アートの才能を伸ばす女子教育
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修身と道徳
修身とは、戦前の小学校で教えられていた、今の「道徳」にあたる科目です。
そして、下記は教育方針を明記した教育勅語の12徳目 です。
SS様、あなたは特に読まなければいけませんね。
親に孝養をつくそう(孝行)
兄弟・姉妹は仲良くしよう(友愛)
夫婦はいつも仲むつまじくしよう(夫婦の和)
友だちはお互いに信じあって付き合おう(朋友の信)
自分の言動をつつしもう(謙遜)
広く全ての人に愛の手をさしのべよう(博愛)
勉学に励み職業を身につけよう(修業習学)
知識を養い才能を伸ばそう(知能啓発)
人格の向上につとめよう(徳器成就)
広く世の人々や社会のためになる仕事に励もう(公益世務)
法律や規則を守り社会の秩序に従おう(遵法)
国難に際しては国のため力を尽くそう、それが国運を永らえる途(義勇)
来年の卒業式にむけて、SSさまの目に留まるように時々スレを上げときますね。
日本では、「いつもお世話になっています。」と挨拶をします。自分が気がつかないだけで回りめぐってお世話になっているかも知れないからです。
「先日は失礼しました。」とも挨拶をします。そんなつもりはなくても失礼があったかも知れないからです。
>他人や社会に迷惑をかけることを前提とした教育はダメだというが、キミは社会に全く迷惑をかけずして大人になったとでもいうのかね?
いいえ、さぞ迷惑をかけたことでしょう。穴があったら入りたいぐらいですよ。
> 事実上、迷惑をかける。教育はそれを前提として行う以外に方法がない。 但し、学ぶために最小にとどめたいだけだ。
他人の子供に迷惑したらカチンとくるが、怒ればよい。
人様に迷惑をかけることが最小限になるように躾は必要なのです。
「悪いことをした時は遠慮せずに叱ってください。」 は、うちでも充分に躾をしているつもりですが、子が至らないときは叱ってくださいと言うことです。
始めから躾もしないで、他人様に迷惑をかけてはいけませんでしょ。
よその子を叱れば逆ギレされる昨今、怒れば良いと言われましても、怒るにはエネルギーも必要なのですよ。他人様に余計な労力を使わせるものではありません。
>アハハハハハハ! 少なめ。
ふふふ(^.^)
>人様に迷惑をかけることが最小限になるように躾は必要なのです。
躾と言って子どもの権利や自由を制限すべきではない。
前出の質問さんがご自身のお子さんの同級生に対する暴力についての相談があったが、
我々が格闘技を勧めたことによって現在ボクサー養成学校で日々同級生と殴り合いの練習に励んでいる。
もし、「暴力はいけません」と子どもの行為を制限してしまったら今のように自分の夢に向かって
努力している姿はなく、無限の可能性の芽を摘んでしまっていたかも知れないのだ。
さあ、立ち上がれ、世界チャンピョンの栄冠に向かって突き進め! 笑
ではこれならどうだ。
>よその子を叱れば逆ギレされる昨今、怒れば良いと言われましても、怒るにはエネルギーも必要なのですよ。
子どもを叱ったり怒ったりしてはならない。
子どもの自由や権利を制限することになる。
その結果、子どもは自己主張をしなくなり自分の意見が言えなくなってしまう恐れがあるのだ。
子どもの人格を尊重することによって親や教師に対して自分の意見がハッキリ言える子に育てるためには
叱らず怒らず子どもの自己主張にしっかりと耳を傾けることが大切だ。
紙つぶて君、これだけレベルを落とせば貴方にもご理解できるであろう。
SSさんも休憩ぐらいするだろう。笑
紙つぶて君。
どうしても私のことが好きなようだからレスをかこうと思うが、レスは見つめられると思うように書けないから横向いていてくれ。躾についての論点は二点ある。
⑴まず、躾のレベルをどこらへんにセットすべきかという点だ。
既に述べたように本人の自由が広がればいつかは他人の自由とぶつかる時がある。そこが基準点であることに異論はない。
但し、それよりはるか前に親の都合で躾を行うことは頻繁にある。その場合子供の自由を奪うことになるので押し付けはまずい。ここはSSさんに指摘して頂いた。
⑵もう一つは躾をするときそれに反するならば「受け入れない」とする点だ。
ここで「受け入れない」には更に二つの意味があろう。
①一つは許さないという意味だ。先の基準値でいえば他人の領域ではそのとおりだが、本人の領域では余計なお世話だ。
②もう一つが重要で「理解しない」という意味だ。
これは親としては致命傷だ。基準値が何処にあろうと理解はすべきなのだ。
もし、この頑なな態度であるなら皮肉にも躾は難航することとなろう。
以上から私はこう考える。他人の自由を奪うことはよくはないが、社会は他人とぶつかる直前までは物凄いスピード感のある自由を子供に与えてはくれまいか。ブレーキは直前の非常用だ。
ポンピングブレーキは安全なだけだ。動き出した時点で止まることを想定するのは大人になってからでよいではないか。
さぁ、子供たち、自由に羽ばたいてごらん。あの空へ!!
寝るぞ。笑
>(1)まず、躾のレベルをどこらへんにセットすべきかという点だ 。既に述べたように本人の自由が広がればいつかは他人の自由とぶつかる時がある。そこが基準点であることに異論はない 。
→ご理解ありがとうございます。
>但し、それよりはるか前に親の都合で躾を行うことは頻繁にある。その場合 、子供の自由を奪うことになるので押し付けはまずい。
→この部分は、親の教育方針や親が育った教育環境、親の学歴などにより、どこまで子供に自由を与えるかが違ってくるのではないでしょうか。「自由を与える」は、厳密には「自分で考えて選択させる」ことですが、反社会的な、明らかに逸脱した選択肢は外しておく事は親の責任です。選択肢を極めて限定してしまう親も存在するかも知れません(これには私も不賛成です)が、先ずは他人様に迷惑をかけないように躾をすることは必要です。
>⑵もう一つは躾をするときそれに反するならば「受け入れない」とする点 だ 。ここで「受け入れない」には更に二つ の意味があろう。 ①一つは許さないという意味だ。先の基準値でいえば他人の領域ではそのとおりだが、本人の領域では余計なお世話だ。
→自分を個として考える場合、たとえ親密関係にある家族内であっても個が傍若無人に振る舞えば家族は困惑、混乱しますよね。一歩外へ出れば自分以外は、皆他人である「個」なのですから、水面下での個と個の攻防、表面化すれば激突です。
ですから、躾の中で許すことができない受け入れ難いことは、だんこ引かないことが親の愛だと思います。もちろん、状況により斟酌はあるかと思いますが。
>②もう一つが重要で「理解しない」という意味だ 。これは親としては致命傷だ。基準値が 何処にあろうと理解はすべきなのだ 。もし、この頑なな態度であるなら皮肉にも躾は難航することとなろう 。
→仰る通りです。我が子を理解せずに躾などできません。だから、親は子供の素行、感情、健康状態など子供の様子をアンテナをびんびんに立てて見守り、理解しないといけないのです。
そして、これは手が抜けない分けっこう難儀なことなのです。































