在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
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久しぶりに朝まで生テレビ!
橋下大阪市長が出てました。
5分ぐらい見て寝ようと思ったんですけど・・・。
なぜ橋下市長の構想に反対できるのかが、非常に不思議になっちゃいました。
今現在も見続けてますが・・・、ひとつの結論が見えました。
アレルギーなんですね。
橋下さんがいくら「タラバガニはおいしいよ」と言っても蟹アレルギーの人には
受け入れられないんでしょうね。
と、、、これを書いているうちに、、、
「君が代」の話になりました。
えーーー大阪の教育って・・・これが現実?
法令条例に反する教員を見逃せって・・・。
がんばれ!橋下市長。
ふうさん。御無沙汰ですな。憶えていて下さってありがとう。
深夜のコラージュ。
>この「穏やかな着席」が、一般人から見て「奇異」に映るのです。
そして一般人から奇異に映っただけで「排除」する。
>こわいこわい。
>そして一般人から奇異に映っただけで「排除」する。
ご自身のお子さんの小中学校の卒業式で「穏やかに着席」する教師を見たことを想像してください。
息子(娘)はこんなに成長したと、感慨深い反面、
こんな教師のいる学校に入れてしまったのか、
偏った信条、思想を持った教師に違いない、残念だ。
と思うのがオチ。
紳士 さん
「>」の使い方が間違っている(わかりにくい)と以前にも指摘されてましたよ(笑)
ところで、紳士さんなら、大阪市民です さん達の二俣川さんに対する質問にどう答えます?
まさか答えに窮する事はないですよねえ。
全知さま
神様というとなんか違和感があるので(笑)
先生が、勉強不足で保留とは珍しいですねえ。読み返しても確かに保留と書いてあった以降返事は無いですね。
卒業式の主役は誰なのか・・・主義主張に目がくらみ、みさかいがないのは恐ろしいことだと思います。
他人のことを省みない、偏執性を感じます。
いくらまわりが「だめですよ」といっても、「信条の自由」でしょうか、自らの主義主張を押し通すところなど独りよがりとでも言いましょうか。
そういった教師の下で、自分さえよければいいという生徒が育つのでしょう。
>二俣川先生は、理想とする国家、日本が目指すべきものが特にあるのではなくて、
>強制されるものに「反発」したいのですよね。
もちろん、私にも理想とする社会像はある。日本国憲法の精神が満ちた自由で開かれた社会である。
しかし、今回あなたはそれを私にお尋ねではなかったはずだ。
その意味で、私が絶対に保障されねばならないと考えているものは、憲法19条の思想及び良心の自由である。
すなわち、あなた方も含めすべての人々が何らの思想をお持ちになることが自由であり、また各人の抱えている
理想を強制して告白することは許されない。また、各人の思想形成に影響を与えるべく、権力側が一定の思想を
勧奨・抑圧することにも慎重であるべきだ。
とくに、先の引用した早稲田実業校長である渡邉重範・早大教授の著書にあったように、日本においては入学式・卒業式での「君が代・日の丸」が
児童・生徒らに対する時の権力者による天皇制的国家像(丸山真男先生になる「超国家主義」)の感化の手段となってきた事実があるからである。
したがって、憲法19条の積極的意義として、従来の日本において天皇が政治的世界のみならず、精神的・道徳的世界における権威なりとの考えがあった。
その結果、天皇制イデオロギーが人々の内心に対しても強い影響力を認められていたことを排除することに特別な意義があると解するからである。
この19条の趣旨から本件をみると、当該教員らが「君が代」で起立を拒んだことは、内心の自由に関わる思想の強制を拒んだものと考えられる。
けっして、彼らが卒業式を「自己の思想を表明する場」として利用したわけではない。そのような積極性は認められない。
既に述べたように、公務員とて19条の保障が当然に及ぶ。それがたとえ「奇異」に映ったとしても、その違いを容認し尊重することが憲法の趣旨である(道徳的観点とは別)。
よって、大阪や東京の事例のように、権力側が「起立」という行為を処罰をもって強制することは、憲法の趣旨からみて違憲の疑いがあるのである。
むしろ、この国における卒業式での君が代がいかに政治的意図でなされてきたかを考慮すべきである。
また、保護者も自己の理想とする卒業式像のゆえをもって、それを他人に有形無形に強制することは憲法19条の趣旨からみて問題あることを知るべきであろう。
このように、本件は憲法学的論点の本質をもつ。一部信者が述べるように、道徳的うんぬんというような浅薄なものではない。
一連の所論は、アルコールを体質的に受け付けない者に対して、一気飲みを強制することと同じである。新歓コンパなのに、という口実でもって。
二俣川先生、おはようございます。
日本国憲法の精神が満ちた自由で開かれた社会ですか。
なるほど、それなら先生のお考えでは少なくとも小中学校の入学式・卒業式
では国旗掲揚、国歌斉唱をすべきではないし、
義務教育で国旗が日の丸で国歌が君が代だと子どもたちに教えるべきではないということですね。
教師の思想信条(天皇制イデオロギーの排除)がそれによって満たされたとしても、一方で
児童、生徒における学問の自由、つまり国旗が何で国歌が何かを学ぶ自由が剥奪されるのではないですか。
私の考えでは、少なくとも義務教育では国旗国歌の基本的なところは学ぶ必要があると思うのです。
高校や、特に「熱心に」活動する学生のいる大学でその意義を深く知ることになるんじゃないかな。




































