- インターエデュPICKUP
- 最終更新:
投稿者: 悩める一国民 (ID:pvfsSj9ssTE) 投稿日時:2014年 02月 21日 11:01
「第2次世界大戦って何だったんだろう?」本も読み、また長い間自分なりに考えてきました。しかし、未だ分かりません。「多くの人が犠牲になり、あの戦争は間違えだった」確かにそう思いますし、「欧米諸国の植民地政策に対抗するものだった」これも100%否定できないと思います。
そこで戦争の正否はさておき、「多くの人が犠牲になったこの戦争は、どうしたら防げたのだろう?」の視点から本を読んでみました。歴史を振り返るのですから、ひとつひとつの事件や事象の結果は分かっているのに、戦争を防ぐ物語が私には描けません。
感情的になっている中国や韓国と今別に話をする必要はないと思います。
ただ、私自身、次の点が整理できません。
1.第2次世界大戦は、間違えだったのか?
2.間違えだったとすれば、誰か責任を取らなければいけないのか?
3.誰も責任を取らない場合、多くの犠牲を敗戦国がどう説明するのか?
4.責任を取るとすれば、戦犯者の責任か?
5.戦犯者でないとすれば、国民を含め国全体の責任か?
6.戦争は間違えでなく避けられなかったとした場合、降伏した日本が欧米にどう説明するか?
靖国参拝について外国への説明も大事ですが、政治家の国内への丁寧な説明が今必要かもしれません。欧米の日本に対するマスコミ報道、そこに在住の日本人も意見を求められることがあるかも?日本への愛国心があればあるほど、この点をすっきりして自信を持って意見を言いたいところです。
(補足)ヒットラーと東条英機は全く違うことは、日本のみならず欧米諸国も認識してるのでは?ただ、ドイツはヒットラーの責任として大戦を精算してしまったように見えるのですが。
-
【3297497】 投稿者: 二俣川 (ID:itiWh1K/dEs) 投稿日時:2014年 02月 22日 11:08
>自分では戦争は止められなかったと思いつつも、自分が処刑される事で日本国民が救われると覚悟して、命を捧げてくれた戦犯の人たち。俺たちの死を無駄にするなよ、とdisappointedして泣いているように感じるのは私だけでしょうか?
あいにく戦犯の多くは、自己弁護を開陳したのではなかろうか。
むろん、その権利を否定はしない。
しかし、「死して虜囚の辱めを受けず」との戦陣訓を設けた張本人の東条英機。
昭和天皇からの寵愛をよいことに独裁者となった東条。
この男の権力でもって、報復的・懲罰的に突然再召集され、最前線に送られた人々も多い。
ましてや、降伏すら許されず自決に追い込まれた赤紙の一般召集兵たち。
毒薬や手りゅう弾、絶壁の崖などから身投げして自殺した多くの民間人たち。
その多くの犠牲が、東条と戦陣訓によるものだ。
しかし、この東条「閣下」。
自身は自殺に失敗して、敵方である米軍軍医に救命される始末。大恥をかいた。
かの軍医も、ぜったいに死なさない。生きて裁判に掛けさせる、との思いであったそうな。
そんな情けない東条に比べたら、自裁した阿南陸相や大西中将は立派であった。
東条らA級戦犯が絞首された跡地に建てられた池袋の「サンシャイン60」に出かけるたびに、
眼下にある絞首場に向け唾を吐き掛けたくなる衝動が起きることを禁じ得ない。 -
【3297516】 投稿者: 歴史は複雑 (ID:l8ySmgUty4M) 投稿日時:2014年 02月 22日 11:20
当時のコミンテルンについての本を読んでご覧。
-
【3297557】 投稿者: 二俣川 (ID:itiWh1K/dEs) 投稿日時:2014年 02月 22日 11:44
>当時のコミンテルンについての本を読んでご覧。
自分自身が、実は何ら目を通していないことがバレバレの書き込みだな 笑 -
【3297640】 投稿者: 中国人の持つ復讐心=二俣川氏の情念 (ID:sMJuUp8gC.g) 投稿日時:2014年 02月 22日 12:41
>眼下にある絞首場に向け唾を吐き掛けたくなる衝動が起きることを禁じ得ない。
へえ~、貴方の反日の原点は旧軍に対する憎悪ですか? 敗戦責任は軍部だけの物じゃないと思うぞ。 いけいけどんどんだった国民や新聞、大学教授たちにも大きな責任があるだろう。 -
-
【3297727】 投稿者: 第二次世界大戦とは (ID:JBGIg12kGCA) 投稿日時:2014年 02月 22日 13:37
経済的な側面からみれば、持てるもの(植民地を抱えた宗主国)と持たざるもの(新興国)との戦い。
だが、新興国の方で極端なファシズムが横行したため善と悪との戦いとなった。
それ以降世界大戦が起きなかったため善悪のレッテルは固定化されたまま。
何故中国は反日か?
日本の近代化は眠れる獅子、中国の没落と切り離せないため。
また東南アジアと並んで第二次世界大戦の主戦場である。
客観的にみても日本の本土空襲より遙かに多くの人命が東南アジアと中国で失われている。
なによりも日清戦争の賠償金がなければ日本に産業革命は起きなかっただろう。
何故韓国は反日か?
