女子美の中高大連携授業
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久しぶりに朝まで生テレビ!
橋下大阪市長が出てました。
5分ぐらい見て寝ようと思ったんですけど・・・。
なぜ橋下市長の構想に反対できるのかが、非常に不思議になっちゃいました。
今現在も見続けてますが・・・、ひとつの結論が見えました。
アレルギーなんですね。
橋下さんがいくら「タラバガニはおいしいよ」と言っても蟹アレルギーの人には
受け入れられないんでしょうね。
と、、、これを書いているうちに、、、
「君が代」の話になりました。
えーーー大阪の教育って・・・これが現実?
法令条例に反する教員を見逃せって・・・。
がんばれ!橋下市長。
ひゃあ、部分的に引用されてしまった…。
反橋下も橋下さんの手法で語ってしまう、、、
橋下さんのことを語ると、橋下さんの用意した土俵に上がってしまいますよね。
私はこのことがいやなんですよね。
「神様を信じますか」「信じません」
あの、教室中が振り返ったときの、白い目。ああいう「そろった目」で君が代を歌わない人を見たくはないですね。
私自身は歌いますけど。
公務員だから、決まりを守れ、という議論で済まなくなるんですよ、こういうことは。
この小さな国で、「大阪国」だけ、君が代を強制し、歌わせますか?賛同しない人には出てもらって。
でもそのときの国歌はきっと新しい「大阪国の歌」でしょう。
それにもっと単純な話なんですよ、小学生でもわかるようなね。強制された人は必ず心の中で反発しています。
大阪市長はいずれ国政にでるのでしょう。改革途中でほおりだされた大阪は、橋下さんほどの影響力のない市長のもとで、
どうなるか。おさえつけられていた人たちがどう動くかは想像できるでしょう。で、それをたしなめる、人間として倫理感
のある職員は、もう、そのころにはとっくに退職して大阪を去っているのです。あとは野となれ山となれ…。
いろいろな考えのひとが存在して、ときにはちっちゃくぶつかりながら相手を尊重する。それじゃだめなんですかね。
きっと寝言っていわれるんでしょうね。
間違えないで欲しいのは、教師側の問題だというだけで、子ども達や一般人には何の強制も罰則もないということです。
たとえば、子供が親の思想等に影響されて君が代斉唱を拒否しても、処罰される事はありません。
もちろん指導はありますが、罰は無いです。
これは、人権の問題だからです。
しかし、指導者が指導できないというのは、また違った問題が発生するということなのです。
学習指導要領どおりに指導できない教師は、子供の学ぶ権利を阻害してしまうからです。
私は自分の卒業式で、君が代が流れませんでした。
プログラム上に君が代の文字はありませんでした。
日の丸も掲げられていませんでした。
私は、自分自身が「学校式典において君が代斉唱が一般的に行われる」ということを学ぶ権利を疎外されたと感じています。
>しかるべき外部活動を通して行うことが望ましいのではないでしょうか。
>その活動を阻害する事は決して無いし、人権を否定しているわけではありません。
>あくまでも子供を教える立場の人間として、一番大切にすべき事の機軸をどこにするかという問題です。
>私は、今の君が代を否定していませんが、君が代を否定する理由がきちんとあるなら、教師としてではなく、別の形でその主張をしっかり社会に届けるべきでしょう。
>その別の姿を子どもに見せることは、私は悪い事ではないと思いますよ。
そうすると、同じ橋下支持者でも、あなたともう御一方とはお考えが異なることになる。
むろん、あなたご指摘のように、学校外の個人的領域では、教員とて本来何ら制約を受けるものではないことは当然である。
しかし、残念ながら教職員を攻撃する論法では、学校内外を問わず、「教員のくせに」と個人的領域まで不当なしばりをかける。
ましてや、それが政治的色彩をもったものであったなら、いかがであろうか。
私個人は、多様な価値観をもつ多文化共生社会が日本の進むべき道と考えている。ゆえに、「君が代」や「日の丸」の強制には首肯しかねる。
とくに、学校現場ではすでに複雑な民族的背景をもつ多国籍の子どもたちが数多く机を並べている。
そんななか、一元的な価値観の押し付けまがいな教育が、はたして子どもたちの将来に有用性をもつものであろうか。
今は、とんちんかんな政治家に成り果てた感のある自民党の猪口邦子参院議員。
上智の教員時代は、輝かしかった。
その彼女が米国での小学生時代、歴史の授業で日米開戦(真珠湾攻撃)の学習単元のときに悩んだらしい。
クラス唯一の日本人として・・・
ところが、担当の米国人先生は彼女の予想に反して、当時の日本側の事情にも配慮した授業を行ったとのこと。
さすが、多国籍社会のお国柄である(ゆえに、国家的忠誠をとくに求めざるを得ないわけだが)。
学習指導要領には、国際理解を進める方向性が盛られている。
ところが、国旗・国歌の事実上の強制は、しかも口パクや静かな不起立であってさえも処分されてしまう残酷な現実こそ、その趣旨にもとる結果になってしまうのではなかろうか。
国際理解とは、お互いの違いを認め合い、尊重し合うことが大前提である。内心の自由・思想信条の自由さえ、端から強権的に禁圧するやり方は、まったくの逆行である。
鎖国の江戸時代なら、それでも良かったかもしれないが。
>しかし、残念ながら教職員を攻撃する論法では、学校内外を問わず、「教員のくせに」と個人的領域まで不当なしばりをかける。
ましてや、それが政治的色彩をもったものであったなら、いかがであろうか。
あの・・・そんな心配をするような性格の人は、式典であえて着席なんてしないのでは?(笑)
>内心の自由・思想信条の自由さえ、端から強権的に禁圧するやり方は、まったくの逆行である。
別に内心の自由も思想信条の自由も禁圧してません。
教育現場での子ども達に接する上での行動機軸をどこに持ってくるかの問題です。
二俣川さんの主張が通る社会、教師が君が代や日の丸を真っ向から否定できる社会を目指しているなら、その実現に向けて、行動を起こせばいいと思います。
私は、そのような人を止めるつもりはありません。
ただ、現状に即した話として、皆様に解説しているだけです。
子どもの学校の教師には、思想信条をあえて表に出さず、中立的な教えをしていただきたいだけです。
大阪では、そのことを尊守していただける流れになったので、ありがたいと思っています。
ところで、私の質問にはお答えいただけないのでしょうか?




































