【インターエデュからのお知らせ】 旬な話題カテゴリーにおいて悪質な荒らし行為が見受けられたため、
一部のホストからの接続による書き込みを一時的に停止しております。
「規制ホスト:t-com.ne.jp」
該当の環境をお使いのユーザーのみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、
ご理解の程よろしくお願い申し上げます。

インターエデュPICKUP
3252 コメント 最終更新:

修身と道徳

【2795678】
スレッド作成者: ひまわり (ID:KRiLw48yacA)
2012年 12月 19日 07:54

修身とは、戦前の小学校で教えられていた、今の「道徳」にあたる科目です。


そして、下記は教育方針を明記した教育勅語の12徳目 です。
SS様、あなたは特に読まなければいけませんね。


親に孝養をつくそう(孝行)
兄弟・姉妹は仲良くしよう(友愛)
夫婦はいつも仲むつまじくしよう(夫婦の和)
友だちはお互いに信じあって付き合おう(朋友の信)
自分の言動をつつしもう(謙遜)
広く全ての人に愛の手をさしのべよう(博愛)
勉学に励み職業を身につけよう(修業習学)
知識を養い才能を伸ばそう(知能啓発)
人格の向上につとめよう(徳器成就)
広く世の人々や社会のためになる仕事に励もう(公益世務)
法律や規則を守り社会の秩序に従おう(遵法)
国難に際しては国のため力を尽くそう、それが国運を永らえる途(義勇)


来年の卒業式にむけて、SSさまの目に留まるように時々スレを上げときますね。

【3768995】 投稿者: 紙つぶて   (ID:hFw/.KAzEqo)
投稿日時:2015年 06月 17日 01:39

>まったく反論になっていない。
私は当時の民衆(明治初期には国民)の多くが天皇の存在を知らなかったのではないか、と述べている。

不生産的労働者さんの、上述に対する学知の知見は存在するのでしょうか。ネット上で検索したところ、学者の説がなく困惑しています。(ひまわりさんの説にもですがf(^^)、ただ思想的にはひまわりさんにパチパチ\(^^)/)

学説がないなら、以下の貴方の根拠、

>その根拠として、以下の三点がある(再掲)。
第一に、当時の民衆が貧しく生活に追われ、意識の点も低くならざるを得なかったこと。
第二に、当時は通信手段も極めて限られ、天皇の存在を意識する可能性など皆無に近かっただろうということ。
第三に、封建時代における御恩と奉公は武士同士の関係性であった。ゆえに、当時の読書階級にあった (不生産的労働者さん)

以上の「天皇の存在は武家以外には殆ど認識されていなかった」との結論に至るには、演繹的にも帰納的にも不備があると思えます。

【3768999】 投稿者: 紙つぶて   (ID:hFw/.KAzEqo)
投稿日時:2015年 06月 17日 02:05

>それがどうした?という話である。 (自由さん)

その通りです。
過去の民衆の天皇認識が問題なのではなく、今上天皇が確立しようとされている、憲法で定められた「象徴天皇」の理念を国民が「支持」している現実が重要だと思います。

御高齢になられた今上天皇、美智子皇后様のこなされる国事行為や慰問などは、胸に迫るものがあります。
毎日勝手気ままに呑気に暮らすうちの母(それなりに苦悶もあるかと思いますが)には、いわゆる税金暮らしと引き換えでも全うできると思えません。

【3769011】 投稿者: もも   (ID:5z./g9xXW2Q)
投稿日時:2015年 06月 17日 05:42

おはようございます。
毎度すみません。ひとことだけ 涼

街の図書館には無かったので"Prologue"だけ試し読みしました。
「かめのおならになっちゃえばいいんだよ」って・・・(^_^;

教えてくださってありがとうございました。
つづきが読みたいので、もう少し探すか・・・購入するかも!

・・・絶対に仲良しじゃないです!!! 涼涼 七対子     ではまた。

【3769012】 投稿者: 自由   (ID:Mg0igs8V10Q)
投稿日時:2015年 06月 17日 05:43

>以上の「天皇の存在は武家以外には殆ど認識されていなかった」との結論に至るには、演繹的にも帰納的にも不備があると思えます。


普通に考えれば、

「認識されていた」ことを示すのは、当時の文献から推論することが可能だが、
「認識されていなかった」ことを示すのは論理的にはかなり難しい。

例えば、信長とも謁見したことのあるルイス・フロイスの天皇の認識は以下のとおりであって、天皇の権力に対する誤認はあるものの、彼の認識から、

>民衆は天皇を知らなかった

そのようなことがあり得るだろうか?
と強い疑問を感じるのである。


【ルイス・フロイス『日本史』】

「本来の日本66ヶ国全体の最高君主であり、国王かつ主権者はただの一人であって、こ­れを皇、もしくは天皇、または内裏と称する。」
"O Senhor universal, Rey-, e Monarca de todos estes 66 Reynos nào he mais q hum, q se chama Vo Vel trivó ou Dairi"

