女子美の中高大連携授業
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韓国はなぜ反日か?
韓国ドラマ大好き、などと言っているみなさん、「韓国はなぜ反日か?」
というサイトを是非見てください。韓国という国のことがよくわかっていただけると思います。
戦国時代の日本軍は、何十年も戦を重ねて百戦錬磨、当時アジアの最強の軍でした。
しかも日本は、種子島に鉄砲が伝来すると、それを分解して優れた刀鍛冶技術をもって鉄砲を製造し、戦国時代に国内での鉄砲の製造が急増し、16世紀後半の日本は世界有数の鉄砲大国だったようです。ポルトガル商人メンデス・ピントの著書「東洋遍歴記」に「1556年(弘治2年)の日本における鉄砲数は数万挺」とあるらしい。
だから、宣教師はスペインに、「日本は軍事力が強くて征服は難しい。明は軍事力が弱いから征服できる。」と伝えていた。
信長や秀吉も、鉄砲や大砲がなかったら、いくら何でも唐入りなど考えもできなかったと思います。
あなたの論調も変わってきたようにお見受けする。
>慶長の役は目的自体が、文禄の役で攻略できなかった朝鮮南部を制覇して、築城して進出の拠点を作ることだったと書いたの。
慶長の役のきっかけは、講和交渉不成立、とくに明使の持参した「秀吉を日本国王に任ず」との趣旨に激怒したためだ。
いずれにせよ、最初から苦戦であったことに違いはない。
>【1859664】 投稿者: ?
実際には日本軍は優勢だったから、秀吉が生きていて戦いを続けていたら、明まで攻め込んだ可能性もある。日本の武将らは、たった2年後に豊臣と徳川で天下分け目の合戦やるほど皆な元気だし。
私は、仮に秀吉存命であっても荒唐無稽な話だと何度も述べている。
内部に課題を抱えていた脆弱な秀吉政権には、その力はなかった。
>「朝鮮の役」(徳間文庫―日本の戦史)[文庫] 旧参謀本部(1995/02)
狂気か妄執か。二度にわたって繰り返された朝鮮出兵は、李氏朝鮮を疲幣させたにとどまらず、緒戦の戦捷も束の間、膠着し泥沼化する戦線、蔓延する疫病、膠着し泥沼化する戦。大名は兵力をひたすら消耗し、領土すら得るもののなかった戦役は、朝鮮出兵組の大名たちと居残り石田三成の恩賞采配に対する不満が豊臣の屋台骨を揺るがし、大名たちの徳川傾斜に拍車をかけた。天下分け目の戦いで、日本の近世幕開けの引き金となった。
初見だが、同感。
明確に、「膠着し泥沼化する戦線」であり、兵力・物資の補給もままならず、将兵の士気が上がらないありさまであったことを裏付けている。
個々の戦闘での勝利はあっても、戦争そのものは勝利ではなかった。
日本の多くの学者の指摘するとおりだ。
補足
「延びきった兵站の果ての飢餓や凍え」
この説明など、私の主張(というより、学会の定説)とまったく同一だ。
>戦国時代の日本軍は、何十年も戦を重ねて百戦錬磨、当時アジアの最強の軍でした。
しかも日本は、種子島に鉄砲が伝来すると、それを分解して優れた刀鍛冶技術をもって鉄砲を製造し、戦国時代に国内での鉄砲の製造が急増し、16世紀後半の日本は世界有数の鉄砲大国だったようです。ポルトガル商人メンデス・ピントの著書「東洋遍歴記」に「1556年(弘治2年)の日本における鉄砲数は数万挺」とあるらしい。
だから、宣教師はスペインに、「日本は軍事力が強くて征服は難しい。明は軍事力が弱いから征服できる。」と伝えていた。
信長や秀吉も、鉄砲や大砲がなかったら、いくら何でも唐入りなど考えもできなかったと思います。
たしかに、日明貿易の貿易船で多くの利益をものにした堺の商人らが、それらを元手に大量に鉄砲を製造して諸侯に売却した
事実はある。
ただ、私は長篠の戦いにおける織田・徳川連合軍の例の「鉄砲3000挺」には疑問をもっている。
武田の誇る騎馬を主体とする軍団は、この鉄砲によってうち破られたものではないのではないか。
当時の銃の性能で、怒濤のように押し寄せる武田兵らを速やかになぎ倒せるものであったろうか。
>日本国内で、在日韓国、北朝鮮人が、犯罪を犯しても、服役等の後なぜ強制送還に
できないのでしょう。治安の向上につながり、在日のまじめな人にとっては、良い事なのでは。
所定の重罪であれば、永住者であっても入管法上法務大臣からする退去強制は可能である。
なぜ歴史学者を冒涜するなんてことにまで発展するのでしょうか?
