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投稿者: 動機が大事だよね (ID:Pqkvu9cTtg.) 投稿日時:2014年 06月 28日 08:10
部下でも生徒でもいいです。 能力が足りないあるいはあるスキルがない。
そういう人が配属されてきたときに皆さんならどのようにしますか?
1.すぐに切る
2.教育して何とかその人にできる仕事を作ってあげる。
信長なら躊躇なく1かもしれませんが、松陰なんて2でずっとにこにこしながら相手に合わせて「相手のできること」を自尊心を失わずにやらせそうですね。
他人のモチベーションを内発的ではなく外からの教育、誘導、エンカレッジによって上げることが出来るか? というのがテーマです。
沢山のかたの体験談、こうしたらいいというお知恵を拝借できればと思います。
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【3461278】 投稿者: 赤い彗星 (ID:GAQIxW91BTI) 投稿日時:2014年 07月 19日 08:44
>「汝自身を知れ」というのが重要かな
ウケ狙いの投稿にもほどがある。
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【3461629】 投稿者: 老眼 (ID:RQPoLxkX0No) 投稿日時:2014年 07月 19日 13:43
>きっと「ここはスポーツする場所だ。」「他のスポーツしている人に迷惑だ」「お前が出て行け」と、被害者面で、皆の為だ。と主張するかもしれません。 ここで、自分やまわりを被害者に、批判する人を加害者にします。
確認できるのなら、よくよく、確認して下さい。
>老眼さんはいったい何を確認したのですか?
適性さんがわたしに確認を求めた内容は「きっと・・・・します。」です。
適性さんの上記記載内容や、適性さんがそう感じるに至ったいきさつについて、他人(わたし)に精査できるはずもなく、他人(わたし)の憶測には何の意味もなく、結局他人(わたし)に出来る確認は何もないことを適性さんも御承知のはず。
適性さんがそう感じるに至ったいきさつについては適性さんにしか分からないことです。
長い話で途中途中にいろいありました。
しかし、今の状況が妥当なのかどうかを、事の発端の重大性と照らし合わせてもう一度考え直してみることがあっても良いのではないかと思った次第です。
>「何が」存在しているのですか?
存在の場所によって存在するものが異なるもあれば同じもあります。異なるを認め同じを共有できることを願っています。 -
【3461722】 投稿者: 成人教育 (ID:1N7SXz.tGS6) 投稿日時:2014年 07月 19日 15:13
前にも書いたが、
芥川龍之介「藪の中」が示すことは、
作品に出てくる男女3名が同じ事態に関わりながら、何を事実だと認識しているのかが三者三様、3名ともまったく違うことである。
適性君がいくら、
自分の認識していることが事実だ!
事実を確認してくれ!
と他人にむけて騒いだところで、
そんなものは、適性君個人の主観的な認識にしかすぎないのである。
フッサール現象学が示すところは、
この世界には、誰もに共通する客観的事実などはありえず、可能性として残されるのは、主観的な認識を交流し相互承認することによる世界観の共有である。
ところで、適性君のストーカー論は、
誰かの承認を受けているのかね?
ひとりぼっちみたいで、哀れだが。
笑 -
【3461851】 投稿者: ピース (ID:AXfGs/IOuUU) 投稿日時:2014年 07月 19日 17:45
動機さん
「汝自身を知れ」…本当ですね。
何度教えてもレベルが上がらなければ配置換えもやむなし、なのでしょう。
辞めた元県議の市役所勤務時代も、最初は窓口勤務をしていたそうですが
そのうち市民と直接対面しない部署に配置換えになったそうですね。
きっとまともに対峙できなかったのでしょう。
仕事ではなくてボランティア的に高校生と関わっている事があるのですが、
高校生の特権かもしれないと思いつつ、一部の子の根拠無き自信過剰ぶりに辟易する時があります。
計画性などもイマイチ無く、能力もそこそこなのに「俺様は凄い!!」オーラを出しまくっている子が結構います。
そういう時期も必要だと思いながら「早く気付け!!」と心の中で念じています(笑)
子供の時に自分で限界だと決めつけて可能性を狭めてしまうのも良くないと思いますが
大人になって根拠無き自信だけで世の中渡っていける程甘くない。
高校生大学生辺りで自分を客観的に見る事ができるように
親や教師、まわりの大人が導いていかないといけないのかもしれませんね。
個人的には哲学に触れると良いのかな?と思うのですが。 -
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【3461875】 投稿者: 成人教育 (ID:1N7SXz.tGS6) 投稿日時:2014年 07月 19日 18:26
>能力のない人に力を発揮してもらう方法
能力のない人を、「能力のない」と判断した人間が、
実は能力がなかった、というのは、よくある話で、
汝を知れ
と言われても、
なんだかなあ・・と相手方は笑っていそうである。
笑 -
【3461882】 投稿者: 成人教育 (ID:1N7SXz.tGS6) 投稿日時:2014年 07月 19日 18:31
>>「汝自身を知れ」というのが重要かな
>ウケ狙いの投稿にもほどがある。
あ、やっぱり、動機君はウケ狙いだったのか。
そりゃあ、そうだよね。
笑 -
【3464714】 投稿者: 適性 (ID:y8KjQYOGtf6) 投稿日時:2014年 07月 22日 17:46
■老眼さん
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適性さんがわたしに確認を求めた内容は「きっと・・・・します。」です。
適性さんの上記記載内容や、適性さんがそう感じるに至ったいきさつについて、他人(わたし)に精査できるはずもなく、他人(わたし)の憶測には何の意味もなく、結局他人(わたし)に出来る確認は何もないことを適性さんも御承知のはず。
*****************
そんなことは、ありません。
顕微鏡から、観察するように、見えていることは、だれにでも、同じに、見えます。
感じ方が、違うという部分があったとしても、
確認できることは「何もない」なんてことはないのです。
ゾウリムシは、カブトムシに見えたりしないのです。
他人でも確認できるものが、「客観性」というのでしょ?