「外国から商品を携えて取引に来るポルトガル商人は日本の言語を知らず、日本の諸地方­のことも知らず、日本の庶民とも接触もしない。 彼らの大部分は入港する肥後国の諸港の他は何も見ていないので、しばしば (日本において)「国王」(Rey)とか「王国」(Reinos)という表現を慣用す­る。
しかし(当地では)そのような称号は考えられもせず決して存在しない。
彼ら(ポルトガル商人)は例えば平戸の国王、志岐の国王、天草の国王などの他、これに­類したことを言う。 しかし、実はこれらの人々は皆、殿、すなわち限られた貴人であって、そのような人は同一国内(日本国内)において無数にいるのである。
本来の日本66ヶ国全体の最高君主であり、国王かつ主権者はただの一人であって これを皇、もしくは天皇、または内裏と称する。 それゆえ、トノ達はこれに遠慮して公爵(に相当する)自分達の特定の称号を使用する。­」

【3769041】 投稿者: 自由   (ID:ItdraOgFbYc)
投稿日時:2015年 06月 17日 07:28

>過去の民衆の天皇認識が問題なのではなく、今上天皇が確立しようとされている、憲法で定められた「象徴天皇」の理念を国民が「支持」している現実が重要だと思います。


私は個人的には、民衆は天皇を知っていただろうと思っているのだが、

「知っていない」派が文献をもとに論理的に説明することは不可能だろうし、そもそも、「知っている」「知っていない」ことを議論してもあまり意味はなくて、大事な論点というのは、天皇が政治的存在だったのか否か・・ではないだろうか。

そこで、政治的存在・・というのは、政治的権力と政治的権威と分けるべきで、長い歴史のなかで、天皇の最大の危機というのは、おそらく足利義満の王権簒奪とGHQの占領だと思われるが、その未曾有の危機を乗り越えた理由は、天皇という存在の政治的権威にほかならない。

足利義満の急死後あえなく王権簒奪は頓挫し旧体制に戻るが、室町の政治的権力が頼ったのは天皇の発給する綸旨であったし、東西冷戦が進行するなかGHQが頼ったのは、占領下の国民の人心を掌握できる天皇の政治的権威であった。

また、戊辰戦争に目をむけても、幕府軍に戦力的に圧倒的に劣った薩長が勝てたのは、錦の御旗という政治的権威を得たからであった。

その天皇の政治的権威は、現憲法では象徴天皇の国事行為として表現されている。

何のことはない。

いまも、昔も、天皇の政治的権威の本質は変わっていない。
皇国史観が異常だっただけのことである。

【3769090】 投稿者: 二股川   (ID:.POfKb2sTJ6)
投稿日時:2015年 06月 17日 08:49

 宮内庁に商品などを納入している業者を、「宮内庁御用達」(くないちょう・ごようたし)ということがあります。
 かつて宮内庁御用達は制度になっていましたが、昭和29年(1954)に廃止となり、現在は制度そのものがなくなりましたが、今でも業者が非公式に「宮内庁御用達」という看板をかかげている場合があります。
 宮内庁御用達というのは皇室が長年愛用するブランドということになるので、その店には確固たる信頼が寄せられます。確かに安いものではないかも知れませんが、かといって特別に高いものではなく、良い物を適切な値段で扱っている店が宮内庁御用達の栄誉を受けてきました。
 皇室はおよそ二千年間、質素倹約をよしとしてきました。ヨーロッパや中国の王には絢爛豪華(けんらん・ごうか)極まりない散財の逸話が多く残されているのと正反対です。
 ですから、皇室が愛用する品々は、一般消費者にとっても、良い物を長く愛用するための参考になるのではないでしょうか。

 宮中へ商品を納入する業者は、幕末までは「禁裏御用」(きんり・ごよう)と呼ばれていました。京都にある天皇の居所「禁裏御所」の御用を申し付けられる者という意味です。
 江戸時代中期の元禄(げんろく)14年(1701)には、宮中に出入りする商人や職人は286人を数えました。その職種は装束(しょうぞく)・扇子(せんす)・履物(はきもの)・食器など身の回りの品から、野菜・魚・菓子・酒などの食料品、そして建物の修理に至るまで様々でした。
 禁裏御用の商人は、「御用」と書かれた提灯(ちょうちん)を下げ、御用札を掲げて、誇り高く御所に納めに行きました。禁裏御所の御用を務めるということは、その商人、職人にとってはこの上ない栄誉だったのです。
 皇室と禁裏御用の深い繋がりを示すエピソードがあります。足利将軍の時代に朝廷の財政が窮地に追い込まれ、天皇の食事も十分に用意できない時代がありました。その頃「川端道喜」(かわばたどうき)という餅屋の主人(初代道喜)がその様子を嘆き、毎朝天皇にできたての餅を献上しました。当時天皇は毎朝届けられる餅が楽しみだったと伝えられています。
 川端道喜の献上した餅は「おあさ」と呼ばれるようになりました。「おあさ」は六つほどを素焼きの皿に盛り付けられ、白木の三方に載せて、毎日毎日天皇に献上されました。江戸期には朝廷の財政は安定し、天皇が食べるものに困るということはなくなりましたが、朝廷は困窮期の恩を忘れず、川端道喜を禁裏御用として用い続けました。
 江戸時代以降、天皇は「おあさ」を見るだけで昔のように食べることはなくなりましたが、毎朝朝食前に餅をご覧になる「朝餉の儀」(あさがれいのぎ)、つまり儀式として宮中に残り、明治期まで続けられたのです。川端道喜はおよそ500年間、餅や粽(ちまき)を御所に納め続け、現在も京都に店を構えています。