時代が古ければ、少ない文献を読み解き、推察する域は出ないでしょう。
その見解が事実かもしれないし、そうでないかもしれない。
相手は死んでいるし、真実の確認が難しいことは別に間違っていないのでは?
ましてやその後は敵方が支配するような状態ですしね。
元寇や朝鮮出兵は、日本国内だけの事柄ではないでしょ。
近現代史ほどではないにしても、かなり神経を使っている事柄でしょう。
教科書は基本、深いところはスルーで、波風が立たないような触りだけだなと感じませんか?
後世の人間が作っている歴史の教科書を、
錦の御旗みたいにこれが絶対正しいと言わんばかりの二俣川さんのほうが奇妙に映るのです。
古い文献だって、ものによっては書き手の考えが色濃く反映されるものでしょ。
歴史の場合、どんなに偉い学者でも、ほとんどが「そう思う」「そうなんじゃないか」であって、
「そうだ」は少ないのでは?
新たな史料の発見で、珍説奇説が定説になることだってあり得るのです。
歴史で見解を述べることはいいのですよ。いろいろな見方があって、大変興味深いです。
>ただ、私は長篠の戦いにおける織田・徳川連合軍の例の「鉄砲3000挺」には疑問をもっている。
なんだ。二俣川さんもちゃんと疑問に思うところがあるんじゃないですか。
あんなに教科書を擁護していたのに…。結局自分が正しい方なのかしら?
歴史の教科書や参考書に、そんな朝鮮出兵の戦歴など詳しく書かれてないでしょ。
歴史認識も教科書の記述も、変わるでしょう。聖徳太子は実在したのか?、いなかったとか。
古代日本は朝鮮半島から稲作などの先進文化を学び、国を発展させてきたというのが“定説”だったが、稲のDNA鑑定などで、稲作は朝鮮半島経由ではなく東シナ海経由で日本に来たことが明白になったとか。
日本の古墳は韓国由来であると言われていたが、韓国で日本式の前方後円墳が発見されて裏付けられたと大喜びしていたら、出土品を年代測定したら日本よりずっと後のものしかなく、実は日本から朝鮮に伝わったことが分かったり。
朝鮮最古の正史『三国史記』には、新羅の基礎を造ったのは倭人・倭種だと記され、中国の『隋書』には、新羅も百済も倭国を文化大国として敬仰していたと明記されているらしい。
日本や朝鮮の古代王朝による歴史書「正史」というのは、研究の原典でしょう。一個人の情報や思いつきで書かれてるわけはないんだから。
中世・近代史においては、為政者の日記や手紙が、真実をを知るのに最も重要でしょう。
昭和天皇の「独白録」などは、戦後にGHQの要請で書かされたものなので、当時の真実か分からない。昭和天皇の日記は公開されませんが。
日本の歴史教科書の多くも、極悪の大日本帝国の亡霊と格闘している自虐史観だし。
日本の歴史学者は皇国史観を全否定してマルクス史観に没入してきたが、韓国の方は夢想的朝鮮民族絶対主義史観に没入している。日韓双方の学者は反日という点で共感し呼応する。どちらにも真実が欠けている。それが不幸ですね。
どこの偉い学者がどうのこうの、ではない。
秀吉の対外政策については、歴代の真面目な多くの研究者らが多くの実証的な裏付けをもって述べている、という趣旨である。
むろん前提として、不明なことは不明とするのが研究者の態度。
一方、不明なことにつき、自らの想像力を働かせて自在に書くのが、松本清張や司馬遼太郎などの小説家たち。
したがって、学者・研究者の多くが肯定する歴史的事実を覆すのには、反証としてそれ相応の実証的な裏付けが求められる。
ゆえに、通説・定説の立場で記述されている検定済教科書の説明には、学問的にも重みがある。
なお、長篠の戦いに関する私の疑問はただその限りの印象レベルのもの。
当該部分の定説を覆す能力は、もとより私には乏しい。




































