アートの才能を伸ばす女子教育
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修身と道徳
修身とは、戦前の小学校で教えられていた、今の「道徳」にあたる科目です。
そして、下記は教育方針を明記した教育勅語の12徳目 です。
SS様、あなたは特に読まなければいけませんね。
親に孝養をつくそう(孝行)
兄弟・姉妹は仲良くしよう(友愛)
夫婦はいつも仲むつまじくしよう(夫婦の和)
友だちはお互いに信じあって付き合おう(朋友の信)
自分の言動をつつしもう(謙遜)
広く全ての人に愛の手をさしのべよう(博愛)
勉学に励み職業を身につけよう(修業習学)
知識を養い才能を伸ばそう(知能啓発)
人格の向上につとめよう(徳器成就)
広く世の人々や社会のためになる仕事に励もう(公益世務)
法律や規則を守り社会の秩序に従おう(遵法)
国難に際しては国のため力を尽くそう、それが国運を永らえる途(義勇)
来年の卒業式にむけて、SSさまの目に留まるように時々スレを上げときますね。
まして、それ以前の歴代天皇に上述のような意味での象徴性を大衆に感じさせた者は皆無であろう。すなわち、当時ごく一部の者らを除いて、多くの大衆にとって天皇の存在すら不知であったものと考えられるからである。それは、明治初期の国民による「天皇って何?」との意識に表れている。
したがって、「平素はゼロとしての存在感ですから「空」であり、日本、日本国民が厄災にみまわれる非平穏時には、ゼロから強力に顕在化した存在となる」を肯定するにしても、それは象徴天皇制という概念が憲法秩序に浸透した1960年代 になってから(上述戸松説)、ということになろうか。
沿革的にみれば、戦後の米ソ対立による米国側の対日占領政策の変更が、天皇制温存ならびに戦犯ら旧支配層の免罪という方向転換になった※。
したがって、戦後の日本民主化方針と両立させる苦肉の策として、マッカーサー草案において「象徴天皇制」を国民主権主義の憲法自身が認める例外として挿入せざるを得なかったのである。その意味で、最高法規である憲法に天皇制の実定法的根拠を設けた意義は大きい。
戸松教授も、「『第1章 天皇』『第2章 戦争の放棄』とが、人権保障や統治機構の諸規定より前に置かれていることは、その理由の詮索はさておき、日本国憲法の特性が示されている『前同書』4頁」と指摘している。
※ちなみに、隣国の韓国では(間接統治だった日本と異なり)米軍自身が直接軍政を敷いた。このため、日本協力者ら旧支配層や日帝植民地下の権力システムが戦後もそのまま温存、利用された。
その結果、本来粛清されるべきはずの「売国奴ら」が解放後今日まで権力の座を占め続けることに、韓国民衆は怒りをもっている。たとえば、現在の朴大統領は支配者であった日帝の職業軍人の娘である。父親は大統領時代に非情な独裁者として君臨した(当時は、安倍の祖父である岸信介らと昵懇=日韓癒着時代であった)。
また、財閥の多くも、創始者に日本留学組(例、『三星』創始者)が多く、植民地時代に日帝に近い存在であった者も少なくない。
そのような文脈で、今日の「対日資産清算」関連を考察しないと実相は理解できない。
こんにちは、携帯からです。
不生産的労働者様
>まして、それ以前の歴代天皇に上述のような意味での象徴性を大衆に感じさせた者は皆無であろう。すなわち、当時ごく一部の者らを除いて、多くの大衆にとって天皇の存在すら不知であったものと考えられるからである。それは、明治初期の国民による「天皇って何?」との意識に表れている。
またそれですか?
前にも散々やりましたよね。
…昔からお節句の雛人形にしても流し雛にしても日本中にあたっんですよ。今のような、ただの遊びではありません、皆御内裏様お雛様の意味は知っていたでしょうに。
後付の下らぬこじつけだ。
そもそも、情報手段の限られていた江戸以前において、当時の一般大衆に「天皇」の存在を知るすべがあるはずがない。かろうじて、首都であった京都ならびに応仁の乱の際に公家が避難した「小京都」こと現在の山口市の人々が知るくらいなものであったのではないか。
また、封建時代の仕組みからして、御恩と奉公は領主である武士に対する関係であった。そこに、天皇や公家の出る幕は毛頭ない。
たしかに、実態的には疑問であるものの、形式的には「天皇制」が続いてきたといえなくもない(血統的連続性はなし)。
しかし、後醍醐天皇を除けば、ほぼ政治的に天皇は「お飾り」に過ぎない存在であった。
それゆえ、戊辰戦争の際、徳川体制に対する革命の錦の御旗として、薩長は年若い青年(のちの明治天皇)を担ぎ上げたのである。
さらに、元勲となった彼らは、旧体制からの反革命を恐れた。そこで、「皇国史観」なる官製宗教をでっちあげた。これにより、自らの地位保全を画策したのである。
その意味で、明治維新こそ今日の天皇制確立の大きなきっかけになったものである。
鎌倉時代以降江戸末期までの武家社会における天皇の存在など、(濃淡あれど)けっして大きいものではなかった。また、当時の公家連中の腐敗ぶりも歴史の知るところである。
>昔からお節句の雛人形にしても流し雛にしても日本中にあたっんですよ。今のような、ただの遊びではありません、皆御内裏様お雛様の意味は知っていたでしょうに。
根拠は?
それもまたあなたの「思い込み」ではなかろうか。
また、当時の人々はそれが何であるか知らずにいたのではないか。
そもそも、貧しく文化的環境も乏しかった当時の民衆一般に、
「お節句の雛人形」で遊べる余裕がどれほどあったであろうか。
徳川家光による農民に対するあの思い上がった言いぐさを思い起されよ
(ちなみに、こいつは聴衆に『下々のみなさん』と語りかけたと聞く、例の麻生財務大臣に酷似している)。
>根拠は?
あっそれ、言われるの久しぶり。
>また、当時の人々はそれが何であるか知らずにいたのではないか。
そんなことないでしょう。
>そもそも、貧しく文化的環境も乏しかった当時の民衆一般に、
「お節句の雛人形」で遊べる余裕がどれほどあったであろうか。
そりゃそうですよ、雛人形を遊べるのは裕福な商家が多かったみたいですから。
それでも昔からお雛様を飾った家は日本中そこらにあったことは間違いないのですよ。今現在、昔から伝わる古い雛人形を使って町おこしをしている町がたくさんあるのは事実なんですから。
私はすべての人たちが知っていた、とは言っていません。
確かに、天皇を知らない人も沢山いたと思う。それは天皇だけじゃなくて将軍の存在も知らなかったんじゃない?生きるのが精一杯の人たちせいぜいがは自分の村の範囲内でしか世間を知らない人も多かったと思います。
一方で天皇や将軍や世間を知っている人たちも大勢いたんだと思いますよ。
文化人や知識人が将軍を知っていて天子様を知らないわけがない。
>昔からお節句の雛人形にしても流し雛にしても日本中にあたっんですよ。今のような、ただの遊びではありません、皆御内裏様お雛様の意味は知っていたでしょうに。
現代でもお内裏様お雛様が天皇皇后と思っている人なんていないだろ。
将来皇太子夫妻の代になってマサコそっくりの太ったお雛様なんか誰も喜ばない。
気持ち悪いだけ。
たんなる「変わり雛」である。































