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【3436800】能力のない人に力を発揮してもらう方法

投稿者: 動機が大事だよね   (ID:Pqkvu9cTtg.) 投稿日時:2014年 06月 28日 08:10

部下でも生徒でもいいです。 能力が足りないあるいはあるスキルがない。
そういう人が配属されてきたときに皆さんならどのようにしますか?


1.すぐに切る
2.教育して何とかその人にできる仕事を作ってあげる。


信長なら躊躇なく1かもしれませんが、松陰なんて2でずっとにこにこしながら相手に合わせて「相手のできること」を自尊心を失わずにやらせそうですね。


他人のモチベーションを内発的ではなく外からの教育、誘導、エンカレッジによって上げることが出来るか?  というのがテーマです。


沢山のかたの体験談、こうしたらいいというお知恵を拝借できればと思います。

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  1. 【3444918】 投稿者: 成人教育  (ID:1N7SXz.tGS6) 投稿日時:2014年 07月 05日 06:44

    >私は人間を動物の一種、縄張り争いするサルという観点から見ています。

    >形而上学、哲学、倫理、宗教・・・大脳皮質から生まれるあまたの言語の組み合わせ(理屈)は旧脳から生ずる生物としての本能にはかなわない。

    >老眼氏よ、 アラブとイスラエルの対立をどう考えるか? 怨念が怨念を産む構造を果たして理屈で解消することができるのか? 宗教や博愛主義、人類皆兄弟説が本当に人間社会で機能するのか?


    こういった文脈から、動機君は明らかに理解不足であることが分かるが、動物は自己保存の本能があるだけで、当然ながら、動物には「宗教」「民族」「国家」「戦争」など無い。宗教、民族あるいは国家という概念自体が、大脳皮質の働きの産物であって、戦争が起きるのも、人間に大脳皮質があるからである。

    動物では自己保存のためにしか行われない「戦い」が、人間では絶えず行われるのは、人間が動物的本能から離れて、大脳皮質が絶えず、「欲望」「恐怖」を生産するからである。

    人間の大脳皮質で起きる問題には、やはり大脳皮質で解決を図らなければなるまい。

    私は組しないが、非抵抗主義、ひとつの考えとして、大いに結構である。

  2. 【3444950】 投稿者: 動機が大事だよね  (ID:LjWsayKT3Bo) 投稿日時:2014年 07月 05日 07:37

    適性さん、長宗我部元親と光秀とのやりとりの書簡見つかったそうですね。


    しかし、よく分からないのは光秀には信長暗殺後の見通しが(天下統一)しっかりあったのかということです。場当たり的にやったのではないにしろ細川にも裏切られ・・・・・・・信長軍団の支持がほとんどありません。


    朝廷側のそそのかしがあったという説がありますが所詮公家などあてにならぬことは良く知っていたと思います。 


    やはり恨みつらみが信長に対してあったという説のほうがすっきりするような気がします。


    ところで信長は光秀の反逆の可能性をどれくらい考えていたんでしょうか?
    「まさか・・・こいつが立つとは」なのか「やっぱり来たか」なのか?

  3. 【3444954】 投稿者: 成人教育  (ID:1N7SXz.tGS6) 投稿日時:2014年 07月 05日 07:44

    明智光秀の謀反の理由は、諸説ある。

    好きなのを選びたまえ。

  4. 【3445071】 投稿者: 成人教育  (ID:4xA1gVwXL/A) 投稿日時:2014年 07月 05日 09:57

    >ところで信長は光秀の反逆の可能性をどれくらい考えていたんでしょうか?
    「まさか・・・こいつが立つとは」なのか「やっぱり来たか」なのか?

    信長公記によれば、信長は、

    是非に及ばず

    と言っているのである。

    無用な詮索であろう。

  5. 【3445428】 投稿者: 老眼  (ID:gBm/snrlgfA) 投稿日時:2014年 07月 05日 15:07

    >大脳皮質から生まれるあまたの言語の組み合わせ(理屈)は旧脳から生ずる生物としての本能にはかなわない。


    己を生かす、というのが生物の本能の原点だと思います。
    しかし、それを覆す行動を人間はとることがあります。
    災害時に己の命を捨てても非血縁の命を救う行動です。


    己を生かす、が本能の原点であるというのは間違い。
    己の命を捨てて非血縁の命を救うのも生物の本能。
    己を生かす本能を打ち消してしまう能力を動物はもつ。


    どれが本当のことかは知りません。
    しかし、己の命を捨てて非血縁の命を救う行動があることは知っています。
    この行動は理屈でとられた行動ではないでしょう。
    何がそうさせたのでしょう。

  6. 【3445462】 投稿者: 酷似  (ID:gxcMJbYZqKI) 投稿日時:2014年 07月 05日 15:30

    アウシュビッツの囚人で医師だったフランクルの著書、夜と霧を読むと、飢えと病に自分も苦しみながらも、自分より弱い死に行く者に自分の食料を与える人々の行いが書かれています。
    日常の社会的な地位や性格など関係ない、魂のレベルだそうです。

    だけど、極限下で自分中心になったとしても、それを非難は出来ないですよね。

    あ、能力の話ですが、わたしは仕事では相手の出方を待ち、プライドを傷つけない様、気を配りおだてて、心を開いて貰えるように望みます。
    が、いつまでも働かないアリがいるように、幾ら言ってもダメな人もいることは居ます。

    そんな時は、これも修行だと思い耐え忍びます。

  7. 【3445623】 投稿者: 成人教育  (ID:1N7SXz.tGS6) 投稿日時:2014年 07月 05日 17:27

    動物でも自己犠牲のような行動と見られるものがあるが、それは、自分の子供を守る、種の保存のための本能である。人間が、非血縁者に対する自己犠牲的、利他的な行動をとるのは本能とはいえまい。あるとすれば、自己満足、ナルシシズムを介した自己犠牲であろう。

    何に対して自己満足、ナルシシズムを感じるかは、当然ながら個人差があって、

    自分のために、

    よりもさらに、高い次元で、

    世界のために、社会のために、

    といった意識をもつためには、

    教育が必要である。

    言うまでもなく、そこでいう教育は、

    塾通い、中学受験、大学受験のための教育ではない。

  8. 【3445633】 投稿者: 酷似  (ID:gxcMJbYZqKI) 投稿日時:2014年 07月 05日 17:38

    うーん、私が読んだ夜と霧の中では、ナルシズムとかは感じられ無かったです、

    自分もいつ死ぬか、と言う極限状態でも尚他人を思いやる人々がいる事にフランクルは驚いたのです。
    他にもシンドラー、や杉原千畝など、自分の危険を顧みず、他人の為に自身の人生さえも投げ捨てる、
    そんな人が実際にいることが不思議だし、その事実に感動します。

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