抗日パルチザン国家である北朝鮮と比べると国家の存在基盤が弱いため。
現在も北朝鮮を正当とみる左派の力が根強い。
初代大統領はアメリカの傀儡、二代目は旧日本軍の将校。
故に朝鮮戦争や軍事独裁時代を総括することができない。
何故東南アジアは親日か?
連合軍=宗主国だから。どっちもどっちの戦いだった。 -
【3297776】 投稿者: 二俣川 (ID:itiWh1K/dEs) 投稿日時:2014年 02月 22日 14:17
>へえ~、貴方の反日の原点は旧軍に対する憎悪ですか? 敗戦責任は軍部だけの物じゃないと思うぞ。 いけいけどんどんだった国民や新聞、大学教授たちにも大きな責任があるだろう。
どこのだれが、「敗戦責任は軍部だけ」と申したのかな。
しっかり読みなさい。
敗戦の責任はともかく、戦争責任の第一は昭和天皇にあるというのが私の考え。
なぜなら、
形式的理由として、明治憲法下において日帝の元首=主権者(統治者)であったこと。
実質的理由として、侵略戦争を実質的に承認し、とくに末期は「一撃講和論」に固執して、
軍部の作戦行動に加担、その結果講和時期を失して無用の犠牲者を増やしてしまったこと。
とくに、1944年以降、サイパン陥落以降は日本敗戦は確定的であったのに、天皇・軍部らは
自己の保身のため徒にずるずると決断を先送りした。
このため、沖縄地上戦・本土空襲・原爆投下・ソ連参戦などを招いてしまった。
なにより、太平洋戦争の犠牲者の圧倒的多くが、この最後の一年間に集中している事実は重い。 -
【3297880】 投稿者: 戦争首謀者 (ID:MPFcCri4YAc) 投稿日時:2014年 02月 22日 15:31
裕仁皇太子は、1914年(大正3年)の学習院初等科終了後、中等科に進まず、
東宮御学問所で学友5人とともに学ぶことになる。帝王学の教育が必要との判断によるものだ。
ここで受けた1921年までの7年弱に渡る教育が、思想上重要なものとなった。
国際社会でも立派に通用する天皇の育成が目指され、国家興亡史、生物進化論などの普遍的な学問を教授された。
ここでの教育は「天皇の絶対化、神格化」といった当時の政府見解とは異なるものであった。
大正デモクラシーの思潮の中で、第一世界大戦後の西欧社会の政党政治、協調外交を基盤する立憲君主制に共感を持つことになる。
次代の天皇は国際的にも通用する人物であることが必要だということで、英仏を中心とした西ヨーロッパ諸国を外遊している。
外遊先を通じで親しみを持って敬われる皇室を頂く立憲君主国家を作り出したいという政治思想が確立する。
そして「君臨すれども統治せず」となれば、民意を基盤とする政党内閣制の確立が必須となる。
大正天皇の体調悪化により摂政となり、その後崩御による天皇即位。
自分の意志表明により、政争に巻き込まれぬよう元老達の助言により、言葉を選びながらも昭和天皇の理想とする
平和主義を理想とする「徳治政治」を目指した。
満洲事変などの昭和の動乱とも言うべき状況下の中で、協調外交路線は国民からの支持も得ることができなかった。
信頼の厚かった元老などの取り巻きもいなくなり、思想的に孤立することになる。
さらに、支那事変、大東亜戦争へとつながり敗戦となる。
日本の軍隊は天皇を大元帥と仰いでいるのにその天皇をしてもっても軍の暴走を止めることができなかった。
天皇の意志と陸軍の意志が異なる場合、「皇祖皇室の遺訓」に合致していないと判断された場合には、
現天皇の意向に反してもかまわないということになるからであった。
これであれば、陸軍が独善的になるのも無理はないのだ。
宣戦の大詔には何と書いてあるかご存じだろうか
列國トノ交誼ヲ篤クシ萬邦共榮樂ヲ偕ニスルハ之亦帝國カ常ニ國交ノ要義ト爲ス所ナリ
(各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要としているところである)
今ヤ不幸ニシテ米英両國ト釁端ヲ開クニ至ル洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ
(今や不幸にして米英両国と争いを開始するに至った。まったくやむを得ない事態となったが、これは私の本意ではない。)
「天皇陛下がサイン」した文書
戦争を始めようとする時に大元帥が「戦争は本意ではない」とか「とにかく友好親善が大事で、それが皇祖皇宗の遺訓だ」とは
普通言うだろうか
当時はマスコミも軍部もみな「米英打つべし」の一色だった。
それを煽るのではなく、宥め諌めるような文書になっている。 -
【3298868】 投稿者: 二俣川 (ID:itiWh1K/dEs) 投稿日時:2014年 02月 23日 11:39
前段は古川・日大教授の『昭和天皇(中公新書)』の受け売りか。
しかし、中段以降は首肯しかねる。
そもそも、
「天皇の意志と陸軍の意志が異なる場合、「皇祖皇室の遺訓」に合致していないと判断された場合には、 現天皇の意向に反してもかまわないということになるからであった。」
との根拠はなにかね。