最終更新:

10
Comment

【2659062】「イキイキしてるね」と言われて

投稿者: おだやか   (ID:8.zMa9BveCc) 投稿日時:2012年 08月 23日 14:34

数年前に祖義母・義母が亡くなり、半年前に義父が亡くなり…今わたしは夫と子供と心穏やかに暮らしています。

同居して15年。年月だけを見れば少ないです。でも濃い、濃い15年でした。
明治生まれの親に仕える昭和一桁の嫁のようでした。

義母は自らも壮絶な嫁姑問題に悩まされていました。結婚前までは病気ひとつしなかったのに常に微熱が続き、ある時はこぶし大の血を吐いたのに祖義母に「自分の不摂生だ」と放っておかれたそうです。「しね」「別れろ」毎日暴言にさらされ…。夫(義父)は無理解。相当なストレスがたまっていた筈です。でも自分が一番下の立場なのでどうする事もできず…。

でも、そこに私がやって来たのです。はけ口です。

何かしらの理由(冷蔵庫の中で食材が傷んでいた・掃除が行き届いていない)を付けては3時間~4時間のヒステリックな説教。「あんた、何様のつもり!この腐った女が!!土下座して謝れ!!!」。今でも耳にこびりついています。

時には2人で行っていた祖義母の介護を「いやになったから」とおしつけられ、要介護度4の(自分で寝返りすら出来なかった)寝たきりの人の世話をひと月した事もあります。

そんな義母との十数年でしたが、当時私もまだ若く、未熟なところだらけでしたので義母に注意された事全部を恨んではいません。特に料理は結婚してから義母に教えてもらったので、今の私があると思います。

ですから彼女が亡くなる前には「今までありがとうございました。おかあさんにお育てを頂いたからこそ、今の私があります。感謝しています」と謝辞を述べる事が出来ました。彼女は「あんな事をしてきた私に、そんな事を言ってくれるの?」と泣いていました。

そして葬儀を済ませた後、義母の娘がひと事「何と口うるさい人やったなぁ…」私と夫は深く頷きました。

そして義父。彼は…特殊でした。超わがまま。家族は顧みず、自らの趣味・趣向だけを大事にしました。第19代当主・ひとりっ子として親に存分に甘やかされた結果でしょう。また相当な学歴もあったため、二流短大出の私など…。

「お前はアホや。半人前やったらまだ人間やけど、お前はそれ以下や。人間やない。」 …もう10年以上前に言われた事ですが、未だに忘れられません。

一つも尊敬出来る所なく、義母の様に感謝出来る所もなく。彼も最後は病院でお世話になりましたので、毎日のお世話に通いましたが、あの人に触れる事だけは絶対に嫌でした。目を見て話す事も嫌でしたので、話す時は微妙に視線をズラしていました。

不服そうな表情を避けるために、義母との遣り取りで会得した「上唇と下唇をひっつけない」で乗り切りました。こうすると顔に力が入らないので口が「への字」になる事がなく、自分の感情を隠す事が出来るのです。

祖義母・義母・義父が亡くなり、今わたしはママ友いわく「イキイキしている」らしいです。

返信する

管理者通知をする

マイブックマーク

「嫁姑関係に戻る」

現在のページ: 2 / 2

  1. 【2660980】 投稿者: 何歳?  (ID:6AFAT1g4/pE) 投稿日時:2012年 08月 24日 22:55

    いやいや、別居しようよ。甲斐性なしの旦那だね…

  2. 【2661473】 投稿者: ↑の方に同意  (ID:Gyy1BjSr1Y6) 投稿日時:2012年 08月 25日 10:39

    なぜ家を出られないのでしょうか?

    改築などせず、賃貸でもいいから別居できなかったのが不思議。

    ご主人も、血尿がでるほどお辛い思いをされたのに、どうして?

  3. 【2662107】 投稿者: おだやか  (ID:8.zMa9BveCc) 投稿日時:2012年 08月 25日 21:21

    スレ主です。

    私たちが家を出られなかったのは、詳しい職業は言えませんが、夫が第20代を継職し「家」から離れられなくなっていたからです。

    出られるとすれば先代の義父達の方で。

    そうなれば彼らの家賃代から何から前コメントで挙げた内容全て、私たちに請求されるのは明らかで。自分たちの生活費プラスそれは、恥ずかしながら夫の収入だけでは賄いきれなかったので…。

    また祖義母の介護を(要介護度4)義母と二人で担っていたという事もありましたし。新生児を抱えながらの半同居スタートでしたが、それは出来る限り手伝おうと思っていたので。

    何より半同居でも居間と台所が別になっただけでも、私にとっては別世界の大変有り難い処置だったのです。

    完全同居を経験された事がある方なら分かって頂けると思うのですが、他の、自分以外の家族にとってそこは「居間」かもしれませんが、嫁にとってはそこは、くつろぎの「居間」ではないのです。まだ「仕事場」なのです。

    ですので、赤ちゃんと一緒にその元仕事場で、初めてごろりと横になった時「あぁ~やっとここが居間になった」と思いました。そこで横になる、などという事もそれまで全くなかった事なので。

    また台所が別になったことにより、それまでの義父の毎晩の晩酌、3時間に付き合わなくてもよくなったのは最大の喜びでした。

    義父は相当の酒豪で。コップのお酒がなくなるとさっと横から私が注ぐのです。慣れてきた頃にはコップを置くその音だけで、お酒の残量を知る事が出来た程でした。

あわせてチェックしたい関連掲示板

学校を探す

条件を絞り込んで探す

種別

学校名で探す