もし、結局他人に出来る確認は何もない、何の意味もないのであれば・・・
ストーカーも、いじめも、犯罪も・・・「当事者が、そう思っているだけである。」という結論になります。
まったく、客観性などないのなら、社会的問題など存在しません。個人の問題だけです。
すべて、客観性などない。というなら・・
「残酷」ということも、当事者の問題であって、第三者が、「残酷」なということはできなくなります。
しかし・・もしかしたら、ストーカーとは「どういう人」かわからないので、判断できないかもしれません。
どのようなことをすると、ストーカー行為と言われるのか、よくわからないのかもしれません。
自分が、ストーカー被害者でない場合は、よくわからないかもしれません。
NHKの番組でも出てきた、第三者にも、「わかりやすい」ストーカーを例にしましょう。
第三者である視聴者にも、「よくわかる」ものでした。
『拒否された相手』に、
積極的に、近づく。(相手が存在する、存在しそうな場所に出没する。押しかける。移動すれば追いかける)、
相手に向けた言葉(拒否された相手の名前が繰返される)を、直接、もしくは、電話、メール、掲示板、手紙などで、送り続ける。
『長期』にわたって(やめることができないので。)継続的、断続的に、続く。
当然相手への言葉は・・・「否定」の為のコメントが多いです。
「わかりにくい」ストーカーもあるでしょう。
軍事用語としてのストーキングは「相手に気づかれずに忍び寄り、無力化する」の意味もありますから。
相手に気づかれずに、ストーカー行為を自覚的にする人もいるかもしれません。
この場合は、外形的には、とても、分かりづらいでしょうね。
被害者が気づいても、第三者には、確認することが、困難な場合もあるかもしれません。
それから、一応、書いておきますが。
ずっと、現実に問題が「ある」場合や、否定すべきことが「ある」場合は、その批判を「続ける人」は、もし相手は嫌がって、拒否しても、ストーカーではありません。
ゴミ屋敷の近隣は、あふれるゴミ、におい、火災の危険から、文句を言い続けるでしょう。
また、犯人は、嫌でしょうが、それを、追いかける警察もストーカーではありません。
当然、上のような、ストーカー行為があるので、「ストーカー」ということも、ストーカー行為ではありません。
相手が嫌がることを続けた人は、「皆」ストーカーなら、ガンジーであろうが、ストーカー認定されてしまいます。
単に、しつこいから、「ストーカーだ」と批判するのは、ストーカーの条件からして、明らかに、足りない。
「わかりやすい」ので、誰でも、観察すれば、確認できることです。
●『拒否された相手』に積極的に、近づく(相手が存在する、存在しそうな場所に出没する。押しかける。移動すれば追いかける)
・・・そんな人を、確認できますか?ストーカーの存在する場所が、ターゲットの近くに偏っています。
ターゲットを追いかけていませんか?
●相手に向けた言葉(拒否された相手の名前が繰返される)を、電話、メール、掲示板、手紙などで、送り続ける。
・・・そんな、コメントが確認できますか?
相手がいなくても、反応しなくても、コメントが続けられてていませんか?
● 『長期』にわたって継続的、断続的に、続く。
・・・それは、短期間ですか?長期間ですか?
もし、そのような行為(事実)が、すべて確認できたのなら。それは「わかりやすい」ストーカー行為が、
客観的に『確認できた』と言えるのです。
別に、ストーカーのターゲットの「気持ちを感じる」必要などないのですよ。
「主観的」要因として、確認する必要があるのは、ストーカーのターゲットは、「相手を拒否している」のかというとこぐらいです。
確認できたが、それを、ストーカー行為だと。自分は、いいたくない。
確認できたが、それを、ストーカー行為だとは、思わない。
という人もいるかもしれません。
そうであるなら、
その人にとって、「どういうものが、ストーカー行為」なのか、「独自」の定義があるのでしょう。
「独自」の定義と、それが、社会的な標準から、「離れていない」ことを、説明してもらえればいいです。
定義の差や、判断基準の差は、多少は、あるでしょう。
ストーカーは、ストーカーと思われたくないので、もっと、条件を多く、厳しく、するかもしれません。
例えば、警察に逮捕されるまで、裁判で判決うけるまで、はストーカーではない。とか。
他にも、条件を、つけるかもしれません。
利点はありますね。ストーカーではないことにして、現実的には「ストーカー被害を作り続けられる」から。
しかし、
誰かが、社会的標準と思われる定義で(それほど、離れない定義で)ストーカー行為と判断できることを、ストーカー行為だということは、何の問題もないことです。
もし、そう言えないのであれば、NHKの番組も、成り立ちません。
もし・・・
ストーカー被害者の娘と、その親の、ストーカーの定義が「まったく」違う。(どちらかが、社会標準とはかけ離れている)場合や、親が、娘がストーカーをストーカーと感じるに至った経緯いきさつなど、何の意味もない。確認などしようがない。と本気で思っている場合・・・それは、悲劇かもしれません。
その親は、結果的にストーカーの応援団になるかもしれませんね。 -
【3464725】 投稿者: 赤い彗星 (ID:bTIb5rzSp8A) 投稿日時:2014年 07月 22日 17:59
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