 明治2年(1869)に明治天皇が東京に御移りになると、京都・大阪に暖簾(のれん)を構える禁裏御用の商人たちは困りました。この時、川端道喜は東京に移り住みましたが、東京では餅が売れず、京都に戻り店を続けました。また御所に菓子を納めていた「松屋」(まつや)は京都に残る道を選び、現在も京都で店を営んでいます。
 一方、同じく菓子を納めていた「虎屋」(とらや)は明治2年に店主の兄弟を東京に派遣して御用を継続し、明治12年(1879)には店主も東京へ移り住みました。現在虎屋の東京赤坂本店は、皇族方の御殿が並ぶ赤坂御所の目の前にあり、今も宮中に和菓子を納め続けています。
 明治期になると、宮中でも洋式を取り入れるようになり、洋服・洋傘・洋食器・洋菓子などなど、西洋の品物を扱う商人が宮中の御用を申し付けられる機会が増え、御用達の業者の数が急増しました。
 すると、宮中御用であることをみだりに宣伝に用い、また御用達であると偽って商売をする業者が現れるようになりました。
 そこで宮内省(宮内庁の前身)は明治24年(1891)、「宮内省御用達制度」を正式に発足させ、一定の基準を設け、それに適合する業者に「宮内省御用達」と称することを許すことにしたのです。
 しかし、その後も御用達の表記を濫用する業者が後を絶たず、警視総監(けいしそうかん)は御用の濫用を禁止する論告(ろんこく)を出し、取締りを強化しました。それだけ「宮内省御用達」という表記は商売上重宝するものだったのです。
 昭和10年(1935)になると、御用達制度が大幅に改正され、許可の基準がさらに厳しくなりました。5年以上宮内省に納入を続けている業者であることが条件となり、様々な報告の義務が課され、「宮内省御用達」の称標(しょうひょう)の使用に5年間の期限が設けられ、その上、許可証の発行に当たっては、称標を広告などに濫用しないよう厳重な注意が与えられました。
 終戦後、宮内省が宮内庁に変わったことで、「宮内庁御用達」となりましたが、昭和29年(1954)、御用達制度が廃止され、現在に至ります。
 御用達制度が廃止された理由は明確にされていませんが、商業活動の機会を均等にさせるなどの意図があったのではないでしょうか。
 このように現在では、御用達制度そのものがなくなってしまっているのですから、正式に「宮内庁御用達」を名乗ることはできません。しかし今も街中で「宮内庁御用達」の看板を目にすることがあります。これはかつての御用達制度の名残なのです。宮内庁としては社会通念上不当な表示でなければ黙認しているようです。
 しかしながら、宮内庁に商品を納入しながら、そのことを外部に公表していない業者はたくさんあります。宮中の御用を仰せつかっていることを、商売の材料にして宣伝に用いることは、はしたないことであり、憚らなくてはいけないという共通の認識があるようです。

【3769098】 投稿者: もも   (ID:5z./g9xXW2Q)
投稿日時:2015年 06月 17日 09:01

「vol.46 宮内庁御用達」ですね。

このスレの方々も厳しいですから・・・元を書かないと・・・

・・・私で良かったでしょう?   (^_^;  では!

【3769165】 投稿者: 紙つぶて   (ID:a1e0wCHMxL6)
投稿日時:2015年 06月 17日 10:11

>皇国史観が異常だっただけのことである。

おっしゃる通りです。
天皇への畏怖心は静かに日本(人)に宿るものではないでしょうか。山や深い森、大木や岩に注連縄を巻き御神体として祀る日本人の心があり、その神道の礎を守っていらっしゃるのが天皇家です。以前も申し上げましたが、日本の成り立ちから存続する天皇家は日本人の総本山的な存在だと思います。

再び天皇が政治的に利用されることなく、日本のために象徴天皇として皇統を連綿していただきたく願っています。
「憲法に定められた人権も無視された御立場であることに呵責の念を覚えますが、何卒国民の我儘を聞き届けて頂き、ご不自由をおかけしますが、象徴天皇として未来永劫存続していただきたい」と、私の心の中では陳謝と要望が図々しく渦巻いています。

スペシャル連載

すべて見る

サイトメニュー