外部環境ではなく、不幸と感じる心の持ち方にあるから。配牌が悪いとして、変えられない配牌を前提にどうゲームを進めるか考えずに、配牌の悪さを嘆いている心持ちが変わらない限り、満貫の配牌が来ても役満じゃないと嘆くことは変わりません。
日本は家父長制の支配する守旧的なくそみたいな国だと、なるほど。そんな日本でも何百年何千年と一生懸命、外国から支配されないよう知恵を絞り、命をかけて守ってきた人がいます。
上野千鶴子は言います。日本の男たちは守ってやったというけれども、自分の物を守っただけで恩着せがましく言われる筋合いはないんだと。日本の男たちに守ってもらわない方がもっといい海外のイケメンと出会えるかもしれないと。
ウクライナで戦時下性被害が多発する中、よく言えるなとは思いますが、思想信条の自由というものです。
2人の囚人がいた。1人は足元の草を見、1人は星を見た。精神の自由とはそういうことだと思います。




































